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トワイライト・ウォリアーズ、面白過ぎる【5/11文学フリマ新刊サンプル】

 二月のある日。映画『トワイライト・ウォリアーズ』を新宿バルト9で見終わって、私は、ちょっと小腹が空いたな、と思った。映画が始まる前に併設のカフェでホットサンドを食べたけど、二時間の映画を観ているうちに、もう何か食べたい気持ちになってきてしまった。でも新宿三丁目のあたりって、ぱっと入ってぱっと軽く食べられる店ってあんまりないんだよな。マックでさえ新宿駅の方に行かないと無いし。しかも、どこも混んでて、高いんだよな。仕方が無い、帰って家にあるものを食べよう。そう思いながら、二月の寒空の下、やたら薄着の訪日客をうまく避けつつ、マルイアネックスの横の階段から地下に入って、電車に乗り込んだ。カタンコトンと揺られながら、私は、どうしてあの医者、最後に脱いだのかなあ、とぼんやり考えた。だって、それまではすごい着込んでたじゃん。覆面もしてたじゃん。パーカーの上にまたパーカー着る勢いの、フル防御だったよね?それがいきなり、どうしてあんな……どうして……。黒く塗りつぶされた地下鉄の窓に、乗客が写り込んでいるのを眺めながら、それでも私は、その時点では、「期待したより面白かったな」くらいしか思っていなかった。

 それは遅効性の毒のように、あるいは白いテーブルクロスにこぼした紅茶の染みのように、私の生活を少しずつ侵食し始めた。私はGoogleの検索アプリに「九龍城砦 歴史」と打ち込んだ。香港料理の店に行って叉焼飯を食べた。香港版のBlu-rayを注文した。図書館の閉架で、九龍城砦についての本を片っ端から読んだ。広東語の基礎についてのYouTube動画を見ながら六種類とも九種類ともいわれる声調を覚えた。広東語話者の友人の特訓を受け、「がうろんせんちゃい」だけはかなりネイティブに近い発音で言えるようになった。香港行きの航空券を予約した。四仔のちいかわ風アクリルキーホルダーを自作した。映画は一ヶ月で十回観た。火曜日は109シネマズで、水曜日はTOHOシネマズで、木曜日はTジョイで観た。吹き替えも観た。とうとう、香港のショッピングモールで行われていた映画セットの展示に行った。立て壊される前に九龍城砦があった公園にも行った。お粥を食べた。腸粉を食べた。夜景を見た。二階建てバスに乗った。楽しかった。


 やることが……やることが多い!


 どれもこれも、トワイライト・ウォリアーズが面白すぎるのがいけないのだ。ベトナムから逃れてきた密航者である洛軍がマフィアに追われ、まるで魔窟のようにそびえる九龍城砦に迷い込むというオーソドックスな導入。バイクに乗って現れ、洛軍の命をまっすぐ狙ってくる異常に顔の整った男。顔を上げずに「もう閉店だ」と言うだけで「このおっさん、ただ者ではない」と観客に本能で感じさせる爆イケさいつよ髭剃り親父。増築に増築を重ね、複雑に入り乱れた城砦の内部で働き暮らす人々。後々すごい脱ぐシャイな医者。懸命に働くことで徐々に受け入れられ、城砦の中に居場所を見出すという心温まる展開。そしてやっぱり私が一番好きなのはサトウキビ男おしおきシーンだ。幼い頃に両親を亡くし、誰とも心を通わせることなく生への執着のみで生き延びてきた洛軍が、城砦に来て初めて同種の魂を持った男たちと出会い、友情を結ぶ。四人ともが同じ売店で変装グッズを買っていたことを知ったときの、洛軍の花が咲きこぼれるような笑顔よ。自分のことを「坊ちゃん」と称するマンネ体質の十二少もカワイイ。その兄貴分である虎兄貴も声ガラガラなのに妙にカワイイ。原作者自身が「ロミオとジュリエット」だと明言している龍兄貴と陳占の秘密の逢瀬は何だか見てるこっちが照れくさくて、指の隙間から見たくなってしまう。そして迫り来る脅威、恐らくユーラシア大陸最強の気功使い、王九。ていうか、気功って何だよ!? 命とプライドと人生を賭けて殺し合う黒社会の男たち(プラス、一般覆面医師)。身を裂かれるように辛い別れと、敗北。城砦を追われた彼らは、ひととき、静かに寄り添い、傷を癒やす。でもさあ、やっぱ、四人集まったらすることって言ったら、麻雀じゃなくて、カチコミなワケ。俺たちの城砦を取り戻す! ぶっ殺すぞ、コノヤローーッ! 相手は不死身の気功使い(だから、気功って何?)。とにかく、物理、物理、物理! 物理で殺す! 轢き殺す! 殴り殺す! 紙切れにして殺す! 突如巻き起こる竜巻に、彼らは何を見るのか……そして、彼らは大切なものを守ることができるのか!?

 熱い。熱すぎる。どこまでがお芝居で、どこまでガチで殴り合っているのか判別の付かない熱い殺し合いの合間にも、香港の地理的・歴史的コンテキストを絡めたヒューマンドラマや、コミカルなやりとり、城砦の住人たちの決して楽ではないがささやかで前向きな暮らしぶりが窺えるシークエンスが挿入される。それがまた、すごくいい。キャラクター造形のバランス感覚もすばらしい。性格も見た目も全体的にすごくマンガっぽくてケレン味があるのに、くさくない。もしこれが平成の少年漫画だったら、信一はもっとチャラついた女好きですぐ若い子のおしりとか触って燕芬姐さんにシメられるし、四仔は根暗のAVマニアだし、十二少は多分もっと底抜けにおバカキャラ、洛軍は人間不信のヤンキーで、タレの調合を覚えられなくて皿をひっくり返して一度城砦を出て行くけどやっぱり生きていけなくて戻る、みたいなちょっと読者をイライラさせるくだりが絶対入るはずだ。しかし、実際そうではない。八十年代のトキシックなマフィア社会を描いているのに、キャラクターからは有害さを感じられない。これは本当に稀有なことで、「古い時代を描いているけど、価値観は古くない」作劇というのは可能なのだと、この映画は我々に教えてくれる。
 それと、『どうせ、「ケア」とか、「家父長制」とか言っとけば今時の批評っぽくなると思ってんだろ』と言われれば静かに目を背けるしかないのだが、でもでもやっぱり、この映画を語る上で、「男同士のケア」は外せない要素だと思う。「城砦四少」と呼ばれるメインの四人組が癒やし合い、支え合う様子は言うまでもなく、龍兄貴と信一がヤクザの親分子分を超えた親密な関係にあること、つまり龍兄貴が信一の育ての親であることが映画のあちこちで示唆されるのも見過ごせない。独り身で子育てするおじさんとか、ウチらが一番好きなやつじゃん(『ゲゲゲの謎』や『最強の軍師』の爆発的流行を見ても明白)!と、汗とよだれが止まらない。しかも、そこだけじゃなくて、十二ちゃんと虎兄貴も超仲良しなの、男同士ケアの過剰摂取で震える。あの、十二ちゃんがべろべろに酔った虎兄貴を車に乗せるとき、ぶつけないようにそっと兄貴の後頭部に添えられた優しい手、見ましたか?思い出すだけでオキシトシンが出てしまうよ~。男が男に優しくするところとか、男が男にすがりついて涙を流すところなんて、そんなん、腐女子じゃなくても見たいにきまってる。こんなん、なんぼあってもいいですからね。女がいちいちケアに駆り出されないし、反対にトロフィーにされたりもしないというだけで、見ているこちらのメンタルヘルスが飛躍的に向上するのだ。


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続きは5月11日文学フリマ東京40 せ-78『Sorewata』で頒布予定の
『トワイライト・香港 ―アジアと私、それから旅するということ―』で!!

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