on my own

話し相手は自分だよ

母が買い物依存症です。

母が買い物依存症です。特にTVショッピングとメルカリが大好きで、高価な健康食品や家電、ブランドの服やバッグなどを主に買っています。
母は長年、医療系の国家資格を活かしてバリバリ働いているシングルマザーで、一人娘の私が手を離れたこともあって、金銭的にはわりと余裕があるので、借金をしてまで買っているわけではありません。なので依存症と言うのは大げさなのかもしれませんが、埃の積もった段ボール箱が家じゅうに積みあがっている光景は、少し病的に思えます。
箱から出しもしないものを買うべきではないんじゃないか、と私が言うと、自分の稼いだ金を自分の好きに使って何が悪い、おまえはもうこの家の人間ではない(私は5年前に実家を出て都内で一人暮らしを始めました)のだから黙れ、と、取りつくしまもありません。
母にはもっと建設的なお金の使い方をしてほしいです。どうしたら必要のないものを買うのをやめさせられるでしょうか。


 ……Yahoo!知恵袋に書き込むなら、こんな感じだろうか。しかし私は、投稿ボタンを押す前から、この質問に付くであろうベストアンサーがどんなものか、自信をもって予想することができる。


お母様の言う通りです。人がお金をどう使おうが、他人が口出しできることではありません。それがあなたから見てどんなに無駄な買い物だろうが、です。無理な借金を繰り返したり、家族のお金を使い込んだりしてしまっているのでない限り、あなたにお母様の買い物をやめさせる権利はありません。あなたはもう家を出ているのですから、なおさらのこと。
まあ、アドバイスするとしたら、お母様はシングルマザーで少し不安定な精神状態にありそうですから、あなたがきちんとお嫁に行って子どもでも持てば、少しは安心してくれるのではないでしょうか。


 自分で書いててめちゃめちゃ腹が立ってきたが、私はこのセルフ知恵袋からのアンサーに言い返すことができない。私と母は、特に私が家を出た5年前からは、別の世帯の、別の人間だ。いくら私から見て無駄だからといって、母に説教をしたり、母の購買歴を監視したり、母の買ったものを勝手にメルカリで売り飛ばしたりすることはできない。私が同じ演目に何度も通うことを母が止められないのと同じように。
 それでも、私は、母に今のような無茶な買い物をやめてほしいと思うことを、やめられない。



 4月、私は晴れて無職と相成ってしまった(わはは)。かなりの数の企業が採用を中止しており転職活動もままならないので、事態が落ち着くまでしばらくの間、実家の厄介になることにした。母の職場は医療の最前線ではないものの、毎日の出勤が不可欠である。忙しい母の代わりに、80代後半の祖父母+犬(←世界一かわわん)の面倒を見ながら、炊事や洗濯など家事の大半を担当することが条件だ。


 実家生活が始まってほどなく、これまたショップチャンネルで買ったダイソンの型落ち品を手渡され、「これを使って家じゅうの掃除をしろ」との大役を仰せつかった。ショップチャンネルの録画を見せられて、こちゃこちゃと謎にいっぱいある付属ツールの使い方を学習したのち、ゴム手袋とマスクという重装備で仕事にかかる。家の至る所に、まるでダンジョンに落ちているアイテムみたいに母が買ったまま使っていないお掃除グッズが点在するので、浴室の掃除をする前に洗面所の掃除をすると「プロ仕様! お風呂場のカビ落とし」だの「業務用! 排水口のヌメリ取り」などが手に入るという、なんかそういうRPGのクエストみたいになっていて笑うしかない。


 母の軽度の買い物依存症は今に始まったことではないが、メルカリが登場してから悪化の一途をたどっている気がする。母としては、「定価で買えば高額なもの・日常で使える便利なものを、安く賢く買っている」という認識のようだ。箱から出しもせずに積んでおくのは、「今は忙しいけど時間に余裕が出来たら開けて整理をするから」と言い続けているが、趣味=仕事の母が忙しくなかったことなんてない。母は大雪の予報の出ている日の前日に「誰よりも早く出社して、やる気のある所をみんなに見せよう♪」というLINEを送ってくるタイプの人間である。


 しんどいのは、母が買ったものを見ると、母がどういう人間になりたい(見せたい)のか、どういう生活をしたいのかが、手に取るようにわかってしまうことだ。
 「アメリカ海軍でも使用、これ一本で玄関のタイルからエアコンのフィルターまでピカピカ」とか(ご家庭向け洗剤に航空母艦の汚れを落とせるほどのポテンシャルは必要ないと思う)
 「毎食ごとに一本水に溶かして飲むだけでみるみる痩せる」とか(母はダイエット歴30年のプロである)
 「栄養素を損なわずあっという間にスムージーができて毎日健康」とか(このブレンダーは埃の巨塔と化しており見るも無残だ)
 「誰でも簡単に美味しいパンが焼ける」とか(焼き立てを食べさせてもらったがパン職人への尊敬の念をいっそう深める結果となった)
 「おもてなし料理も材料を入れて放置するだけ」とか(おもてなしどころか部屋が汚くてまず客を呼ぶのが困難)
 そもそもTVショッピングはそういう商材を扱いがちということも勿論あるけれど、さわやかな風の通り抜ける明るくキレイな部屋で、朝はほうれん草のスムージーなんか飲んだりパンを焼いたりして、休日は友人を招いて小洒落た料理をふるまって「わあ、母子さんて料理上手~」とか褒めてもらって……たぶん、そういう生活を夢みているのだろう、ということが、もう嫌になるほど伝わってくるのが、とてもしんどい。


 学生のとき、社会学の教授が「人が生きるということはつまり商品を消費することなのだ」と断言するのを聞いて、いやそりゃ言い過ぎだろと当時は思ったものだが、なんだか最近、その通りなんじゃないかという気持ちになってきた。
 You are what you buy.
 消費は生命活動の維持に必要不可欠であり、同時に自己表現で、自己実現の手段でもある。


 そういえば緊急事態宣言が出る直前のある日、もう当面は楽しいお買い物なんかできないだろうと思って、ずっと欲しかったけどなかなか買いに行く機会がなかったものをいっぺんに買い込んだ。
 買ったものを並べてみると、ちょっといい電動歯ブラシデンタルフロス、ヘアオイル、バスソルト、ルームウェア、ルームミスト、ふつうのラグがふかふかになる下敷き用ラグ、ヨガマット……は高すぎて断念、リングフィットアドベンチャー……は何かの呪いかってくらい買えない、という感じ。しばらくは家にこもるのが前提であるとはいえ、お部屋の中で快適に暮らすこと、また体のパーツをメンテナンスすることに振り切れている。
 同じ状況でも買う人が違えば、好きなブランドの春物だったり、お菓子作りの材料だったり、詰将棋だったりするだろう。私の買ったものは、考えてみればめちゃめちゃ私らしい。それなら、私は今まで買ったことのなかったものを買えば、今までとは違う私になれるんだろうか。今度ちょっとやってみたい。


 母の買い物依存と掃除嫌いは筋金入りである。今まで何度も「手伝うから一緒に不用品を処分しよう」と申し出たが、そのたびにブチギレられて終了してしまった。
 「業務用! 排水口のヌメリ落とし」でオクサレ様が詰まったみたいな排水口を掃除しながら、それでも私は一筋の光明を見出していた。母がこのたび、私に家じゅうの掃除を言いつけたことは、実は革新的な出来事だった。母は今まで、料理や洗濯を任せることはあっても、掃除だけは頑なに手を出させなかった。その母が、自分のテリトリーに私が介入することを許し、母が母たるゆえんであったはずのショップチャンネルの箱の開封を許した。もしかしたら、母は、違う自分になりたがっているのかもしれない。何かを変えようと思っているのかもしれない。ただの思い過ごしかもしれないのだが、そうだったらいいなと思う。


 母は今までとにかく仕事ばかりしていて、その他のいろいろなことをおざなりにして生きてきた。一瞬だけプールやテニスにハマって道具を一揃い買ったことがあったが、疲れると言ってすぐやめてしまった。オブジェと化したバランスボールやダンベルは、埃を払って従妹が嬉しそうに持って帰った。本屋に行くたびに英会話の本を買い込み、ベッドサイドにどんどん積み上げていくのを、盗み読みして私は英語の勉強をした。
 ただ買うだけではだめだ。何かを新しく始めるには、今までしていた何かをやめなくてはいけない。一日は二十四時間しかないのだから、毎日三分プランクをするなら、三分、スマホをだらだら見るのをやめなくてはいけない。パンパンに膨れた箪笥に新しい服を入れるのなら、もう着ない服を捨てないといけないのだ。


 母が、何かを捨てて、新しい何かをそこに入れようとしているなら、私は応援したい。そしてその「新しい何か」が、「身体がどんどん若返る水素水」とか「癒しの波動を発するイルカの絵」とかでないことを祈るばかりだ。そのときは今度こそ、Yahoo!知恵袋に相談しようと思う。