on my own

話し相手は自分だよ

オンデマンド・レビュー『ドリフェス!』

10代の頃にNetflixとかApple Musicとか便利なサブスクサービスがあればよかったのにな、わざわざ在庫のある遠くのTSUTAYAに行かなくて済んだのに、とよく思いかけますが、10代の頃にそんな片手でアニメや映画が見放題のサービスがあったら10000%受験に失敗していたので、なくてよかったな、というところにいつも落ち着きます。Twitterも同様に、受験期にTwitterがなくてよかった。今の受験生は誘惑を振り切るのに大変だろうなあ。英語学習とか情報共有とか、有効に活用できる子はいるのでしょうけど、ごく一部だろうなと思います。私はおそらく大学受験期にTwitterが一般的でなかった最後の世代なので、そういう意味では「いい時代」に生まれたのかもしれない。とにかく誘惑に弱い。マシュマロ・テストとか全然我慢できる気がしない。


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さてドリフェス!です。このあと追加でいただいた追いマシュマロでとりあえず4話までみてねとのことだった(ありがてえ)ので、とりあえず4話まで視聴しました。ネタバレらしいネタバレはないけどいろいろ遠慮がないので注意してね。

私の周りにはいろんなオタクがいまして、特に舞台・観劇ジャンルに限って言えば、ヅカ、四季、アイドル、歌舞伎、2.5、などなど、本当にイカれた多彩なメンバーが揃っているのですが、その中でも私がいつも何となく文化が違うなと思っていたのが「アイドル」オタクの皆さんでした。AKB、ジャニーズ、KPOP、アイドル育成コンテンツ、若手俳優など。共通点は、「応援する」という行為に比重がかけられているところです。すなわち「アイドル」は「育てる」ものであり、「育てる」行為こそがオタクをオタクとして存在せしめている。
この思想が、私にはどうしても相容れない。

私はこれを、私の観劇オタクとしてのベースが劇団四季にあるからだと考えました。私は少なく見積もっても100回は四季の舞台を観ていますが、四季の役者がセリフを噛んだり、飛ばしたり、振りを間違えたりしているところを、(もしかしたら気づいていないだけかも……というのはさておき、)一度たりとも見たことがない。まじめなシーンでニラミンコのかつらが吹っ飛ぶとか、不可抗力のトラブルこそあれ、練習不足が伺えるような瞬間というのを本当に見たことがないんです。

そういう舞台を当たり前に見ていたので、自然と「役者は100%の状態で舞台に上がるもの」という期待が形成されています。役者は完成された状態であらわれるので、私の側に「舞台に上がれるレベルになるまで」の役者のストーリーを受容し楽しむという発想がない。アンサンブルばかりやっていた推しがプリンシパルにキャスティングされた瞬間などは膝から崩れ落ちるくらい嬉しいんですが、推しの成功や躍進の陰にファンの姿はなく、ただただ役者の努力だけがある。役者の皆さんはいつも「お客様の応援があってこそ」とおっしゃるが、客ができることはお金を出して彼らの日々のたゆまぬ努力や美しさやきらめきを購入することだけ(差し入れをする人もいますが。四季の出待ちは個人的にゆるさんぞ!!!)で、私の意識の中ではなんとなく、役者は客とは隔てられた場所にいて、基本的にアンタッチャブルな存在なんです。

私だけじゃなくて、ふだん幅広くミュージカル(500席以上のハコでかかる舞台)を見ている層って、この傾向が強いんじゃないかなと思います。たとえばミュージカル俳優ではないタレントが帝劇の舞台なんかに立つとだいたい批判が出るし、聞いた話では、とある人気演目のダブルキャストの片方が、あまりに歌が完成されてないので、舞台のヤマのひとつであるはずのソロナンバーのあとに拍手がまったく起こらなかった、なんてこともあったようで……。

というわけで、予備知識ゼロでドリフェス!を観始め仰天しました。「5次元アイドルプロジェクト」ってなんだ? と思いつつ。

し、し、素人・・・!!???
すごい、ものすごい、あっぱれなくらい、声優が、素人・・・・・。
観ながらだんだん情緒が不安定になってくるくらい、素人・・・・・・・・。

どういうことだよ・・・・・・と気が遠くなりつつも観続けると、たしかに徐々に、徐々に違和感はうすれ、それが声優が成長しているのか私の耳が適応し始めているのか、正直よくわからないながらも、ああ頑張っているんだな、彼らも努力しているのだな、というのがわかってくる。このへんで軽くググったりウィキったりすると、彼らが本当に声優としてはキャリアゼロで、舞台役者としてもまだまだ駆け出しだということが判明。(唯一、純哉くんの声だけ知っていましたが、『ボールルームへようこそ』の賀寿くんも、わりとちょっとアレだったな……と思い出したり……。)
なるほど、「2次元」のアニメキャラである彼らと、「3次元」の若手俳優である彼らをまとめて「5次元アイドル」なのか、と。2次元の天宮奏くんたちの成長と3次元の石原壮馬くんたちの成長がオーバーラップする構造になっているというわけなのであった……。

正直、本当に、正味な話、声はまずどんなに頑張ってもちょっとじょうずな素人だし、歌も特別うまくないし、ダンスも「あ~3Dモデルが動いている~」という感じだし、曲も歌詞も振り付けもおしなべてダサイし、これをどう楽しめば? という感じで、だんだん本当に気が遠くなってきて、あ~やっぱり私にアイドルコンテンツは無理なんだ、成長するのを待ってる余裕なんてないんだ、せっかちだし、マシュマロ・テストは我慢できないし(←別問題)、not for meでした、センキューグッバイ・・・・
と、心を閉ざしかけたところで、ふと、画面の中で誇らしげに踊る彼らを見て、私の脳裏に過る光景がありました。


IZ*ONE_Dear My Friends + INTRO + Memory│2018 MAMA FANS' CHOICE in JAPAN 181212

PRODUCE 48。
2018年の夏、偶然録画されていたこの番組をなんとなく観始めた私は、日本人と韓国人の女の子たちがともに夢とプライドを掛けて、一生に一度の挑戦に命を燃やす、その熱、いたましさ、ひたむきな姿勢に撃ち抜かれてしまいました。まだデビュー前のひよっこ練習生であるところの彼女たちは先生たちに何度も何度も叱られ、ダメ出しされ、「どうしてここにいるのかわからない」とか「何をしているのかまったく理解できなかった」とか煽るってレベルじゃねーぞ! という真顔コメントにひたすら耐え、それでもデビューを果たすため、最後の12人に選ばれるために何度でも立ち上がる。
当時、仕事が鬼のように忙しく、キツく、当たり前みたいに遅くまで孤独に残業し、土曜も仕事をし、日曜はまったく気が休まらず、朝起きた瞬間に「うわっ朝が来てしまった・・・・・来るなよ・・・・マジ・・・・・」と絶望するという毎日を送っていたのですが、毎週プデュを観ながら練習生の子たちといっしょに泣き、笑い、喜び、どんなに仕事がきつくても、「チェヨンちゃんやカウンちゃんが頑張ってるんだから私もがんばらなきゃ・・・・・」と気力を振り絞って、なんとか最もヤバイシーズンを、彼女たちとともに生き抜いたのでした。IZ*ONEがFNSに出演したときは本当に本当に嬉しかったな~~~。


そして気づく。私、アイドルコンテンツ、普通に楽しんでたじゃん!! 楽しむどころか、生きる糧にしてたじゃん!? チェヨンちゃんが笑うから私に明日があったじゃん・・・・・・???
そしてもう一つ気づく。私がずっと消費してきたのは「完成品がいきなり出てくる」コンテンツだった。私はただ、チケットを買ってそれを遠くから目撃するだけ。でもアイドルは始めから終わりまで、ファンとともにある。ずっと近くにいて一緒に歩いてくれる。「応援する」「育てる」ということにどうしても抵抗があったけど、きっとアイドルって、ファンが推しのために出来ることというのが、たくさんたくさんあるんだなあ……。それはそれで、とっても素晴らしく、うれしいことかもしれないな……。
と、いままで何だかんだと理由をつけて敬遠していたアイドルコンテンツの魅力というか、楽しみ方が、ちょっと分かったような気になったのでした。


ただ、最後にドリフェス!に話を戻すと、これは、これだけは本当にどうしようもないことだと思うんですけど、ふだん全身筋肉みたいな生身の人間が目の前でガシガシ踊って歌も当然うまい、みたいなのを見すぎていて、3Dモデルが踊る様子も、実際に3次元の若手俳優が歌って踊る様子も、どうしても物足りなくて、やっぱりアイドル育成系のゲームやアニメはnot for meだった……。上段で「楽しみ方が分かった」とか言っててそれかよ、という感じで、なんか申し訳ないんですが、同じ広義の舞台オタクとしてアイドル・若手俳優オタクの皆さんにはシンパシーを感じるし、特に2.5舞台のチケットの渋さにはいつも心底同情しているので、お互いチケットを協力したりなどして共存しましょうね、あと特に上手なワカハイの皆さんはぜひ2.5じゃないミュージカルにおいでください、という気持ちです。