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話し相手は自分だよ

同人サークル『それわた』について

▼『それわた』とは?
「たほ」と「のい」の二人が楽しく遊ぶサークルです。
最近、Youtube 配信を始めました。
ぜひこちらよりチャンネル登録してください。

 

▼次回の活動予定

2023年5月開催予定の文学フリマに出たいな~と思っています。

『このミステリーが(ある意味)すごい!』をテーマに小説を書きたいです。

 

▼活動履歴

2022.11 COMITIA142

2022.5 COMITIA140


▼既刊

★『ねとらぼ』で紹介されました!

自分とまわりに向き合うエッセイ 同人誌『それが私にとってなんだというのでしょう』が向ける生き方へのまなざし(要約):司書みさきの同人誌レビューノート - ねとらぼ

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この世界のどっかで生きてる恋愛が無理なあなたへの手紙

Netflixで配信中の映画『そばかす』を見たら怒りで気が変になりそうになって感想を書こうと思ったんだけど思うままに書いたらただの悪口にしかならなさそうだったので代わりにエッセイを書きました。
『そばかす』のネタバレが一カ所だけあります。
もしかしたら似た経験をしたことのある人には読んでいて苦しくなる部分があるかもしれません。元気なときに読んでください。

 

 


私の友人の話をしたい。
私たちは二次創作のBLを書いて同人誌を作ったりする、いわゆる同人女で、当時放送されていたアニメの同じカップリングが好きで出会った。彼女はフォローゼロ・フォロワーゼロでひたすら壁打ちをしていた私をフォローしてくれた、ただひとりの自カプ仲間だ。すぐに仲良くなって、LINEも交換したし合同誌も出した。出会って6年近く経つけど、新幹線の距離に住んでいることもあってまだ4回しか会ったことがない。それでも私たちはLINEや電話でいろいろなことを話した。特に、アニメがかなり中途半端な感じで終わって、自カプの新規燃料も完全に途絶えて、二人の中で自カプへの思いが煮詰まりすぎて、攻めの子ども(もちろん私たちのオリキャラ)がアメリカのインターナショナルスクールに進学した先で出来た友達(もちろん私たちのオリキャラ)と繰り広げる毎日(純度100%の妄想)について夢中で話していて、ある瞬間に「これはもう二次創作と呼ぶべきではない」と二人して我に返ったあたりからは、オタク話以外のいろんな話をするようになった。

 

 

 

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友人と二人で登ったスカイツリーで。

 

 

 

ところで、私が二次創作を含む創作活動をするモチベーションの最たるものとして、「この世のどこにも私のためのフィクションがない」という欠落感がある。何か作品を見ていて、「このキャラクターがどうしてこんなことをするのか、よくわからないな」とか「この展開はなんとなく不愉快だな」とか思うことは、もちろん誰にでも起こりうるが、私の場合、何を見てもほぼ必ず、『意味のわからない瞬間』や『私にとって不都合な展開』が訪れるのである(注1)。もちろん心底大好きな作品はちゃんとあるのだがものすごく少ない。他人の作るフィクションは、そういう意味で常に私にとって『異物』だが、自分で書いちゃえば、当たり前だが、その中では私にとって意味のわかることや都合のいいことしか起こらない。それがあまりに心地よく幸せなので、自分を救うためにもう何年も小説を書き続けている。

 

 

 

そんな私の書くものを好きになってくれた彼女もまた、私同様にピンとこないことが多いらしい。有り体にいえば、つまり、誰かを好きになって、胸が苦しくなって、会えない時期が続くと苦しくて、他の子と話していると嫉妬して、相手も同じ気持ちでいるか不安になって、思いが通じ合ったら嬉しくて、独占したくなったり、気持ちがすれ違うとつらくて、一人の夜にふと涙が出たりする、みたいな、恋愛なる行動様式一般に見られる鮮烈な感情の何もかもが、我々にはどうにも共鳴しづらく、分厚い壁一枚隔てた向こう側にあるように感じられるのだった。ただでさえ理解に苦しむ恋愛感情に性的欲求まで加算されるともう完全にお手上げで、「好きだからセックスしたい」はもうなんか「おなか空いたからカラオケ行きたい」くらい全然よくわからない(「おなかが空いた」も「カラオケ行きたい」も個別ではまだ理解できるのでなおさら厄介である)。フィクションでよく見る「オレはおまえのことが好きだ」「私も好きだよ」「違う、違うんだ、オレはおまえを『そういう』意味で好きなんだよ……(苦しげに俯く)」みたいなやつも、それは「好きだ」じゃなくて「おまえとセックスがしたい」とはっきり言うべきだと常々思っている。

 

 

 

あの日の夜、私は彼女と電話をしていた。私は電話をするときに部屋の中をグルグル回る習性があって、その日もやっぱり狭い自室の中をグルグル回りながら話をしていた。私は彼女よりちょっとお姉さんだったが、二人ともまだ二十代で若かった。本棚、テレビ台、ベッド、デスク、キッチンのある狭い廊下へと繋がるドア、また本棚、テレビ台、と、なけなしの家財道具をひとつひとつ確かめながら私は『恋愛をしない人間が社会の中でどんな目に遭うのか』について話をしていた。私は三十路を目前にしたいわゆる適齢期の人間で、その頃にはこの世の恋愛をしない人間が浴びるであろう大体の言葉を既に浴びてきていた。いっぽう彼女はその時まだ国家資格のために大学院に通っていたところで、そのような体験をかろうじて免れていた。
今思えば、あれは呪いだった。
──あのさ、この社会で恋愛に興味が無いとか、ピンとこないとか、無理だとか言うと、「そんな人間がいると思えない」とか、「まともじゃない」とか、「本当に好きな人に出会ったことがないだけだ」とか、「トラウマで異性に対して忌避感があるのかもしれないからカウンセリングに行ってみたら」とか、「自分磨きをしない言い訳だ」とか、「誰にも選ばれない自分を受け入れられないだけだ」とか、「理想が高すぎるんだ」とか、「人間として未熟だ」とか、「もっと明るい服を着てちゃんとメイクをしなさい」とか、「そんな人生になんの意味があるの」とか、「そう思い込んでいるだけで、頑張れば大丈夫だよ」とか、「私の言うとおりにしないと後で後悔する」とか、「おまえは愛情のない心が冷たい人間だ」とか、「自分が特別だと思ってるんだろ」とか、好き勝手に踏み込まれてジャッジされて説教されて、本当に酷い目に遭うんだよね。
私は誰にも何かを要求していない。「恋愛をしない私がもっとも正しい」とか、「恋愛なんてばかげてるから私に恋愛の話をするな」とか、ましてや「恋愛しない私を褒め称えろ」などとは一言もいってない。ただ、私なりにふつうにしていただけである。それなのに、人びとはただふつうにしているだけの私を大慌てで否定し、顔をしかめ、なんらかの欠陥を見出し、ときに同情したような顔で「なんとかしよう」としてくれる。そういうことがいくらでもあった。学校で、バイト先で、家庭で、職場で、飲み会で、数え切れないくらいあった。そういうことについて私は何の配慮もなしに彼女に話してしまった。
彼女はびっくりしていた。「私は幸いなことにまだそういうことを体験してないけど、のいさんは本当にいろいろ大変だったんだね。怖いね」と不安そうに言っていた。
あれは呪いだった。『そばかす』を見て、それに気づいてしまった。私はグルグル回りながら自分の本棚とかテレビ台とかのことはよく見ていたが、電話の向こう、新幹線の距離にいる大切な女友達のことは、何一つ見えていなかった。

 

 


先に述べたように、現在の私は『この世で恋愛をしない人間が遭遇する不都合な出来事』の大半を既に通過し、かといってアセクシャルやアロマンティックを自認することもなく、恋愛をしたいともしたくないともできるともできないとも何も思わない、そうやって性的指向を自認する行為そのものをブン投げたおかげで、かなりニュートラルな場所に泳ぎ着いた。手のひらサイズの金属の板とか目の前の金属の箱のおかげで、私みたいな人間が世界中にありふれていることも、さらにはそれが欠陥でも疾患でも何でもないことをもとうに知っているので、もはや悲しんだり困ったりすることもなくなった。『それ』がなくても私の内的世界は美しく完璧なのだと、長い葛藤を経てようやく心から思えるようになった。
でも、ここに来るまで本当にきつかった。“ふつうに”恋愛できたらどんなにラクだろうかと何度も思った。そういう感じの人たちがいるということは少しずつ知られるようになり、『理解』が広まってきた感はあるものの、ようやく出てきたフィクション内のアセクシャルは無表情の不思議ちゃんばっかりだし、「どこかが欠けている私たち」みたいな書かれ方を見るたびに怒りでどうにかなるかと思った。

 

私は、今この社会に生きている私と似た感じの人たちや、今後生まれてくる人たち、まだはっきり自覚してないけどもしかして自分ってそうなんじゃないかと薄々思っている人たちに、絶対に、私と同じ目に遭って欲しくない。

 

私の、あのたったひとりの自カプのフォロワー、一体そんなんどこで見つけてくるんだと言いたくなるような訳わかんない変なLINEスタンプを山ほど持っていたり、家に泊めてくれたお礼にと木箱に入ったかなり豪華な柿の葉寿司をクール便で送ってきてくれたり、久しぶりに会う約束をしたら向かう途中で交通事故に遭って救急車で運ばれたけど結局どこも怪我してなくて3時間くらい遅れて半泣きのフニャフニャの顔で現れたりする可愛いやつが今後、『そんな感じ』であることで悩んだり苦しんだり心が凍り付くような経験をするなんて、絶対絶対絶対に、あってはならない。

 

 


『そばかす』のラストシーンで、主人公と同じようなタイプの人間であることが示唆されるキャラクターが、こんなことを言う。
『なんか、嬉しかったです/おんなじこと考えてる人いるんだなあって/おんなじような人がいてどっかで生きてるんなら/それでいいやって思えました』
私だったら、こんなに健気で可愛いことは絶対に言わない。異物扱いされて、否定されて、一方的に説教されて、勇気を出して言い返したところで絶望的な溝がどうしても埋まらなくて何も状況が変わらないとしても、『おんなじような人がどっかで生きてるならそれでいいや』なんてそんなふうには一生思えない。
ふざけるなと言いたい。
たとえ『お話』の中だろうと、私に似た感じの人間にそんなことを言わせるな。
私に、私の友人に、私の後輩に、これから生まれる私に似た感じの人たちに、『それでいいや』を押しつけるな。理不尽の中に取り残された状態を爽やかな笑顔で受容させるな。『それでも強く生きていく』みたいな感じにうまいことまとめるな。全然よくない。全然、よくないんだよ。よくないって、言わせてくれよ。

 

 

 

もしこれを読んでいる人の中に、世界のどっかで生きている、私と似たようなことを考えている人がいたら、私があなたに言いたいことは、私はあなたがどっかで生きているだけでは全然満足しなくて、あなたが毎日好きな人や好きなことに囲まれていて、時々仕事でミスしたり車に轢かれたりしてもおいしいお寿司食べたら忘れちゃったりしながら、誰からも踏みにじられることなく健やかに生きていて欲しい、そういう当たり前の幸福が何の苦労もなくあなたに降り注いでほしいと本気で思っているということである。
恋愛する人も、しない人も、セックスする人も、しない人も、みんな等しく気持ちよくほっとかれてほしい。そこにはそれぞれの人生と選択があるだけで優劣なんかない。それぞれの小さくも祈りの込められた選択が、叩き潰されることなく、自由に枝葉を伸ばせるような、そういう広く豊かな土壌の上に数限りなくあるといい。本当にそう思う。

 

 

 

そして私の友人には、あの日、何のフォローもなくあんな話をしたことを謝りたい。あのとき私は、自分が経験したことを話した後に、「でも、あなたも私も、こんなことを経験するに値しない」ということをはっきり言うべきだった。ただ怖くて不安な思いをさせただけになってしまったことを後悔している。次に会った時、今度は私が東京で一番うまいと思っている寿司屋に連れていくし、今いるジャンルの話を地球が滅びるまで聞いてあげるので許して欲しい。そして、私はあなたのことが大好きなので、どうか、これからも私に訳のわからない変なLINEスタンプをいきなり送ってきて欲しい。

 

 

 

※1 完全に蛇足なので以下は読み飛ばしてもらって構わないが、じゃあいったいどういうフィクションなら訳がわかるしおまえにとって都合がいいのか、と疑問に思われた方のために私が好きな感じの話の例を挙げておく。例えば吉本ばななの『キッチン』の続編である『満月――キッチン2』。主人公のみかげが出張先でテキトーに入った店で食べたカツ丼がおいしすぎて、これをかつての同居人である雄一にどうしても食べさせたくて、タクシーに乗って雄一に会いに行くシーン。『キッチン』でも『キッチン2』でも二人の間に恋愛感情は生まれないし、最終的に二人が惹かれ合うわけでもない(もしかしたらセックスくらいはしたかもしれない)。それでも「うまいカツ丼を食べさせたい」という思いひとつで尋常でない行動力を発揮するみかげは愛おしいし、真夜中の道路をホカホカのカツ丼とみかげを乗せたタクシーが駆けていく情景はとても美しい。ここでもし、みかげが「私はやっぱり雄一のことが好き。これからは隣でいっしょにカツ丼が食べたい」とか言い出したら全てが台無しだった。ただ彼にうまいカツ丼を食わせたいという気持ちひとつが暗く静かな伊豆の夜に光っているのがとにかくいいのだ。あとは映画だと『once ダブリンの街角で』とか『ガタカ』、舞台では『The Curious Incident of the Dog in the Night-Time』や『NEXT TO NORMAL』、マンガなら『ファンタジウム』や『LIMBO THE KING』みたいな話が好き。

5/21 東京文フリ参加します

直前のお知らせになってしまってすみません。

東京文フリ、W-27です。

たほちゃんといろいろおしゃべりした対談集を50円で頒布します。既刊もあります。

イベント後に期間限定の自家通販も予定しています。

みんな遊びにきてね〜。

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同人女のスピーチ a.k.a. 11/27 コミティア参加のお知らせ

●11月27日(日) 東京ビッグサイトにて行われるCOMITA142に「Sorewata」として参加します。スペース番号はG30aです。「Sorewata」についてはこちら

●新刊「それがわたしにとって何だというのでしょう? vol.2」(たほさんとの合同本)に掲載予定のショートエッセイの中から一編を全文公開します。

●イベント当日、当スペースにて、文中に出てくる結婚式の友人代表スピーチを完全収録したペーパーを無料配布します。お気軽にお立ち寄り下さい。

 

*

 

 あの日のことは、まるで昨日のことのように思い出せる。つまり、『T女史』ことオタク友達たほさんから、「のいちゃん、私の結婚式で友人代表スピーチをやってほしいんだけど」と告げられて、「ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!」と、むずがる幼児のように騒ぎまくってしまった日のことである。


 考えてもみてほしい。だって、『私』は絶対に『違う』ではないか。普通、結婚式の友人代表スピーチって、家族ぐるみの付き合いのある近所の幼馴染とか、汗と涙の日々を共にした女子バレー部の友達とか、そういう、納得感、おなじみ感のあるポジションの人間が務めて然るべきだと思う。彼女とは、生まれた病院も保育園も学校も予備校も職場も最寄り駅も、何一ついっしょではない。ある日、ビッグサイトの東ホールに行ったら、友人のスペースで売り子をしていたのが、たほさんだったのだ。
 そんなわけで、当然、たほさんの親族は誰も私のことを知らない。それが、私の抱いた懸念の最たるものだった。そんな、どこの馬の骨だか知れない女が突然しずしずと前に出てきて「たほちゃんと私の思い出」みたいな話を始めたところで、存在しない記憶を語るヤバい奴にしか見えないのではないか。新郎である通称「どつ本」とはかろうじて面識があることが唯一の救いだが、それでもあふれ出るアウェー感は拭い去れない。極め付けに、会場は都内の超がつく高級ホテルである。そんなところに持って行ける顔なんかない、頼むから会場を変更してくれ、「〇〇市民ふれあいセンター」とかに、と泣きついたが、梨のつぶてであった。
 このように、とにかく「におもきまずい」ということを切々と訴え続けたのだが、たほさんは「のいちゃんは私の手持ちの中で国語力のパラメータ値が最も高いポケモンだから」と言って、頑として聞いてくれない。それどころか「好きにやってくれてかまわない」「ふつうの式にしたくない」「ブチ壊してほしい。やったれ!」などと、およそ結婚式の話と思えない要望が次々と飛んでくる始末。もうどうなっても知らないぞ、と半ばヤケクソになった私は、結局ぶつくさ言いながらも、友人代表スピーチを引き受けたのだった。

(ちなみに私はスピーチ以外でも、Twitterのフォロワーが数千人単位のたほさんの友人数名が参列すると聞いて、「αの女たちのテーブルにβの女を混ぜるな」などと騒いでたほさんを困らせた。)

 

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 とはいえ、私がふつうのスピーチを書けるわけがない。ここにおわす私を誰と心得る。たほさんの美しい名字が結婚によってフツーのそのへんにいる名字になるのが嫌すぎて死にそうな気持ちを熱く綴ったブログが、一夜にして驚きの二十万アクセスを叩き出した、筋金入りのフェミニストにあらせられるぞ。「日本の伝統的家族観と家父長制」みたいなテーマで一席ぶつのもアリかとは一瞬考えたが、しかし、私とて大切な友人であるたほさんをお祝いしたい気持ちも確かにある。
 私はネット上に転がっている「友人代表スピーチ」の例文を片っ端から蒐集し、日夜研究に励んだ。今回、たほさん側の親族だけならともかく、当たり前だが、どつ方の親戚も多数出席される。「こんな妙な女が新婦ちゃんの友人代表なの?」と、不信感を抱かれるようなスピーチは絶対に避けねばならない。かといって、ネット上の文例に散見されるような「たほちゃん、お嫁に行ってしまうのは寂しいけど、しっかりどつ本さんを支えてあげてくださいね」みたいなことは絶対に、口が裂けても言いたくはない。原稿はかなり難航した。「(本名)さん、と呼ぶと堅苦しいので、いつものように『色白ブルべ姫』と呼ばせてくださいね」などと書いてはゲラゲラ笑ったりして貴重な時間を無駄にしながら、あれこれ考えて、唸って、転げて、式当日も間近となったある日、ふと「結婚式は女性が人生で一番輝く日」という、チャペルか何かの広告が目に付いた。あ、と思った。それからは、道に迷っていた人が急に行き方を思い出したように、するするとスピーチは出来上がっていった。

 


 式当日、プロのピアニストの奏でる『Wicked』の「For Good」をBGMに読み上げたスピーチは、実際、そこそこうまくいった。高砂のたほさんはもちろん、何故か隣のどつ本まで涙目になっていた。会場内でたほさんのご学友に呼び止められ、熱くスピーチの感想を語られたりもした。まさか結婚式でマシュマロをもらえると思っていなかったのでびっくりした。かつて同人イベントにサークル参加した際に、突然「あなたの新刊をさっき読みました、めちゃめちゃよかったです」と今日頒布した同人誌の感想をその場で伝えてくださる方がいたが、それくらいのスピード感であった。
 いい感じの原稿を準備するのも、つっかえずに読めるよう内容を暗記するのも、全く着慣れない振袖でスピーチするのも、とても大変だったが、おおむね成功を収めたと言ってよいだろう。式そのものも、新郎新婦の配慮がすみずみまで行き届いた、品のあるお式で、雨予報を裏切る穏やかな青空に包まれながら、滞りなく幕を閉じた。

 


 式から幾日かが過ぎて、私とたほさんは新大久保の焼き肉屋でささやかな打ち上げをした。たほさんのおごりだというので、風味豊かな鴨肉の焼き肉を遠慮なくもりもり食べた。煙のにおいを全身に纏いながら、カフェに場所を移し、ピンス(韓国風かき氷)を食べながら、私たちは結婚式の感想を言い合った。私は式の間中考えていたことをふと口にした。
「どうして人は結婚を祝うんだろうね」
 たほさんは『お前は何を言っているんだ』という顔をして、私も同感だったので、その話はなんとなく有耶無耶になったのだが、改めて考えると、やはり、めでたいことだからに違いないのだ。違う人間同士が出会い、互いを人生のパートナーとして選んだこと、その決意と、二人の新たな人生の幕開けを祝して、私たちは集う。早起きして美容院に駆け込んで、慣れない着物なんか着て、私たちはかれらの証人になる。お互いの人生を少しずつ肩代わりするという、最早のっぴきならない関係であることへの多少のプレッシャーを滲ませて、背中を押し、門出を見送る。そしてその旅路が、幸福にあふれたものとなることを共に祈る。
 ちょっと待って欲しい。そういえば、私はとある地元の幼馴染に、結婚祝い、出産祝い、新築祝いを渡し、そしてそろそろ二度目の出産祝いを贈ることになりそうなのだが、私は彼女から一度も祝ってもらっていない。勘違いしてほしくないのは、彼女のような人たちを祝いたい気持ちも、応援したい気持ちも確かにあるということだ。まったく嘘じゃない。でも、このまま独身ルートを突っ切る場合、私が祝われる機会って、あまりにもなさすぎでは?
 実は、私は式のちょうど一週間ほど前に、以前からそこで働くことを夢見ていた企業から内定を獲得していた。前職の在籍中から約一年もの間、知恵熱が出るほど転職先に迷い、連日の面接対策と企業研究を積み重ね、果てない苦しみの末に、自ら道を切り開いたのだ。あれれー、おっかしいぞー。私だって、盛大に祝ってもらってもよくないだろうか?
 いや、なんだったらもう、別にそんな転職に成功したりしなくたって、私がただ毎日ひたすらに生きていること、それ自体を祝ってくれたっていいのではないか? 婚姻の儀式が祈りの儀礼なのだとしたら、いったい誰が、いつ、私の幸福のために祈ってくれるのだろう。

 

 誰からも祝われなかろうが、幸せを祈念されなかろうが、もちろん、当人には関係のない話だ。そもそも、人生がわかりやすく幸せに満ち溢れていなければならないという決まりはないし、それに、結婚していようが港区にマンションを持っていようが、不幸な人なんていくらでもいる。それでも、結婚式のキラキラに頬を照らされながら、私は、祝われない人たちのことを考えていた。『幸福』とは表現されない人たちのことを考えていた。別にその人たちも、とくに祝われたいなどと思っていないだろうし、ましてや憐れまれてもムカつくだけだろう。それでも、である。そのような人たちのための荘厳な儀礼が、心からの祈りの言葉が、あってもいいのではないか。
 それなら私が、『なかなか祝われない人代表』としてスピーチをしよう。私たちの、私たちなりの幸福を数え上げ、ただ毎日すこやかに暮らしていけることを祈ろう。自カプのプチオンリーが開催されますようにとか、推しの若手俳優が匂わせで炎上しませんようにとか、そういうことも、ついでに祈念しよう。
 今日まで生き延びておめでとう。明日は今日より少しだけマシでありますように、と。

 


 そんなようなことをしんみり考えていたところ、先日、友人と催したハロウィンパーティーで、突然、私と風見裕也の結婚式が始まった。寝耳に水だった。以前からプレ花嫁として「裕也との結婚式ではスモークを焚いた中ゴンドラに乗って登場したい」とか「引き出物は私と裕也の写真がプリントされたクソデカい皿がいい」とかいろいろ希望を呟いていたのだが、おかげでスモークとゴンドラ以外は大体実現した。ハッピーで埋め尽くしてレストインピースまで行きそうな出来事であった。やっぱり「ハロウィンの花嫁」って、私のことだったんだな。

 

『死ね』って言っちゃいけません? ──『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』最終話に寄せて

 野次馬根性がDNAレベルで染みついているのか、バズっているツイートやブログは見に行かずにはいられない。
 先日、こんなエピソードがバズっていた。幼稚園に通う娘さんが、お友達に影響されて「死ね」という言葉を使うようになり、ある朝、とうとう母親に向かって「お母さん死ね」と言ってしまった。母親であるツイート主は「わかりました、お母さん死んできます」と宣言し、着の身着のまま家を出た。娘さんは泣きながら縋り付いて許しを請うた。それ以降、娘さんは「死ね」という言葉を使わなくなったそうだ。ツイート主は、「『死ね』以外にも人を傷つける言葉はたくさんある」としながら、「娘に言葉の重要性を教えたかった」と記した。
 反応をざっと見た限りではポジティブな反応がとても多かった。「うちでも同じことをしました」「言霊は大切ですね」「素晴らしいお母さん」「子どもはそれくらいしないと分からないですからね」等、等。命は大切で、かけがえのないもので、たとえ冗談でも、また幼稚園児であろうと、相手の死を願うような言葉を軽々しく吐いてはならない。そのことを幼い時からキッチリ教えてあげることは良いことだ。本当にね、そうですよね。1万6千RT、800のリプライ、2500の引用RT、12万いいねを寄せた人々が口々に嘯いている。


 また別の日には、「発達障害の人は、保険にも入れなければローンも組めない」という内容の増田(はてな匿名ダイアリー)がバズっていた。新たに保険に加入する際や、住宅ローンを組む際に、精神科や心療内科への通院歴を告知する義務があるからだ。発達障害当事者の友人に聞いたところ、精神障害と同じで、必ずしもその機会が永遠に奪われるわけではないにせよ、定型発達の人間よりも手間がかかったりハラハラしたりするのは確かだということだった。
 日本社会は精神疾患に厳しすぎるというのは、現状健康に生きている私でさえ日々実感するところである。というのも、私は高校を自主退学しているため、履歴書の学歴欄を「高校中退」から始めざるを得ず、面接官から高確率で「どういうことだ」とツッコまれるのだ。私は一応、転職エージェントから助言されたとおりに、「長く通学できなかった期間があって、出席日数が足りなくなり……」と濁すが、ほぼ100%の確率で「それはメンタル的なアレか」と追撃されるため、最終的に「仰る通りだが、大学入学時点で完治しており、通院も服薬もしておらず、すっかり元気に生活している」と汗をかきながら弁明するはめになる。「もう大丈夫です」などと重ねて言いながら私は、意識の片隅で、いったい何がどう大丈夫なのだろう、と思う。大丈夫でないといけないのだろうか。それはどうやって証明できるだろうか。そもそも、「大丈夫」な人なんて存在するのだろうか?
 住宅ローンを組めない。仕事が見つからない。住まいも仕事も、生命維持とは切り離せない、つまり「なくてはならない」もので、そこから疎外されることはダイレクトに生命の危機を意味する。「ああ~、そうなんですね」と薄笑いを浮かべる面接官の顔を見るたびに、私はなんだか、少しずつ足元が崩れ落ちるような錯覚に陥る。


 Netflixで配信されている韓国ドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』の最終話がとうとう配信された。もうめちゃめちゃ面白くて、毎週(一人で)ギャーギャー言いながら鑑賞していたので、とても寂しい。主人公のウ・ヨンウは"韓国初の自閉スペクトラム症の弁護士"で、目にしたものをカメラのようにそのまま記憶する能力を持ち、ソウル大学ロースクールを首席で卒業した"天才"である。が、その障害のためにどこの弁護士事務所にも雇ってもらえず、やっと能力を認められ大手ローファームに拾ってもらえたかと思ったら、実はその裏には複雑な思惑があって……というストーリーだ。クジラやイルカが大好きなヨンウが事あるごとにマシンガンオタトークかますシーンや、イケメンパラリーガルとの揺れ動きながらも甘酸っぱい恋愛など、韓国ドラマらしいコメディやラブを砂糖のようにまぶしながらも、物語の芯は太く、そのメッセージもはっとするほどシリアスだ。
 特に、医大生の兄を暴行し、殺害したとされる自閉症の青年を弁護する第3話では、障害を抱えて生きていくことの困難さが、ナチスの優生思想を引用しながら、ヨンウのモノローグで語られる。『わずか80年前、自閉症は生きる価値のない病気でした』『"障害者ではなく医大生が死んだのは国家的損失"、いまも多くの人がこのコメントに"いいね"を押します。それが私たちが背負うこの障害の重さです』──日本でも相模原の障害者施設殺傷事件が起きたとき、犯人の語った動機に多くの人が共感を寄せた。2016年の話だ。


 『ウ・ヨンウ』には、全16話のどこにも、"100%の悪人"が登場しなかった。一人のフィクショナルなキャラクターの、見る者の胸をキュンとさせる一面と、ぞっと血の気の引くような一面の、その両方を見せながら、物語は『これはあなたの姿ではないか』と問いかける。だから視聴者は、常にどこか居心地の悪い思いをしながらドラマを観ることになる。
 私は、ヨンウの弁護士としての能力をろくに確認もしないままに、「自閉スペクトラム症の人をなぜ採用したのか」と上司に詰め寄るチョン・ミョンソクではなかったか。私は、「彼女は弱者などではない、常に配慮してもらえる強者だ」と言って憚らないクォン・ミヌではなかったか。私は、ヨンウが弁護士だということを知って、ポケットに突っこんだままだった手を慌てて出した、イ・ジュノの友人たちの一人ではなかったか。


 すべての人間はひとしく、生まれながらに基本的人権を持っている、と世界人権宣言が謳ったのは終戦直後の1948年のこと。それから74年が経った2022年の暑すぎる夏の日、無邪気に人を傷つけた幼い女の子に、命の尊さ、言葉の重みを教えた母親を褒めたたえる私たちは、同じ口で、誰かに冷たく「死ね」と言ってはいないだろうか。「私はあなたのことなんてどうでもいいし、あなたの声には耳を傾ける価値がないし、あなたのことを誰も助けない」と、誰かの尊厳を切り刻んではいないだろうか。コロナ禍で職を失った人に誰かが「自己責任だ」と言ったとき、公共空間のバリアフリー化を訴える身体障害者の訴えに「わがままだ」と批判が集まったとき、ある政治家が「生産性がないセクシャルマイノリティのために税金を使うのは度が過ぎている」と言ったとき、私たちは、あの女の子を叱った母親のように、ちゃんと怒ってきただろうか。


 ヨンウには、いつも近くで彼女をさりげなく支えてくれる良き友人がいた。ヨンウは彼女のことを「春の陽ざし」のようだと言った(私の顔に漢江ができちゃったエピソードの一つである)。たぶん、ヨンウだけではない私たちの誰しも、いや、それどころか、問題なく住宅ローンを組んで、保険に入って、一流企業でバリバリ働くマッチョな人間でさえ、きっと「春の陽ざし」が必要だ。一人で生きていけないのは、障害のある人だろうが、定型発達の人だろうが、みな同じだ。「100%大丈夫」な人なんて、この世のどこにもいない。だから、「大丈夫」じゃなくても、何とか生きていける世の中になってほしいなと思う。ヨンウの心がいつも、大好きなクジラやイルカと共にあったように、自分の心を救ってくれる何かに支えられて、回転ドアに挟まれそうになりながらも、誰もが何とか歩いて行ける世の中に。

同人女の結婚

 あれは秋の日のことだった、と私は想起する。程なくして、いや夏だったかな、と、脳の別の部位で疑い出す。どちらにしても、私たちが出会ったのはビッグサイトの東ホールだった、西ではなく。あの頃、私たちはモスキート音を煩く感じる程度には幼く、オフセット印刷をためらう程度に懐も寂しく、ただ猶予された時が少しずつ終わりゆくのを意識のどこかで感じながら、しかし抗うこともできないのだと、深いところで知っていた。
 人生の時間が、砂時計の砂のように定量化できるのだという一種の強迫観念を、私たちが自らの身体に強力に埋め込んだとき、『青春』などというものは途端に輝きを増すのだろう。かつては青春学園中等部テニス部の1年生だった私たちも、いつしか「生命保険 必要」とか「卵子凍結 予算」といったワードで検索せざるを得なくなり、虫歯だと思って掛かった歯医者で「加齢により歯茎が下がっています」等と言われるようになる。
 そして私たちは忘れてゆく。大江戸温泉物語バトロワパロの話をして、笑い過ぎてこのままここで全裸で死ぬんじゃないかって思ったこと。有楽町のガード下のドイツ居酒屋で、酔いすぎて何故かカタコトの英語で手嶋純太とのデートの思い出を語り合ったら、隣の席のサラリーマン達が震えながら笑っていたこと。深夜3時までかかって作った無配を刷りに行くコンビニまでの近道に降りた夜の深さ。逃れようもなく忘れてゆく。まるで最初からそんなことは起きなかったかのように、忙しなさに紛れて、思い出は去る。
 これから先、日々に埋没して窒息しそうになったとき、私たちは藻掻きながら一体何を思い出すだろう。何に取りすがろうとするだろう。「あの頃は、」から始まる語りに、しかし、私は過去と現在との断絶を見る。「おおきくなったらセーラームーンになりたい」と、園児の私は何かにつけて口にしていたらしい。私たちは、果たして別の"なにか"になりうるのだろうか。何かを失いながら、損ないながら、他の何者かのかたちをとらんとすることを「おとなになる」と呼称するなら、セーラームーンになろうとするほうがまだ美しいと思ってしまうことを、もし告白したら、あなたは笑うだろうか。


(前回作→『女友達の新しい彼氏との馴れ初めを聞きに行ったら死ぬほど文学だったから文学書きました - on my own』)


 T女史からLINEの着信があったのは、すっかりステイホームにも慣れ、外出自粛検定準2級を取得して間もない昨年6月のある日のことだった。
「あのね、私結婚するの。"どつ本"と」
 "どつ本"というのは、「ヒプノシスマイクのオオサカ・ディビジョン『どついたれ本舗』のメンバー白膠木簓の夢小説を書きたかったが大阪弁がよく分からなかったため研究のために付き合い始めた大阪出身の男性」の略で、きっかけはともかく順調で平穏なお付き合いをしていることは以前から聞き及んでおり、その報告自体にさほど大きな驚きはなかった。私はひんやりとした床に寝そべりながら犬のおなかをワシワシと撫でて、あ〜そうなんだおめでとー、などと言おうとして、思わず起き上がった。喉が潰れた伊之助みたいな声で口走る。えっ苗字は?
「それなのよー。実は私たちさ、日本でまだ夫婦別姓が認められてないってついこないだまで知らなくて」
 普段はハンドルネームで呼んでいるが、T女史の本名は美しい。苗字と名前が連なると、マイルドな宝塚の娘役のようで、非常に清廉かつたおやかな印象だ。渋谷の交差点で100人に聞いたら65人くらいは芸名か何かだと判断しそうな感じ。本名を出すわけにもいかないので、ここでは仮に「白河ゆり」としておくが、私は彼女が「白河」でなくなるのが本当にマジのガチで嫌だった。そしてそれは彼女も同じであるはずだった。
「そりゃ私も生まれた時からずっと付き合ってきた名前変わんの嫌だからさ〜。どつ本と腹割って話したわけよ。したら、どつ本本人はそこまでこだわりはないけど、一応長男だから、実家のほうが抵抗するかもしれないって話になって」
 念のため、どつ本の苗字を尋ねる。万が一にも「尾形」とか「アッカーマン」とかだったらあるいは、と思ったが、石を投げたらその苗字の人に当たりそうな(人に向かって石を投げてはいけない)ごく一般的な苗字だった。ここでは仮に「田口」とする。た、田口ィ~~!??? 私は憤怒した。憤怒にまみれて、「長男であることをアイデンティティに掲げていいのは竈門炭治朗だけ」とか、「田口とかぜってー血継限界使えねーじゃん」とか、酷いことをたくさん言った。対してT女史は終始どこか呆れたような、半分諦めたような口ぶりである。
「会社の人とか旧姓使うでしょ? だから普通に白河でいられるものと思ってたの。調べたら日本では議論されてはいるけどなんかしばらくは無理そうって感じで、びっくりした」
 ちょうど先の3月に丸川大臣の予算委員会での答弁拒否が話題になっていたところで、そのトピックは(しばらく結婚する予定もないにせよ)私も緊張感をもって注視していた。選択的夫婦別姓に反対なら反対と堂々と主張すればいいのに、7回も答弁を避けた丸川珠代、イエスを知らないと3回言ったペテロよりもなおタチが悪い。それにしても、「みんなはああしてるけど、私はこうしたい」とか「ここが不便なのでこう変えたい」と言う人がいると、ほぼ無関係の人が「伝統が〜」とか「絆が〜」とか言って全力で邪魔しに来る構図、本当によく見かけるけれど一体何なのだろう。他人の選択に口出しする輩はバニラのトラックにでも轢かれてしまえばいいのにと思う。
事実婚でもいいって彼は言うんだけどねー」
 と、T女史はどこか他人事のように言う。彼女もまた、私のLINE友達一覧の、「〇〇(××)□□」メンバーに加わるのだろうか。事実婚なら事実婚で、「親に反対されたのか」とか「相手の苗字になりたくないなんて本当に愛してないんじゃないのか」とか外野から一生言われ続けるのだろうか。窓の外はもう二度と晴れそうにない曇天で、しばらく散歩に行けていない犬の瞳もまたどんよりと陰っていた。






 夏が過ぎ、街に人が戻りつつある晴れた秋の日、私は彼ら──つまり、T女史とそのフィアンセのどつ本と、日比谷公園にほど近い、クラシカルな雰囲気のカフェにいた。その日の夜は、浜松町の四季劇場で柿落とし公演として開幕したばかりの『オペラ座の怪人』を3人で観に行く約束だった。
 そういえば、T女史と出会って間もないころに、あれは汐留の四季劇場だったけれど、『Wicked』を一緒に観に行ったことがある。終演後、あろうことかグリンダの方に感情移入して爆泣きしている彼女を見て「この女……只者ではない」と密かに打ち震えたものだ。
 初めて会ったどつ本は、物腰も話し方も何もかもが柔らかく、ああ、彼は私たちとは違う、オーガニックなティーンエイジを過ごした側の、おもしろフラッシュ倉庫なんて必要のなかった類の人間だ、ということがすぐに分かってしまった。白膠木簓どころか市丸ギンも、はたまた忍足侑士の面影さえ無かった。T女史曰く、彼は子どもの時分に一度も、誰からも意地悪をされたことがないらしい。そんなふうに育つことが果たして可能なんだろうか、PTSDか何かで記憶を封印しているだけではなかろうか、とはじめ疑わずにはいられなかったが、実在論についての討議をするまでもなく、どうやら世界には本当にそうやって育った人間がいるらしいと、話しているうちに認めざるを得なくなった。
 窓ガラスから差し込む、よく冷やしたストレートティーみたいな陽射しを受けて、私たちは心地よい秋の午後を楽しんだ。私は、いつだったか彼女がZARAでゲラゲラ笑いながら選んでくれた、とんでもねーボタニカル柄のワンピースを着ていたが、それは私たちの幸運と幸福を象徴するように、不思議とその場によく馴染んだ。身を寄せ合い、話の合間にアイコンタクトをとる二人は少女漫画のように可愛らしく、思春期の愛読書が岡田あーみんだった私のような人間には少々眩しい。小洒落たオープンサンドの彩り、鼻をくすぐる焼き立てのパンのにおい、周囲の客の弾んだおしゃべりに包まれて、私たちは欠けたところのひとつもない、『結婚を控えた男女と、それを温かく見守る女友達』だった。完璧な午後を演出する、いくつかの愛すべき小道具だった。
 タクシーに乗って向かった新生・四季劇場の周辺は、再開発によってすっかり様変わりしていた。建て替えられる前、以前の四季劇場の学生席にいったい何度通ったことだろう。そしてあの頃の私はきっと、いつかタクシーでこの場所に来るようになるなんて想像もしていなかっただろう。建て替えを免れた自由劇場が、真新しい建物に挟まれ窮屈そうに佇んでいた。
 芝居が終わり、出口へと向かいながら「結局、バカと人殺しどっち選ぶかって話だよね」とT女史と頷き合っていたら、どつ本は「えっバカの方に決まってるじゃんそんなの!?」と困惑しきっていた。なんて健やかな魂。メチャメチャいい奴。付き合いたい男は捻くれたパーマのキャノンデール乗りでも、彼女は彼のような人間を結婚相手として選んだのだ。T女史のバランス感覚に敬服した。
 時刻は夜8時。別れるには何となく早すぎる気がして、どうしようかと思案していたらどつ本が、ちょっと小腹を満たせるような丁度いい、感じのいいお店が六本木のほうにあると言った。電車で行こうか、タクったほうが早いか、いや先に電話で予約を、とスマホを覗き込みながら二人が考えてくれている間、私は、竹芝埠頭のオレンジの灯りに縁取られた2人のことをぼんやりと眺めていた。メチャメチャいい奴と、そいつと結婚した、聡明な私の女友達。




 あれから半年ほどして、結局、彼らは婚姻届を提出したらしい。T女史は書類上は「田口ゆり」になったが、実生活では一貫して「白河ゆり」で通すのだそうだ。自粛期間中から互いの家を行き来していた彼らは、タワマンの一室で晴れて家族としての生活をスタートさせた。しかし、八丁堀という地獄じみたロケーションにあった住まい(私は端的にディストピアと呼んでいた)を出て、どつスター(どつ本の飼っていたハムスター。同居にともない自動的に彼女の家族となった)もそばにいて、幸せの絶頂であるはずの彼女の声色はいまひとつ冴えない。
「私はさあ、この先を憂いているわけよ」
 私はその夜、犬のひげの本数を数えながら、彼女はどつスターが回し車を回すのを眺めながら、明日はどうせお互い在宅勤務だしと油断しきって、遅くまでダラダラと喋っていた。結婚指輪の写真をTwitterにUPするのは恥ずかしいけどインスタの方には上げられたとか何とかいう話の合間に、彼女はふと不安を吐露した。
「このままさ、面白いこともなく、普通に妊娠して、普通に子育てして……夫が突然連れ帰ってきた友達にパパッと冷蔵庫にあるものでおつまみ作って出す、みたいな生活になっていくのかなって。明太高菜ごはんとか。それで、夫の友達に『奥さんキレイじゃん』とかお世辞言われて『いやいや~』とか言ったりすんのかなって思ったら、背筋が凍るのよ。本当によお~。」
 彼女の中の"結婚"のイメージが何をさておいても「夫の友達にパパッとつまみを作って出す」であることを多少ツッコミたい気持ちになりつつ、私は彼女を否定できないでいた。恐らく、彼女はこれから「夫の友達にパパッと明太高菜ごはんとかを作って出す」的瞬間を何千何万と積み重ねていくことになるのだろう。そうやって私たち、手垢のついた営みを恥ずかしげもなく繰り返していくんだね。うちら、サイキョーの女オタクだったのにね……。私がそう言うと彼女は「え、そうだったっけ……?」と結構シリアスに疑問を呈していたけれど。



 私たちは、何者かになる。そして何かを失う。失ってこそ、一人前の何者かである、と顔を持たない声たちが言う。でも本当に? 私たちはただ失い続けるだけなんだろうか。「田口ゆり」だの、「田口さんの奥さん」だの、「○○ちゃんママ」だの、JavaScriptも入れてないのに勝手に名前変換される現実とかいうフィクションに骨の髄まで浸されて、私たちは数分刻みで異なる顔を持つ、観音様も文字通り顔負けの多面体になる。その立体のふたを開けて恐る恐る中を覗き込んだ時、そこに何も残っていなかったらどうしよう───そんな不安に脅かされながら、多面体であることを受け入れざるをえないとき、私たちには何か反逆の手段が残されているのだろうか。




 2021年10月31日は衆議院選挙の投票日です。
(※追記 2022年7月10日は参議院選挙の投票日です!)



 日本の全国民が夫婦同姓であることを強制されている現状(国際結婚除く)はクソ以外の何物でもない。女は嫁ぎ先の付属品でも所有物でもない。ハムスターじゃないんだから。クソな社会にはNOを突き付けよう。私たちには選挙権がある。何十年か前にはなかった。今、私たち女性が当たり前のように持つ選挙権は、そのために戦ってくれた多くの人たちの血と汗と涙の上に獲得されたものである。何なら、ちょっと前まで女は結婚したら働き続けることができなかった。「女はクリスマスケーキ(25を過ぎたら価値がない)」と言われた。今の私たちがそうではないのは、「NO」を突き付けてくれた、無数のお姉さんたちがいてくれたからである。私が30を超えてフラフラしていても特に奇異の目にさらされないのは、強い圧力に耐えて自分の生き方を貫いてくれた先人たちがいるからである。
 私はずっと、結婚して、子どもを産み育てることすなわち大人になることだと思っていた。だからいつか、好きな漫画もアニメも同人誌も捨てて、"大人"にならなくてはいけない日が来るのだと思っていた。でも、最近ではこう思う。大人にならなければいけない、それはきっと間違いない。しかし、大人になるとは、果たして空気のように社会に溶け込んだ『当たり前』を受け入れて、その要請に過不足なく応えることのみを指すのだろうか? 違うだろ、と言いたい。豊田真由子のように声を張り上げて、T女史の住むタワマンにも届くように叫びたい。大人になるってきっと、すごく楽しいことだ。もしかしたらセーラームーンになることと同じくらい、素敵なことだ。そして同時に責任重大だ。私たちは常に問われている。年に一度あるかないかの選挙の投票日だけではなく、毎分毎秒、社会の中の様々な事象に対して、どのような立場を取るかを問われている。何気なく選ぶコンビニの棚の商品、気の置けない同僚とのちょっとした会話、忙しい朝の時間に目を通す新聞のヘッドラインに、私たちの政治的立場は如実にあらわれる。そのすべてに自覚的になることは不可能だとしても、つまりおまえは何者でありたいのか、どんなところで、どんな暮らしをしたいのか、必要な情報を集め、思考し、問われたらすぐに答えられるよう日頃から準備することが求められる。大人になるって、そうやって、理想を描き、その理想のために行動することではないだろうか。つまり私たちは、自動的に大人になることはない。「大人になる」を、日々実行するものである。そしてそのプロセスは同時並行的に、「私になる」道程でもある。私たちは自分自身以外の何者でもなく、何者にも成らず、ただそこにいる。




 だから、サイキョーの女オタク友達として今、新婚ホヤホヤのT女史に言いたいことは、


バカ正直に明太高菜ごはんなんて作ってる場合じゃねえ!!!!!!!


 ……ということだ。誰かが思う「田口ゆり」に収まる必要なんてない。明太高菜ごはんがこの世のどんな有機物より好きでもない限り、夫がいきなり連れ帰ってきた友人なんか炙りゲソのピーナツバター和えでも出してやればいい。名前が変わっても顔がいくつあってもそこには白河ゆりしかいないのだから。
 それでも、パズドラしかできないくらい日常に疲れてしまったら、どうか思い出してほしい。私たちには人一倍豊かな想像力があるということを。私たちは大臣にはなれなくても、今日よりいくらかマシな明日を、つまり理想を思い描くことはできる。私たちはそのやり方を知っている。私たちはずっとそうしてきたではないか。有楽町のガード下で。大江戸温泉の露天で。深夜3時の路地裏で。


 


 そして多分、これは私自身の決意である。ホグワーツの入学許可証は届かなかったし、『選ばれし子どもたち』にも選ばれなかったし、白馬の王子様どころか跡部のヘリコプターも迎えに来ない。もちろんセーラームーンにはなれなかったし、今の私は昭和の日本企業で、無数のオッサンに囲まれ孤立無援で右往左往する会社員だ。こんな人生生きるに値しない、とニヒリズムに逃げ込むことは容易い。それでも、と、私は発想する。あの夏だか秋だか思い出せない日、手術台の上のミシンとこうもり傘みたいに私たちが出会ったように、小さな奇跡は起こる。その一瞬を逃さずに、目を見張って、耳を澄まして、生きていく。どんなに現実がクソで、バカげていて、分厚い下駄に踏みつぶされそうになっても。
 ひとしきり現状を憂いて、嫌んなって、裏アカで愚痴を連ツイして、pixivを眺めながら寝落ちしたら、顔を洗って、ちゃんと保湿して、推しアイドルが使っているのと同じCLIOのアイシャドウでまぶたキラキラにして、とんでもねー柄のワンピースでも着て、足取り軽やかに選挙に行こう。



※事実を元にしたフィクションです。T女史、結婚おめでとう!

(11/13追記)私とT女史が出会ったのはやっぱり夏コミじゃなくてスパークだったようです。たくさんの方に読んでいただけてとても嬉しいです。Good girls go to heaven, bad girls go everywhereの精神でヘルジャパンを蹴散らしていきましょう。あと、全国の田口さんにごめんなさい。