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on my own

話し相手は自分だよ

『背すじをピン!と』最終回に寄せて ──What Makes Us Beautiful

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『そんな昔のことなんか、早く忘れなよ』
この言葉の持つ冷たさ、突き放すような響きは、きっと言われたことのある者にしかわからない。言う方には多くの場合、まるで悪意がないことは分かっている。過ぎたことなんだから、『昔』のことなんだから、そんな事もう気にしなくて良いんだから。じゃあ気にするのやめよう忘れちゃおう! と、スッキリ気分を変えられるかというと、勿論そんなことはなくて、忘れたいことを綺麗に忘れられるように人間の脳ができているのならきっとPTSDなんて病名すらこの世界に存在しない。
では、忘れたいのに忘れられない記憶がある人にどう声を掛ければいいのかと言うと、全ての人に有用な、ユニバーサルデザインみたいな言葉や態度などは存在しない。抱えている苦しみやその深さは、十人十色に異なるのだから。中でも最悪の部類に入る(と、私が勝手に思っている)のは、冒頭の『早く忘れなよ』と、それから『もっと苦しい思いをした人はたくさんいる』とか『みんな同じように苦しいんだから』とか。苦しんでいる過去、苦しみそれ自体、苦しんでいる本人、これら全部まるっと貶めて打ちのめす、呪いのような言葉だ。



「僕 わたりさんのこと すごい… 尊敬するな…!!」
と、土屋くんは言った。(単行本二巻)
小学生のころに経験したとある出来事から、自分に自信が持てなくなってしまったわたりちゃん。自分が競技ダンスを始めたのはそんな自分を変えたかった、と話す彼女に、土屋くんは(自分だって好きだった女の子から「手汗すごい」と言われたトラウマがあるにも関わらず)そう言って感嘆の溜息を漏らす。なんのてらいも、躊躇いもなく、わたりちゃんを肯定する。
土屋くんは何でもないことのように発言しているが、実はこれってすごいことだ。同級生の女の子に対し、「尊敬する」というワードはそう簡単に出てくるものじゃない。これは土屋くんだけでなく、『背すじをピン!と』に登場するキャラクターみんなに言える事でもあるが、ダンスの技術云々の前に、自分のパートナー/リーダーを大切にする気持ち、敬う気持ち、支えようとする気持ちが、何気ない言葉やしぐさから本当によく伝わってくる。



『背すじをピン!と』で、男女のカップルが手を繋いで登場するだけで、なんだか泣けてきてしまうのはなぜだろう。
リーダーが手を差し伸べる。パートナーが歩み寄り、その手を取る。作中でも何度か登場するリード&フォローの概念は、どちらかに相手を慮る心が無ければ成立しない。善意の壁打ちではなく、コミュニケーションという名のキャッチボールなのだ。土屋くんもわたりちゃんも、みんな、時にぶつかりながら、時に手を繋ぎ損ねながら、なんとかして彼と/彼女と通じ合いたい、分かり合いたい、と奮闘する。
私たちの誰しもが、日常を生きていく中で、多かれ少なかれ『相手が自分を尊重してくれない』場面に遭遇する。それは家庭の中かもしれないし、学校や職場かもしれないし、家から徒歩3分のコンビニへと向かう道すがらかもしれない。それは予測できないし、予防できないし、多くの場合は反撃もかなわない。『尊重してくれない』場面に行き合うたび傷つき、疲れきった体に、暗中模索する彼らの思いがじんわりと沁みる。そして、自分もこんなふうに、自分の目の前にいる人への敬意を忘れたくない、と改めて思わされる。



「私からしたら 彼の方こそすごい 同年代の男の子にあんなひとはいなかった… あんなに素直に 他人に敬意を示せる人…」
と、わたりちゃんは思い返す。
少年漫画における「すごい男の子」とはどんな男の子のことだろう。卓越した身体能力? ずば抜けたセンス? リーダーシップ? ……土屋くんはぶっちゃけ、何も持っていない。彼はこのままダンスのプロになるわけではない。勉強も、あんまりできない。ついでに特にイケメンでもない。どこにでもいる、ふつうの男子高校生だ。それでも土屋くんを、「すごい男の子」たらしめているのは、他者に対する深い敬意だ。プライドや自己愛を持たない、底抜けの利他主義者というわけでは決してない。背すじを伸ばして歩いて行くのに必要なだけの誇りと自尊心とをきちんと背負った上で、彼はひとを尊敬する。そして周囲もそれに気づき、その気持ちに見合うだけの敬意をきちんと返す。美しい、コミュニケーションだ。




『背すじをピン!と』は面白いマンガだ。日本一競争が激しい少年ジャンプの誌面で、突然世界の巨悪と闘い始めたり、お色気に振りきったりすることもなく、毎週確実に、堅実に楽しませてくれた。ドキドキさせてくれた。マンガとしての面白さがぴか一であることは、たくさんの人が語っているところだと思ったので、私はすこし異なる視点からこのマンガを讃えてみようと思った。
最終話を読んで「せすピンロス」に打ちひしがれている人も、まだ読んだことのない人も、よかったら『敬意』というポイントから、この作品を読んでみてほしい。私もこの文章を書くために文化祭編を読み返したら止まらなくなって最新9巻まで読み切ってしまいそうだったので断腸の思いで切り上げてこの文章を書いています。




冒頭の『そんな昔のこと、はやく忘れなよ』という言葉、これはご多分に漏れず、私がつい最近言われた言葉だ。男子生徒の前を通るたびに汚い言葉を投げつけられ、私にラブレターを渡すことが罰ゲームになり、少し前まで普通に話してくれていた男子から「俺の机に触らないで」と言われるような中学時代を送った私には、わたりちゃんのトラウマは非常に、本当に、刺さった。私としてはとっくに忘れて気にしていないつもりでも、意識とは無関係に、ときどき、あの頃の嫌な感じがリアルに蘇ってしまう。私だってポケモンがわざを忘れるみたいに1,2のポカンで忘れたいし、あんなクソ野郎どものせいで気分が悪くなるなんて人生の損失でしかない。でも過去は消えてくれない。大切な思い出や嬉しかったできごとと同じように。
かわいくて頑張り屋さんのわたりちゃんと自分を重ねるわけではないけれど、少しだけ、救われたような気がする。土屋くんに、私も励ましてもらったような気がする。私もきっとこれから長い時間をかけて少しずつ嫌なことを忘れていける、嫌な自分を変えていける。そうだといいな、と思えたから、私からも土屋くんに、この言葉を贈りたい。
ありがとう。



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2016年7月のすじピンイベントにて。
左:バレエ経験者でなかなかポーズがキマっている、ピンクのドレスがお似合いのせーちゃん。
右:背すじは丸いし値札がぶら下がってるしポーズは変だが相当ご機嫌でニヤニヤしている私。