「英語が話せるようになりたいなあ……」
学校や会社で英語力が必要とされる現代日本社会。
自分にもっと英語力があったらと、悩んでいる方は多いのではないでしょうか。
そして、そんなふうに思うことさえ、最近なんだか面倒くさくなってきていませんか?
この記事では、外国人留学生にまみれる生活を送り、
またNYで3か月間インターンを含む語学留学を経験し、
数多くの人の英語にまつわる悩みを聞いてきた私noiが、
本気で英語を勉強したくないあなたのために、
とっておきの「英語が話せるようになりたくなくなる」方法を伝授しちゃいます。
さっちゃんの幸せ
Twitterのbioに「/」で区切って好きな役者や演目を羅列する私達観劇ヲタがが見つめなおすべき“個性”と“意識”
本当は今から豚キムチを作る予定だったんだけど、どうしてもこれだけ言いたくて言いたくて具合が悪くなってきたので、書き終ったら豚キムチ作ろうと思います。おなかすいてるんで、手短に済ませます。
釣りかもしれない。炎上商法かもしれない。
それでもこのような記事が生まれ、拡散されていく現代日本社会に絶望しか感じません。心の中は……闇だ……。
具体例を上げると分かりやすいだろう。自分の説明をするツイッターのプロフィールの場で「/」で区切って好きな物をひたすら並べている人(これには共通の趣味の人を見つけやすいメリットがあるけど)、音楽や漫画や映画や小説を喋り続ける人、個性的な人の表面の表面を真似してアバンギャルドさを演出している人、道具みたいに彼氏のスペックを自慢する女の子、残念だけどそれはあなたの個性ではない。何かを好きある事自体が個性だと思っている人が多いけど、それはその人のアイデンティティでも無ければ、説明にもならないのだ。 (上記ブログ本文より)
このブログで語られているのは、つまりこういうことだと思う。違ったらごめん。
・個性があるほうが面白いし、人生楽しい。
・みんなが個性的と思ってることは実は個性でもなんでもない。
・好きなことを突き詰めて、表現、発信しよう。
さて、私達観劇ヲタは、私個人の実感としておよそ8割(いや、それ以上……?)の人達がbio(プロフィール欄のこと)に好きな役者や演目を書き連ねている。
例えばこんなふうに。
『スリル・ミーが大好きな女子大生。再演しないと放火しちゃうぞ。ご贔屓→松下洸平/柿澤隼人/良知真次 その他、洋画/BW/小劇場/Disney/写真/アート/SFも好き。』
おなかがすいてるんで良い例が浮かばないんですけど、こうやってスラッシュで区切られた羅列によって自分が何者かを説明しようとしている人が大半だ。
そんな我ら観劇ヲタは、このブログを書いた方にしてみれば、「みなさんは好きなものを表明しているだけで個性的だと思っている実は面白味のない無個性な人たちです。もっと自分の好きなものを追求して、ユニークなことを発信していきましょうね。」と赤ペンでも入れられてしまうんだろう。「いっぱい贔屓がいるわりに凄まじく中身が薄い」とか? 確かにたった一人を追いかけてる人って概して「濃い」人が多いけど。
でもちょっと待ってほしい。
観劇ヲタに限らず、人は人を楽しませるために存在しているわけじゃない。
「面白い」とか「無個性」とかジャッジされるために存在しているわけじゃない。
みんなお笑い芸人やアーティストを目指しているわけでもないし。
だいたい、「個性的である」こと自体、一種の幻想ではないの?
私たちは私たちが思っている以上に、ガッカリするくらいに、「普通」だ。みんな同じようなものを同じように好きになり、嫌いになり、買っては捨て、同じような、たとえ自伝やエッセイなんか出版したところで誰にとっても価値のない、そういう「普通」の人生を生きる。生きて死ぬ。「普通」に死ぬ。
この季節、電車の窓からホームを見ると、あまりに「黒い」ことに驚かされる。みんな同じような服を着て、同じようなアプリで遊びながら、何の変哲もない一般家庭に帰宅するために真顔でホームに並んでいる。
観劇ヲタなんか真に典型的だ。同じような役者を同じように応援して、観劇して、だいたい同じような感想を抱いて、「〇〇幕間! やっぱり××さん不調だな。でも##のデュエットは何度聞いても鳥肌♡」みたいなツイートをトイレの列でちまちまと流して、それの繰り返し。ときどき諸事情により贔屓を入れ替えながら。
いや、いいじゃん。
全然いいじゃん? だってみんな「普通」なんだから。「普通」に生きているんだから。
何かを好きであるだけでは「個性」としては弱い? よしもとのオーディションじゃあるまいし。『一億総ピン芸人』とか某さんが掲げてるわけでもないし。
どうして「個性的である」ことが「楽しさ」や「幸せ」、果てには「人生の意味」なんてものへとまっすぐに向かうと言えるだろう。
発信することも表現することも良い事には、楽しい事には違いない。
ただ、それだけが人生じゃない。あなたが言う「表現」だけが、「表現」じゃない。
パン屋でバイトしている女子高生がパン生地をこねることも、ホームレスのおじさんが段ボールの上で寝ることも、ついには背筋をしゃきっと綺麗に伸ばして歩くだけの行為だって「表現」になりうる。
家に帰って、あ~~とか疲れた~~とか言いながら重い鞄を下ろして、ネクタイを緩め、寝ている飼い猫の頭にそっと手を伸ばす瞬間こそが、最もその人がその人らしい、輝いている瞬間であることだって、たぶんある。たぶん……。
で。私たち観劇ヲタは「個性的」になるべきでしょうか。他人と違う自分を積極的に発見して行くべきでしょうか。贔屓をスラッシュで区切ることを卒業して、表現者のひとりとして自覚を持って生きるべきでしょうか。
全部NOだ、馬鹿野郎。「個性的」な人の「表現」する「個性」とかいうものが見たければアメブロのランキングを上から順番に見ていけば良い。あと若手歌舞伎役者の坂東巳之助・坂東新悟両氏のブログめっちゃトンでて面白いです。マリウスで衝撃デビューした田村良太氏の昔のブログとか、キメてるとしか言いようがなくておすすめ。
何にも作れない、名前なんて残せない、もし沢山の人を楽しませられるとしたら何だろう、シンデレラ城の前でプロポーズしてフラれるとか? そのくらい。
そんな「普通」で「平凡」で「没個性」で「面白味のない」「凡人」が寄り合ってなんとか暮らしているのが社会で、歌えもしなければ踊れもしない人たちがなけなしの給料を紙切れに溶かして2時間から3時間じっとお利口に座ってるのが劇場だ。
いいじゃん、平和じゃん。
そんなふうに思ってしまう私もまたどうしようもなく「普通」で、アイデンティティなんかどこ探したって無くて、「BEFORE AFTERサイコーーー!!!」とか「ワンピース歌舞伎サイコーーーもサイコーーーー!!!」とか、ゴミみたいなIQを露呈するツイートをこれからも繰り返す事だろう。
たぶん、死ぬまで。報われなくても、蔑まれても、誰かと同じような人生でも。
丸1年まじめに通った英会話教室を退会してきたのでdisります
駅らしき場所で、外国人観光客らしき人に向かって、道案内らしきことをしている女性の横に「言いたいことが言えるって 楽しい!」と書いている広告を見て「お前の"言いたいこと"はそのレベルでいいのか?」とぼんやり思いました。のいです。
3年程だらだらと通っていた英会話教室をすっぱり退会してきました。
先に入会していた母から譲渡されたポイントを利用=つまり自分の懐は全く痛まないという状況もあり、最初の2年はほとんど身が入らず、何度も教室から「早く次の予約を入れろ」と電話が来る体たらく。しかし、これはいけない、っていうかまず母に殺される、と(命の)危機感を抱いてやっと本気で通いだし、1年でポイントを全て使い切り、このたび晴れて退会と相成りました。
そしてその最後の1年でたくさんの教師に会い、生徒に会い、いろいろと英語学習について考えたので、自戒の意味も込めてブログに残しておこうと思います。
どの英会話教室か、直接名前は書きませんが、少しシステムを調べたことのある方ならすぐにお分かりになるでしょうし、通ってる方なら尚更かと……。結果的にdisるような文面になっちゃってますが、この記事にその英会話教室(以下、A校)を誹謗中傷する意図はありません。(こういうふうに言っとけばま~角が立たないだろ~という安易な心根が透けて見えますね。)
私、のいの結論から言うと、『A校は、実践的な英語を話せるようになるための場所ではない』。
私は実践的な英語を話せるようになりたかったので、A校を退会する選択をしました。
じゃあ、何のための場所なんだよと聞かれたら、たぶん、
『英語が趣味の人が、お金を出して英語を話しに行く場所』だと答えます。
『実践的な英語の勉強』と『趣味の英語の勉強』は、あまりにも違いすぎる。
少し考えれば至極当たり前のことなのに、なんでもっと早くに気が付かなかったんだろう? のいのバカ! もう知らない!! のいとメイでちょっと韻を踏んでるんですね……。自分で言っちゃうのがあまりにも愚かだよね……。
去年の2月頃からでしょうか。突然、英語本気モードに入った私は、かなり真剣に英語が話せるようになりたくて、メッチャがんばってA校に通ってました。本気でした。本気と書いてマジと読みました。
去年の9月頃にはA校の最高レベルへのレベルアップテストに一発で通り、「駐在経験のある方、帰国子女が英語を忘れないために通うようなレベル」と聞いていたのに留学経験もない純ジャパニーズがこんなに簡単に入れていいんだろうか……? と過度に恐縮しながら、そのレベルのレッスンを受け始めました。
正直、かなりピンキリでした。確かに、時々「なんで来てるの?」と聞きたくなるようなネイティブレベルの人もいる事にはいる。しかし……。
もういいかな? なるべく理性を保って書きたいと思って、ここまで比較的まじめに書いてたんだけど……いいや!! 言っちゃう!!!
あのね! へたくそな人がね!! 多すぎる!!!
言っちゃった!!!
ってか、最高レベルでこれってどういうこと!? マジで聞いてるだけでイライラする。40分のレッスンがその生徒さんのせいで苦行と化す。発音、最悪。構文、最悪。ボキャブラリーだけは、異常に豊富。sustainableだのfarfetchedだの、日常会話では(ましてやノンネイティブの一般人は)ほぼ使わないだろう単語が切手のコレクションみたいに脳に収まってる。でも動詞の活用も微妙にままならないのにそんな単語だけ脳に蓄えてどうすんの? 相槌は「オウ、リアリー?」の一点張りだし?? こういう人がひとりレッスンにいると、途端に講師の話すスピードが落ちる。リスニング練習も、スローモーションみたいになる。講師は彼らの文法の誤りを訂正しない。ハチャメチャな時制も直さない。カタカナ発音された単語を繋いで、あいまいな星座を作るようにして会話を理解している。ヘタクソ達は講師の優しさに包まれて40分を終える。不完全燃焼の私だけが狭い教室に取り残される。
私、憤怒しました。
憤怒に塗れ、若いエネルギーを武器にして、どうしてこんなにも英語力に差が出てしまうのか、実地調査に乗り出しました。レッスン中や休憩時間に話しかけ、相手から英語学習歴や仕事で英語を使うか、ここの外で英語を学ぶ機会があるか、聞き出しました。使う駅が一緒なら改札までぴったり付いて行ったし(それが自分の父親ほどの歳のおっさんであろうと)、本気でこの人の英語はヤバイ、上手いと思ったらその場でお茶に誘いました(綺麗な女の人だけです)。
結果。(例外もあります、印象です)
英語うまい人→学生時代から英語に親しんでいて、仕事でもバリバリ英語を使う。A校にはそんなに長く通っていない(1年以下)。省庁にお勤めだったり、長期の留学経験があったりする。
英語ふつうの人→英語に関わる学部を出たけど、仕事はそこまで関係ない。英語の歌を歌ったりドラマを見るのは結構好き。A校は2~3年目。
英語ヘタクソな人→『英語は趣味』。A校には大分長く通っている(長い人で10年以上)。A校以外で英語を使う機会は、年に一度の海外旅行とか、道案内。
は~い! ここで、英語ヘタクソな人のモノマネやりま~~す!!
『えっ? 全然、ぜんぜ~ん!! 英語は趣味ですよ~。もう、ずっと通ってて~。10年くらいになるかな? も、楽しいからやってるって感じ』
Yes、英語が上手い人は、A校で英語を勉強してなかった。英語が下手なひとは、みんなA校にこつこつ楽しく年単位で通い続けていた。
いやほんと、ちょっと考えれば分かることなんだよ!! わざわざ調査なんかしなくっても!!! つまりこの記事は私が私に鞭打つ意味もあるんです。せっかく金を使ってるんだから、頭も使うべきだったと。どこの下水道から湧いてこられたか知らないが、英語ヘタクソマンが大量発生してるのを目撃した段階で退会するべきだったと。まあ、そうやって綺麗なお姉さんとお茶とかして、良い出会いもあったから悪い事ばかりではなかったんですけど……。
そんな察しの悪い、あほな私がA校を退会する決定打となった、講師の一言があります。
『ぼくたちは英語教師ではない。ぼくたちがやっているのはカスタマーサービスだ。生徒に気持ちよく英語を話してもらう接客業みたいなものだ』
これがA校全体の指針なのか、彼自身の仕事に対する姿勢なのかどうかは、私には分かりません。それでも、彼の一言で、いままでぼんやり抱いていたA校への違和感が、突如としてクリアになり、私の後頭部を殴り飛ばしたことに間違いはありません。
というわけで、退会してきました。予想に反して全く引きとめられませんでした。ぶっちゃけちょっと淋しかった。
『普段、外国人と話す機会のない人が、楽しく英語を話して、それを年単位でこつこつ続けることの何がいけないのか。他人の趣味や楽しみに口出して、ヘタクソなどと貶して、果てには下水道だの、「モノマネしま~す!」って、てめえ何様なんだよ!! 自由の女神像に刺さって死ね!!』
はい!! 重々承知です!! 刺さって死にます!!! 何ならエッフェル塔にも刺さります!!! あと下水道のくだりは、このまえ観た歌舞伎のセリフをど~~~しても使ってみたかっただけなんです!!!
でも本当に、心の底から、彼らのヘタクソっぷりが我慢ならなかった。そしてそのヘタクソなアイアムえーっとスチューデント英語をにこにこしながら聞いて、ひとつも訂正しない講師も、煮えくりかえるほど腹立たしかった。
私の友達にエスペラント語を勉強している子がいます。
エスペラント語はご存じの通り、人工言語なので、母語としている人は地上に存在しませんし、エスペラント語を学ぼうなどという酔狂な人の輪の中でしか通じません。それでも彼女はエスペラント語の学習を楽しんでいるし、なにより『そんな"まったく使えない"言語を学んでいるという状況』そのものを楽しんでいる。
私がA校で出会ってきたヘタクソの皆さんも、やってることはそれに近い。でも、彼らがエスペラント・ガールと同じ心境で勉強を楽しんでいるかと言えば、そんなことはまず確実にない、ないはずだと信じたい。だって虚しくないですか。決して安くないお金をつぎ込んで、年単位の時間を使って、現地のネイティブにはほとんど通じないだろう英語しか話せないなんて。
A校を退会したあと、どこで英語を勉強しようか、まだ決めていませんが、ひとつだけ確かなことがあります。
『英語ネイティブの彼氏作るのが一番早い』
とりあえず、ハーレクイン読んで勉強します。もちろん、原著を。
アジアの安宿に泊まろう! ドミトリーという選択
「アジア」「安宿」「ドミトリー」という語群から何を連想されるだろうか。
「南京虫」「沈没」「不衛生」「大麻」等を連想された方は、恐らくヴィレッジヴァンガードで旅行本を立ち読みしすぎか、単に『深夜特急』の読み過ぎです。いや私も別に『深夜特急』読んだことないけど。だいたいそんな感じじゃないの?
お芝居のある一日 のいの場合
『お芝居がある1日を、シミュレーション/観劇デビュー特集』(https://www.ozmall.co.jp/special/2015032400e/theatergoing.aspx)などという記事が軽くTLを焦がした件はまだ皆さまの記憶に新しいかと思います。それを受けて、このたび、「リアルな観劇女子の一日を書いて!」とリクエストを頂いたので、『私(のい)にとっての、お芝居のある一日』のモデルケースを書き出してみます。
※あくまで、私にとってのモデルケースですので、全ての舞台オタクがこのような一日を送っているわけではありません。「私はもっとオシャレな一日を過ごすわ!!」と憤りを覚えた方はそのオシャレライフをどうぞFacebookやInstagramでシェアしていいね!してもらってください。
それでは、とある舞台オタの、お芝居のある休日を覗いてみましょう。
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