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on my own

話し相手は自分だよ

さっちゃんの幸せ

Twitterの海には本当に、気が遠くなるほどに、多様な生き物が棲みついていて、いくら眺めても飽きることはない。その混沌とした海にぽっかりと浮かんで、そこに暮らす生き物たちのさまざまな生態を垣間見るのが好きだ。
さっちゃんとは、そうやって浅瀬をシュノーケリングしている中で出会った。昨年の11月のことだった。
 
 
さっちゃんは、とある有名アイドルグループのメンバーと秘密の恋愛をしている。便宜上、そのアイドルの名前をKとする。
Kは既婚者であり、子どももいる。しかし、彼の結婚はいわば芸能界の政略結婚であり、彼が心から望んだものではない。彼が真に愛しているのは他でもなく、彼のデビュー当時から彼に寄り添い、彼を支え、ファンとしてついてきてくれたさっちゃんである。さっちゃんとはアイドルと一介のファンだということで、その他のファンの心情に配慮し、さっちゃんを愛していること、彼女と一緒になりたいことをKはずっと公にしなかった。その結果、望まぬ結婚を強いられ、父親の違う子どもを自分の子どもだと公表せざるを得なくなった。もちろん、関西の田舎に住むさっちゃんとは遠く離れたまま。
Kとさっちゃんは、苦しい日々を送りながらも、お互いを愛し、思いやり、いつか胸を張って二人で暮らせるようになるその日のために、静かに、しかし着々と水面下で準備を進めている。
 

 

 
さっちゃんの一日は、Kへのメッセージをしたためることから始まる。今日もKに愛されて幸せであること、感謝していること、体には十分気を付けてほしいこと、今日の自分の予定、など、多い時にはスクリーンショット8枚にも及ぶ、大作である。これをさっちゃんは毎朝晩、欠かさずにツイートし、遅れると「心配させてごめんね」と謝る。毎日のことだから、その労力は如何ほどのものだろうと思う。しかし、Kのことを心から想い、支えているのは自分だけだという責任感を、さっちゃんは真正面から背負って、Kのことだけを考えて生活している。
さっちゃんは医療関係のお仕事をしているが、実家暮らしなので、仕事と睡眠以外の時間を、すべてKのために使う。Kの健康を気遣って、健康にいい食材について調べたり、自己啓発書を読んで、忙しいKのために要点をまとめたり、Kとの関係を公表する際、マスコミに送付する文面を考えたり。もちろん、定期的に上京してKのライブやイベントに参加する。いわばKとのデートと言えるので、さっちゃんはそのたびに自分磨きに余念がない。この靴がいいかな、この服がいいかな、と迷いながらもうきうきと準備をするさっちゃんを、恋する乙女と称さずして何と呼べるだろう。
 
 
さっちゃんは学生時代にいじめを経験していて、現在進行形で鬱とパニック障害を患っている。時々だけど、発作が出て、非常に苦しい思いをする。でも、いつかKと一緒に住めること、陽の当たる場所でKと堂々と歩ける日々を心に浮かべれば、苦しさや体のだるさにも耐えられるし仕事も続けられる。
Kの存在はさっちゃんの人生を明るく照らす太陽であり、また遥か上空できらきらと瞬き、さっちゃんを導く星なのだ。
 
 
さっちゃんは今年中にも、Kと一緒に住むために上京する決意を固めた。このままではKへの精神的負担は増すばかりだし、子どもも大きくなってから離婚するよりは早いほうがまだショックも少なくて済むだろう、ということで、十年以上続く遠距離恋愛をいよいよ終わりにしようと決めたのだ。家族にもこのことを打ち明けたところ、「さっちゃんが決めたことなら応援はしたいけど、今のところKの気持ちが見えないので、心配」と、ちょっと困惑しているとのこと。両親を安心させるためにも、一度Kの事務所の人も交えて話し合いをしたいが、何せKは嵐の五人を全員言えない私でも知っているような有名グループの主要メンバーなので、なかなかその時間をとれない。
さっちゃんとの連絡ツールは、さっちゃんのTwitterと、心と心のテレパシーだ。さっちゃんの心の中には、強く念じると、Kと繋がれる部分があって、Kの言葉は天を通じてさっちゃんの心にダイレクトに降りてくる。だから離れていても二人はいつも一緒だし、さっちゃんは安心して上京の計画を進められる。
 
 
さっちゃんのTwitterにフォロワーはいない。フォローしているのはKの公式Twitterと、いくつかの関連botのみ。ただ、Kにリプライを飛ばすことはない。Kの名前やグループ名、曲名さえも、正式名称でツイートすることはない。うっかりツイート検索したファンに見つかってしまえば、Kとさっちゃんが正式にマスコミに公表する前に二人の関係が知れ渡ってしまう。心優しいさっちゃんは、ファンに余計な不安を抱かせたりなど混乱を招くことをかなり警戒しているのである。
だから、余程の偶然が起こらない限り、誰もさっちゃんのTwitterを発見することができない。
 
 
さっちゃんに友達はいない。愛するKと、家族だけいればいい。小さな小さな、内に閉じた、さっちゃんの幸せな世界。
そんな小さな世界を私はさっちゃんに悟られないようにそっと覗き込み、さっちゃんの行く末を日々、見守っている。
 
 
 
ここから突然現実的な話になるが、さっちゃんが抱えている病はおそらく「統合失調症」もしくは「妄想性障害」である。
どちらも、現実にはありえないことを現実として疑うことなく信じ、それによって日常生活に支障が出る精神疾患だが、統合失調症は投薬により症状が改善するケースが見られる一方、妄想性障害はなかなか治りにくいのだそうだ(このあたり、私は専門家でも医者でもないので、『~だそうだ』という書き方しかできない。)傍から見ればとんでもない、ばかばかしい妄想であっても、当人にはそれが紛れもない事実で真実であるため、まず「医者にかかる」ということからして難しい。誰だって、「あなたがリンゴは赤いと思っていることはばかばかしい妄想なので今から精神科に行って治療してもらいましょう」と言われたら混乱するし、んなわけないだろ、だってどう見たって赤いだろ、と反発したくもなるだろう。
さっちゃんにとって、Kとさっちゃんが愛し合っていることは、リンゴが赤いくらいに明らかな、『リアル』なのだ。
 
さっちゃんに出会って、さっちゃんが上記の妄想を抱いていることに気が付いた私は、さっちゃんに一日も早くその夢から醒めてほしいと思った。
さっちゃんは現実の男性と恋愛したことがない。学生時代からKと深く愛し合っている(と思っている)ので当然である。このままだとさっちゃんは誰とも本当に愛し合うこともなく、心を許せる友人さえ持たず、さっちゃんのことを知りもしなければ今後知ることもないだろうKのためだけに生き続け、死んでいくことになる。
そんなの、あまりに空しいし、貴重な人生の時間をドブに投げ捨てるようなものではないか!
幸いさっちゃんはまだ二十代である。今から婚活することはまったくおかしくないし恥でもない。さっちゃん、早く現実と向き合ってくれ。KとKの現奥さんは渋谷で100人に聞いたら100人がお似合いだと答えるであろう幸せラブラブカップルで、Kがその素敵な奥さんを捨てて関東の田舎から一歩も出たことがない鬱病のさっちゃんを選ぶ確率は、残念ながらドリームジャンボが3回連続で当たる確率よりなお低い。
 
 
しかし私は、だんだん、この夢から醒めることが、果たして本当にさっちゃんを幸せにするだろうか、と考えるようになった。
甘く美しい夢の中で、さっちゃんは本当に幸せそうだ。「こんな私を愛してくれる」「こんな私に幸せをくれる」Kとの長い長い蜜月が、すべてさっちゃんの脳が緻密に築き上げた妄想でしかないという現実を、さっちゃんが初めて受け入れたとき、彼女はきっと壊れてしまう。Kのために続けてきた勉強や読書もやめてしまうはずだし、Kのライブの費用を捻出するためにつらくても続けてきた仕事だってやりがいを失ってしまうだろう。さっちゃんは何もかもをその手から取りこぼして、抜け殻のようになってしまうに違いない。まるで、『ラ・マンチャの男』の後半、鏡に囲まれて己の姿を見せつけられたドン・キホーテ……アロンソ・キハーナのように。
現実を受け止めきれずに、やり場のないエネルギーを、家族や、最悪K本人へと向けてしまう恐れもある。そうともなれば警察沙汰は免れない。さっちゃんは小さな甘い夢の中どころか、冷たい鉄格子のなかで一生を終えることになるかもしれない。
 
 
『ファンタジー』が人の心に及ぼすもの、その深さ、重みについて、このところ思いを馳せずにいられない。
私たち「健常者」が例えばお芝居を観て感動すること、思わず声援を送ってしまうこと、時には涙さえ流すことは、さっちゃんの描く夢の世界と、案外大きな違いはないのかもしれない。だって彼らは「存在しない」。あとほんの一歩のところで「喜劇」になりうる「悲劇」を私たちは安くはないお金を払ってわざわざ見物に出向く。そこで覚える感動も、笑いも、悲しみも「リアル」だし、それを「妄想」だなどとは認識しない。存在しない場所で、存在しない人たちが、存在しない物語を繰り広げる様子を見て、そこにありもしない架空の世界を夢想する行為。そんな幻に耽溺していて、なお「ばかばかしい妄想はやめて現実をみろ」と、さっちゃんを精神科に引きずっていくことが果たして私たちにゆるされるだろうか。
 
 
と、言いつつ、さっちゃんが病気であることは間違いないし、親御さんには本当に心配をかけているだろうし、できることなら早いとこ治療を受けたほうがいいことは確かである。夢見ることは罪ではない。私たちが『リアル』だと認識していることさえも一種の『ファンタジー』であることは、古今東西、多くの思想家が指摘するところである。自分の内なるファンタジーと、外なる社会を構成するファンタジーをうまくすり合わせることができたとき、私たちはある程度の自由を獲得するのだし、そこにギャップがあるからこそ生きづらさは起こる。逆に言えば、さっちゃんほどブッ飛んだ空想世界に生きる人が大半の社会の中ではさっちゃんは「ふつう」に生きていける。
まあ、そんな社会はTwitterという大海の深い深い水底にしかありはしないだろうから、さっちゃんにはできることなら、Kとの恋愛が幻想であることを自覚したうえで、Kを愛し、Kと対話し、Kとともに生きていくくらいの強さを手にして欲しいと思う。
 
現状、飼っているダックスフント以外に一人も友達のいないさっちゃんだが、私だったら結構良い友達になれると思うのだが、どうだろうか、さっちゃん。アイドルもいいけど、ミュージカルもいいぞ。