on my own

話し相手は自分だよ

『ラ・ラ・ランド』に住む、夢みるわれら

突然だが、ミッキーマウスの中には人間が入っている。



このブログを偶然開いてしまった人の中に、もしこの驚愕の事実をご存知ない方がいたのなら、本当に申し訳ない。心からお詫び申し上げたい。誰に言われるでもなく、禁忌だとはわかっていた。それでも言わずにおれなかったのだ。私もこの事実に辿りついたのはつい最近の事だ。どうして気づかなかったのだろう? あんな布と綿の塊が自立して歩き回るなんて、ましてや意思と思考力を持ち人間と会話が可能だなんて。考えれば考えるほど、えも言われぬ感情が腹の底から湧きあがる。騙された。騙されていた。だからあなたも、早く夢から醒めるべきだ。


私はミュージカルを愛していた。年間50回以上劇場に足を運んだ時期さえあった。しかし、私は知ってしまった。何ということだろう、私の愛したあの場所に集う彼らは『役者』と呼ばれる職業人で、あの場所で起こる出来事は全て随分前から入念に仕込まれた"猿芝居"で、始めから終わりまでひとつとして本当のことはないという。眩暈がする。あのすばらしい魔法のような景色や豪奢な宮殿、妖しい洞窟、暖かな家の灯りも何もかもすべて何の由緒も持たない作り物だって? そんなものはベニヤ板に塗られた騙し絵でしかなく、一定期間が過ぎれば無粋な業者の人間によって跡形もなく撤去される、そんなことは知らなかったし知りたくもなかった。そんな偽物に、偽の喜劇に、偽の悲劇に、時に笑い、時に涙し、本気で心を寄せていた私の純真を返してほしい。


気づけば私は嘘という嘘に完全に包囲されていた。テレビを付ければ嘘、本を開けば嘘、街を歩けば嘘、口を開けば嘘、いったい何が嘘でないのだろう。これは『机』だ、ただの"木"だけど。これは『お金』だ、ただの"紙"だけど。私たちが住む世界から嘘を一枚、また一枚と、丁寧に剥がしていった末に残るものこそが本当の世界だというのなら、私はいますぐミッキーマウスを殴り飛ばし、帝国劇場を焼き打ちにしてでも、その世界に辿りつかねばならない。だってここはまやかしだ。ないものをあると信じて泣いたり笑ったりするなんて馬鹿馬鹿しい、ナンセンスにも程がある。私を煙に巻いて化かそうとする嘘を今すぐ葬り去って、夢から醒めなければ。
夢から醒めなければ。


その瞬間、私は私ではなくなった。ただの有機物の塊になった。私が数えた二十余年という物語は、燃え盛るミッキーマウスからもうもうと立ち上る煙の彼方へと消えゆき、私の存在そのものは、めりめりと音を立てて崩れ落ちる天井の下敷きになった。私は悲鳴を上げた──『悲鳴』という概念さえもはや私には残されていなかった。くゆる煙の向こうに丸の内のぼうっと明るいビルの窓が行儀よく一列に並んでいる。そのうちあの窓も全て黒く塗りつぶされるだろう。ああ、『黒』も『塗る』も、ここにはもうないんだった……。




……とかいう『夢』を見ながら、私は早足で横断歩道を渡りきる。四月に入ったとはいえ、ひゅうと背を押す夜風の冷たさは上着の前を留めさせるのに十分だ。日中の賑々しさが嘘のように、ただ車が大急ぎで行き交うだけの有楽町を、私はひとり闊歩する。お堀の水面は窓灯りの一つ一つを律儀に明るく描き出し、役者の一人残らず退場した舞台をあざやかに色づけていた。上着のポケットの中で、半券が擦れる乾いた音がする。嘘の物語を見るためにお金と呼ばれる紙切れと引き換えに赤の他人から頂戴したペラペラの紙切れだ。


夢から醒めても、そこもまた夢。


愛おしい、と、私は思った。あったことも、なかったことも、あったかもしれなかったことさえ、すべて『私』の『物語』の一部だとしたら? 通り過ぎた場所や人のすべて、豊かに広がる無限の可能性のうち、私が選ばなかった何もかもが、今、私とともにあるのだとしたら? そして、今ここで呼吸をする私が、それらすべてを肯定して、小さく頷いたとしたら? それにはもしかしたら小さな勇気が必要かもしれない。もっとも、それは狂気と言い換えられるかもしれない。だけど私の人生には"それ"が必要だ。虚構の物語が、へたくそな芝居が、笑っちゃうくらい滑稽な茶番劇が。

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