on my own

話し相手は自分だよ

インドに行った女は本当にモテないのか:後編 〜オタクに恋は難しい〜

【これまでのあらすじ】
Tinderというリア充御用達出会いアプリでインド氏に出会った。

525600.hatenablog.jp


 下北沢の雑踏の中から、彼は魔法のように現れた。背が高く、痩せていて、すっきりしたラインの黒のコートを纏っていた。のいさんですか。会えて良かった。彼……インド氏ははにかみながら言った。

 その日は下北沢の小劇場で芝居を観る約束だった。小田急線沿いで仕事をしているインド氏は、仕事終わりにふらりと下北沢に立ち寄り、その日の気分で当日券を買って劇場に入るのが趣味だそうだ。多いときは年間50ほどの舞台を鑑賞する私も、下北沢で芝居を観るのは初めてだ。開場時間には少し早かったので、私たちは下北沢の小道を散策することにした。
「あの、ごめんなさい、昨日のLINE。びっくりしたでしょ」
 私はまず彼にあのことを詫びねばならぬと思い、意を決して口火を切った。あのこととは、インド氏からなかなか集合時間の連絡が来ないことにしびれを切らし、鍵アカで安価を募ってインド氏に送りつけた事案のことだ。

f:id:noi_chu:20170131004626j:plain:w350


「ああ、あれ。びっくりしました。えっ、て思って」
 インド氏は困ったように笑った。あんな不審なメッセージを送ってくる女と、よく会う気になれたものだと思ったが、びっくりさせてしまったことは心から申し訳なく思っていたので、私は重ねて丁重に詫びた。いいんです、と、彼は、じっさい意に介していない様子で応えた。本当にいいのかよ。
 駅前劇場、本多劇場、ザ・スズナリ……インド氏は下北ビギナーの私に、丁寧に劇場を案内してくれた。日曜の夕暮れ時、狭い路地は雑多な空気が蠢いて、どこか東南アジアの市場と同じにおいのする。老若男女のせわしなく行き交う人混みを、私とインド氏はそぞろ歩く。誰も私たちがLIKEとNOPEで振り分けられた生き残り同士ということを知らない。



 f:id:noi_chu:20170131020122j:plain:w350

開演15分前の劇場のキャパはざっと見たところ最大で70といったところだろうか。もっと小さな箱の舞台も観たことがあるのでいちいち驚きはしないものの、やはり、小さな劇場特有の息の詰まりそうな圧を感じる。私とインド氏は二列目のパイプ椅子に並んで腰を掛けた。古い公民館の椅子に敷かれていそうな、ふんにゃりと頼りない座布団。
 芝居が始まる直前の押し殺されたざわめきが好きだ──これに更にバンドやオーケストラのチューニングの音が入ると最高なのだが。私たちは小声でひそひそと他愛もない世間話をする。舞台のセットに描かれたベンゼン環を見て、ゆるキャラの顔にしか見えない、と私が言うと、インド氏は曖昧に笑った。あれは絶対に顔にしか見えないと思う。
 5分ほど押して、ようやく芝居が始まる。2時間15分、休憩なし。私は姿勢を正し、腹に力を込めた。



 いやもうマジでめっちゃ面白かった!!!!!! まさかこんな小さな劇場でこんなでっかい世界観でとんでもなくぶっ飛んだストーリーとキャラクターをゴリ押してくると思わないじゃない!!??? いやすごいよこれ!! こんなの見たことないよ!!!! 2時間15分が体感時間15分だったわ面白すぎて……あ~~~ロビーに普通に役者がいる!!?? 役者がすごい適当で変なテロテロのスウェットとか着て客とへらへら喋ってる~~~~!!!! ウワ~~~~ッやっべ~~~~!!!!!!! ちょっ握手してきていいですか??? いや私ね普段出待ち入り待ちは否定派で絶対にしないんだけどだってロビーにいるんじゃ仕方ないでしょ話しかけざるを得ないでしょエエエ~~~~こんな、こんな自由でいいのかよ嘘でしょすごいな小劇場演劇ってほんとまいったわ~~~~!!!!! あっ今日ありがとうございました超超めっちゃ良かったですまた観に来ます~~~~!!!!!!!!!!! うっそうわどうしよ握手しちゃったヒエ~~~~ッ手洗えない~~~~洗うけど~~~~~!!!!!!! あっごめんなさいね私おもしろい舞台見るとメチャメチャハイになっちゃって~~~!!!!!

「怖いです」

 エッ?

「怖いです……」

 あっうんごめんね……。

 大興奮でビョンビョンと跳ねながら歩く私を隣に置いて長い距離を歩きたくないと思ったのかは知らないが、インド氏は私を劇場すぐそばのおしゃれなカレー屋に案内した。壁際のソファ席をそつなく勧める彼に従って腰を下ろす。おすすめはこれです、と焼きカレーを示されたので、素直にそれに決めた。サイドメニューや飲み物まで私の注文を聞き取って、店員を呼び、私の分もまとめて伝える。なかなかにスムースだ。少しびっくりした。

「のいさんは、どうしてTinderを始めたんですか?」

 水のグラスを傾けて、インド氏が尋ねる。言えない。まさか現役慶應女子がTinderで出会った高学歴男性とやりまくる、(彼女の表現を借りると)『ちんぽの食べログ』を見て野次馬根性で始めたなんて言えない。友達がハマってて、と、なんとなく濁すと、僕もそんな感じです、と返ってきた。本当だろうか。私の他に2人とマッチして、「普通に遊びに行ったり」したらしい。普通に、と敢えてつけるあたりが逆に怪しいが、恐らく私は慶應女子に毒されすぎで、Tinderは実質、出会いというより友達探しアプリに近い。医療系の資格職と言う仕事柄、他領域の人との出会いが新鮮なのだろう。余談だが、今回インド氏と会うことをT女史に伝えたところ、「怖い思いをしたら、大声で叫ぶんだよ」とアドバイスされた。オッケー、ナマステ~!!! って叫ぶわ、と約束したが、今の段階で怖い思いをしているのは圧倒的にインド氏の方である。

 インド氏は、現在従事している医療系の資格職に就くために、大学時代に重ねた苦労を滔々と語り始めた。実は私の両親も同じ資格を持って働いているため、その資格の難易度については幼いころから繰り返し聞かされている。特段新規性のないその話に、私はしょっぱい玉ねぎドレッシングのかかったサラダを口に運びながら相槌を打つ。あまり親しくない男性の苦労話に、意識が現実から乖離していくのを感じる。正気を保つように私は必死で話に食らいつく。うんうん、へえ~、そうなんですね。あはは、大変ですね~。うわ~。だめだ。このままではカレーが運ばれてくる前に理性が崩壊してしまう。私は反撃に出ることにした。

 私って、LINEでも言ったんですけど、すっごいオタク気質なんですよね。引きませんか? 私、わりと「私オタクなんです」って言っちゃうタイプなんですけど、そのたびに「隠さないんだ?」ってびっくりされるんですよね。

「えっと……別に引いたりしないですよ。アニメとかマンガとかなら、僕も大学時代にわりと好きで見てましたし……」

 えっ本当ですか!! 例えば何が好きなんですか?

「そうですね、一番好きなのは、攻殻機動隊とかかな」

 あ~~!! 今度ハリウッドで実写化されますよね!! スカーレット・ヨハンソン!! トレーラー観ました?

「あ、はい! それですそれです。すごいですよね、僕けっこう楽しみで」

 うんうん、私、アニメはちゃんとは観てないんですけど、菅野よう子じゃないですか。音楽が。だからサントラはだいたい持ってますよ。菅野よう子繋がりでマクロスとか、坂本真綾とかも。

「菅野よう子はいいですよね。マクロスはフロンティア以外には観たんですか?」

 フロンティアだけですね。ロボットアニメって実はあんまり得意じゃなくて。

「僕もです。ちょうど大学時代に流行ったよね」

 カラオケ行くたびに娘々メドレー歌ったなあ~。『キラッ☆』とか言っちゃって。

「シェリルですね」

 はっ!? え、ちょっと、『キラッ☆』はランカちゃんですよ!! ご存知、ないのですか!?? 私、ランカ過激派なんで、怒りますよ!!!

「エ……」

 エ、ランカ派かシェリル派かで、揉めませんでした? 私、友達としょっちゅう激論戦わせてたけど。

「別に、そういう感じじゃなかったですね……」

 あ、そうなの……。

「のいさんは、一番好きなアニメは何なの?」

 絶対笑われると思いますけど。デジモンです。無印じゃなくて02のほう。

「デ、デジモン!? そう来たか……」

 インドさん、同年代ですよね? デジモン通らなかったんですか?

「通りませんでしたね」

 うっそ~~~!!!! 信じらんない……デジモンはね、やっぱりバイブルですよ。あんなに前のアニメだけど未だに心の奥の方にあるの。

「あれ、でもデジモンって、ロボットアニメじゃないんですか?」

 ハアァ~~~~~!!!??? それちょっと、えっ、違います!! 全然違います!!! デジモンっていうのは一人に一匹の無二の存在なんです!! 生き写しの、双子の魂なんです!!! ポケモンのサトシなんかは、手持ちをとっかえひっかえするでしょ? デジモンは違います!! パートナーデジモンはひとりなんです!! 替えがきかないんです!!

「えっと、ゼロツー? というのは、アドベンチャーじゃないんですか?」

 アドベンチャーが無印と呼称されてるほうですね、最初に放送されたシリーズで、その3年後の世界を描いたのがデジモンアドベンチャー02です。もちろん無印ありきの02なんですけど、だから02を見るならまずざっとでいいんで無印を観て欲しいかな。『ぼくらのウォーゲーム!』は? 観てないです? あれ、細田守の『サマーウォーズ』観ました? 観たでしょ? あれね、『ウォーゲーム!』の焼き直しですよ、完全に。私に言わせれば『ウォーゲーム!』のほうが話がシンプルで綺麗にまとまってて好きなんですけどね、あれはほんと、アニメ映画の金字塔だと思います。絶対観たほうがいいですよ。

「へえ~~~……なんか、のいさんってすごいですね。深いというか……」

 私は気が付いていた。話がすすむほどに、インド氏がのけぞるような姿勢になってきている。

 完全に、気圧されている。

 前回、私は、私がインドに行った事実について芳しい反応を得られないのはインドに対する偏見のせいだと語った。違うのかもしれない。これは、どう見てもオタクたる私のオタク性に対する『引き』だ。オタクとは、特定の事柄について尋常でない興味と執拗なほどの行動力を見せる態度一般のことだ。私の趣味嗜好、ひいては生き方が『オタク的』である限り、私は『オタク的』でない多くの人々から「なんか、すごいね……。」という言葉を引き出し続ける。

 会計はインド氏が端数を出してくれた。小田急線と井の頭線の交差する通路で、私たちは別れた。本当に、あっさりとした別れだった。「お疲れ様です」の響きの軽さが、毎日顔を突き合わせて働く同僚へ退勤時にかけるそれと同じだった。


 インドに行った女がモテないんじゃない。私が、モテない。
 私は自分がモテない理由をインドに責任転嫁して、現実逃避をしていたのかもしれない。インドに本当に非は無かったのだ。何もかも私の責任だ。私の、人生の責任だ。私がオタクなのは仕方がない。何せ、インドへサイババに会いに行ってしまうような父親の娘なのだから、生まれる前から運命づけられていたと言って良い。26歳。周囲の友人たちは子どもこそまだ持たないものの、ぼちぼちと結婚して身を固め始めている。いまこの瞬間も人は出会い、別れ、LIKEし、NOPEされ、インドでは観光客がリキシャのドライバーに景気よくぼったくられる。私の文章は、相変わらず朦朧としている。何もかも、下北の舞台が面白すぎたせいだ。あれは本当に良かった。まだ余韻から抜け出せない。役者から舞台の感想をふぁぼりつされた。怖い世界だ。それはともかく、あとでDVDの通販ができるか調べなくてはならない。特に目立ってよかった役者の次回公演も行ってみたい。

 オタクに、恋は難しいのだ。


(余談なお知らせ: ご好評いただいていた『T女史と監督』ですが、監督がときどきはてなを覗いていることが判明したため、一時的に非公開にしています。)