on my own

話し相手は自分だよ

同人サークル『それわた』について

▼『それわた』とは?
「たほ」と「のい」の二人が楽しく遊ぶサークルです。
最近、Youtube 配信を始めました。
ぜひこちらよりチャンネル登録してください。

 

▼次回の活動予定

2023年5月開催予定の文学フリマに出たいな~と思っています。

『このミステリーが(ある意味)すごい!』をテーマに小説を書きたいです。

 

▼活動履歴

2022.11 COMITIA142

2022.5 COMITIA140


▼既刊

★『ねとらぼ』で紹介されました!

自分とまわりに向き合うエッセイ 同人誌『それが私にとってなんだというのでしょう』が向ける生き方へのまなざし(要約):司書みさきの同人誌レビューノート - ねとらぼ

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アニメと現実の区別が付かない

アニメと現実の区別が付かない。物心ついたときから、ずっとそうだ。


絵本の世界に入れるという靴の形をしたひみつ道具のことを知って、ピンチに陥るセーラー戦士たちを助けたくて、土足で絵本の上に立って親に怒られたのは幼稚園のときだった。小学校に上がれば魔法少女もののアニメの影響で、私にしか見えない精霊と会話して周囲に気味悪がられた。友達のお兄ちゃんの影響で少年漫画を読むようになってからは、ますます空想癖が加速した。忍術を使うために印の結び方を必死で練習した。友達とは立海と不動峰入るならどっちとか、持ち霊にするならどんな霊とか、ほとんどそういう話しかしなかった。大切なことはだいたい物語の中で教わった。恋愛の機微は夢小説で学んだし、周りの子たちが現実の男子と惚れた腫れたをやってる間に私は寝ても覚めても手嶋純太のことばかり考えていた。そんなティーンエイジを過ごした私はそのまま大人になって、最近では上司のパワハラに「私は爆弾の悪魔だからこんな奴いつでも殺せる」と思いながら耐えている。

暇さえあれば漫画を読んでいた私にとって、フィクションのキャラクターというのは現実の友達と同じくらい、時にそれ以上に、私にとっては心に近いところにいる存在だった。人生で迷うたびに、好きな作品を何度も読み返して、その世界にひたひたに浸かった。主人公たちといっしょに笑ったり悲しんだり、怒りや感動に打ち震えたりした。世界のどこかで、本当にそういうことが起こっているのだと信じられるくらいに。そうしていると自然と元気が出てきて、漫画みたいにうまくいくことはないのだとしても、私なりに戦ってみようと前を向くことができた。そういうことの繰り返しで、今日の私はここに生きている。


そんな私だが、ここ最近、この社会で起きていることを受け入れられないでいる。
だって、私が物心ついたころからずっと私のそばにあった、大好きなアニメや漫画で言われていることと正反対のことが繰り広げられてるのだから。


嘘をつく。謝らない。質問に答えない。言うことがコロコロ変わる。
制度を悪用する。強者におもねり、弱い者を足蹴にする。命を軽んじる。
それらしいことを自信たっぷりに語る。それが事実か、正当かどうかは、ほとんど問われない。
そんな人たちが、なぜかみんなに支持されてどんどん影響力を増している。
誠実であることの価値はとっくに地に落ちて、今やこの社会は「極端なことを、嘘でもいいから、大きな声で言ったやつが勝ち」という一大ゲームと化している。

いや、なんでだよ。
完全に悪役サイドの思うつぼじゃねーか。
めまいがする。

……ちょっと冷静に考えてみてほしい。
特定の集団への不安や恐怖を煽ってみんなに攻撃させるとか、自分の不始末の責任から逃れるために弱い立場の人に罪を着せるとか、そんなのはずるいやつの常套手段だ。フィクションの中では、常にそれは悪だとされたし、そこに疑問を持つ人もいなかったはずだ。それなのに、現実に同じことが起きたとき、どうしてみんなあっさりとその“悪役サイド”を信じ、応援してしまうの?
みんな、とにかく「強さ」が好きだ。私も時々「強さ議論スレ」とかを見ていたので気持ちはわかる。でも、力を振りかざす強そうなやつに取り入って自分も強くなったような気になっていても、そういう強いやつってほぼ確実に、いざというとき簡単に手下を見捨てる。そんなの分かりきってるのに、どうしてみんな、あくまで「強い」リーダーを求め、そのおこぼれをもらおうとするの? 
本当に強い人はやさしさも併せ持ってるって、争うんじゃなくて共に生きなきゃいけないんだって、漫画のキャラクターたちが何度も何度も教えてくれたのに、あれは何だったの?
……本当に、分からないのだ。
毎週ドキドキしながらコンビニに最新号を買いに走ったあの頃の私に、「あなたが夢中になっているその世界は完全なる夢物語で、現実世界とは何ら関係が無く、あなたがそこから学び取ったことはそのうち粉々に打ち砕かれますよ」って言ったら、どんな顔するだろう。


中学でクラスの男子から「汚い、死ね」って言われてた時も、高校で不登校になって中退したときも、あの世界があったから、心を救われて生き延びることができた。友達の作り方も、勇気の出し方も、理想の描き方も、全部かれらに教えてもらった。自由や平等がどれほど得難いものなのかも、すべての命は尊いということさえも。
でも結局、線で描かれたそれらすべてが"ただのファンタジー"なんだって言うなら、物語が現実をいっさい反映せず、そして物語の側から現実と接続することもないのであれば、物語はいったい何のために存在するのだろう?
弱い人間は死ぬしかないとかいう、冷たい社会で暮らしたくないじゃん。「強い者は弱い者を守るのが自然の摂理」って炭治郎も言ってたじゃん。攻撃や排斥みたいな安易な手段に飛びつかないで、何が正しさなのか、みんなでうんうん唸りながら悩み続けたらいいじゃん。「迷いの中に倫理がある」ってヨレンタさんも言ってたじゃん。困ってる人に「わがままだ」とか「自業自得だ」とか言わないで助けたらいいじゃん。ヒンメルなら絶対そうするじゃん。そうする人がたくさんいる社会の方が絶対、いいはずなのに。


私はアニメと現実の区別がつかないから、現実にも、アニメの世界みたいに平和が訪れてほしいと思う。みんなが大切にされてほしいと思う。私は無知だろうか。幼稚だろうか。ナイーブすぎると笑われるだろうか。ただのフィクション、ただのエンタメから、作者も意図していない、自分に都合のいい思想を勝手に読み取っているだけのクソ野郎だろうか。

それならそうでいいから、教えてほしい。

あなたは、アニメや漫画から何を学んだのだろうか。何を読み取り、何を見出したのか。それともあなたは単に暇を潰すためだけに、漫画雑誌の、あの薄いピンクとか黄色とかの粗悪な紙をめくっていたのだろうか。あれらの物語は単に、面白味もない人生をそっと慰撫するだけの気休めに過ぎないのだろうか。儚く溶けて消えるメレンゲ菓子みたいに、物語を口に放ってはただ飲み下すことを繰り返して、あなたは大人になったのだろうか。……私は、そうじゃないって信じたい。そんなの、命がけで作品作りをしているクリエイターたちが浮かばれないではないか。
私は、紙の上に描かれた白黒の主人公たちから、確かに、魂をもらったよ。だから、本当は爆弾の悪魔じゃないけど、震える足でパワハラ上司とも対峙するし、何の権力もないちっぽけな一市民だけど、せめてにずるいやつに騙されないようよく考えて、勇気を出して声を上げたいと思う。これまでも、これからも、弱い人の側に立てるように。


それでも「まだまだだね」って、リョーマくんには笑われちゃうんだろうけど。




これは、心の整理のために書いた私的なエッセイです。特定の個人や集団を支持・非難する意図はありません。また、フィクションの解釈は一つではなく、作品から何かを受け取るのも、受け取らないのも、本質的には自由であることを申し添えます。

トワイライト・ウォリアーズ、面白過ぎる【5/11文学フリマ新刊サンプル】

 二月のある日。映画『トワイライト・ウォリアーズ』を新宿バルト9で見終わって、私は、ちょっと小腹が空いたな、と思った。映画が始まる前に併設のカフェでホットサンドを食べたけど、二時間の映画を観ているうちに、もう何か食べたい気持ちになってきてしまった。でも新宿三丁目のあたりって、ぱっと入ってぱっと軽く食べられる店ってあんまりないんだよな。マックでさえ新宿駅の方に行かないと無いし。しかも、どこも混んでて、高いんだよな。仕方が無い、帰って家にあるものを食べよう。そう思いながら、二月の寒空の下、やたら薄着の訪日客をうまく避けつつ、マルイアネックスの横の階段から地下に入って、電車に乗り込んだ。カタンコトンと揺られながら、私は、どうしてあの医者、最後に脱いだのかなあ、とぼんやり考えた。だって、それまではすごい着込んでたじゃん。覆面もしてたじゃん。パーカーの上にまたパーカー着る勢いの、フル防御だったよね?それがいきなり、どうしてあんな……どうして……。黒く塗りつぶされた地下鉄の窓に、乗客が写り込んでいるのを眺めながら、それでも私は、その時点では、「期待したより面白かったな」くらいしか思っていなかった。

 それは遅効性の毒のように、あるいは白いテーブルクロスにこぼした紅茶の染みのように、私の生活を少しずつ侵食し始めた。私はGoogleの検索アプリに「九龍城砦 歴史」と打ち込んだ。香港料理の店に行って叉焼飯を食べた。香港版のBlu-rayを注文した。図書館の閉架で、九龍城砦についての本を片っ端から読んだ。広東語の基礎についてのYouTube動画を見ながら六種類とも九種類ともいわれる声調を覚えた。広東語話者の友人の特訓を受け、「がうろんせんちゃい」だけはかなりネイティブに近い発音で言えるようになった。香港行きの航空券を予約した。四仔のちいかわ風アクリルキーホルダーを自作した。映画は一ヶ月で十回観た。火曜日は109シネマズで、水曜日はTOHOシネマズで、木曜日はTジョイで観た。吹き替えも観た。とうとう、香港のショッピングモールで行われていた映画セットの展示に行った。立て壊される前に九龍城砦があった公園にも行った。お粥を食べた。腸粉を食べた。夜景を見た。二階建てバスに乗った。楽しかった。


 やることが……やることが多い!


 どれもこれも、トワイライト・ウォリアーズが面白すぎるのがいけないのだ。ベトナムから逃れてきた密航者である洛軍がマフィアに追われ、まるで魔窟のようにそびえる九龍城砦に迷い込むというオーソドックスな導入。バイクに乗って現れ、洛軍の命をまっすぐ狙ってくる異常に顔の整った男。顔を上げずに「もう閉店だ」と言うだけで「このおっさん、ただ者ではない」と観客に本能で感じさせる爆イケさいつよ髭剃り親父。増築に増築を重ね、複雑に入り乱れた城砦の内部で働き暮らす人々。後々すごい脱ぐシャイな医者。懸命に働くことで徐々に受け入れられ、城砦の中に居場所を見出すという心温まる展開。そしてやっぱり私が一番好きなのはサトウキビ男おしおきシーンだ。幼い頃に両親を亡くし、誰とも心を通わせることなく生への執着のみで生き延びてきた洛軍が、城砦に来て初めて同種の魂を持った男たちと出会い、友情を結ぶ。四人ともが同じ売店で変装グッズを買っていたことを知ったときの、洛軍の花が咲きこぼれるような笑顔よ。自分のことを「坊ちゃん」と称するマンネ体質の十二少もカワイイ。その兄貴分である虎兄貴も声ガラガラなのに妙にカワイイ。原作者自身が「ロミオとジュリエット」だと明言している龍兄貴と陳占の秘密の逢瀬は何だか見てるこっちが照れくさくて、指の隙間から見たくなってしまう。そして迫り来る脅威、恐らくユーラシア大陸最強の気功使い、王九。ていうか、気功って何だよ!? 命とプライドと人生を賭けて殺し合う黒社会の男たち(プラス、一般覆面医師)。身を裂かれるように辛い別れと、敗北。城砦を追われた彼らは、ひととき、静かに寄り添い、傷を癒やす。でもさあ、やっぱ、四人集まったらすることって言ったら、麻雀じゃなくて、カチコミなワケ。俺たちの城砦を取り戻す! ぶっ殺すぞ、コノヤローーッ! 相手は不死身の気功使い(だから、気功って何?)。とにかく、物理、物理、物理! 物理で殺す! 轢き殺す! 殴り殺す! 紙切れにして殺す! 突如巻き起こる竜巻に、彼らは何を見るのか……そして、彼らは大切なものを守ることができるのか!?

 熱い。熱すぎる。どこまでがお芝居で、どこまでガチで殴り合っているのか判別の付かない熱い殺し合いの合間にも、香港の地理的・歴史的コンテキストを絡めたヒューマンドラマや、コミカルなやりとり、城砦の住人たちの決して楽ではないがささやかで前向きな暮らしぶりが窺えるシークエンスが挿入される。それがまた、すごくいい。キャラクター造形のバランス感覚もすばらしい。性格も見た目も全体的にすごくマンガっぽくてケレン味があるのに、くさくない。もしこれが平成の少年漫画だったら、信一はもっとチャラついた女好きですぐ若い子のおしりとか触って燕芬姐さんにシメられるし、四仔は根暗のAVマニアだし、十二少は多分もっと底抜けにおバカキャラ、洛軍は人間不信のヤンキーで、タレの調合を覚えられなくて皿をひっくり返して一度城砦を出て行くけどやっぱり生きていけなくて戻る、みたいなちょっと読者をイライラさせるくだりが絶対入るはずだ。しかし、実際そうではない。八十年代のトキシックなマフィア社会を描いているのに、キャラクターからは有害さを感じられない。これは本当に稀有なことで、「古い時代を描いているけど、価値観は古くない」作劇というのは可能なのだと、この映画は我々に教えてくれる。
 それと、『どうせ、「ケア」とか、「家父長制」とか言っとけば今時の批評っぽくなると思ってんだろ』と言われれば静かに目を背けるしかないのだが、でもでもやっぱり、この映画を語る上で、「男同士のケア」は外せない要素だと思う。「城砦四少」と呼ばれるメインの四人組が癒やし合い、支え合う様子は言うまでもなく、龍兄貴と信一がヤクザの親分子分を超えた親密な関係にあること、つまり龍兄貴が信一の育ての親であることが映画のあちこちで示唆されるのも見過ごせない。独り身で子育てするおじさんとか、ウチらが一番好きなやつじゃん(『ゲゲゲの謎』や『最強の軍師』の爆発的流行を見ても明白)!と、汗とよだれが止まらない。しかも、そこだけじゃなくて、十二ちゃんと虎兄貴も超仲良しなの、男同士ケアの過剰摂取で震える。あの、十二ちゃんがべろべろに酔った虎兄貴を車に乗せるとき、ぶつけないようにそっと兄貴の後頭部に添えられた優しい手、見ましたか?思い出すだけでオキシトシンが出てしまうよ~。男が男に優しくするところとか、男が男にすがりついて涙を流すところなんて、そんなん、腐女子じゃなくても見たいにきまってる。こんなん、なんぼあってもいいですからね。女がいちいちケアに駆り出されないし、反対にトロフィーにされたりもしないというだけで、見ているこちらのメンタルヘルスが飛躍的に向上するのだ。


・・・・・・・・・
続きは5月11日文学フリマ東京40 せ-78『Sorewata』で頒布予定の
『トワイライト・香港 ―アジアと私、それから旅するということ―』で!!

それわた新刊

既刊も揃えてお待ちしています!!!ディン!!!

27歳喪女が生まれて初めてブラを買う話【#文学フリマ東京39 新刊サンプル】

それわた4表紙


12月1日 文学フリマ東京に出店します!! 
・既刊『それがわたしにとって何だというのでしょう?』vol.1~3
・新刊『同人女私小説短編集 わたしは勉強しかできない』
・おためし50円コピー本『それわた4.5 SNSをやめよう!』
を、持っていきます。勿論たほちゃんもいます。ぜひ遊びに来てください。

のいは今回、私小説を書きました。2万字の大作です。
痛々しいけど愛おしい、『痛々愛おしい』あの頃の記憶。パンデミックが地を覆いつくすほんの少し前、「欠けた」自分のピースを探して右往左往した『私』=「増田萌依子」という一人の平凡な女の物語です。
今回は一部抜粋してご紹介したいと思います。

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『Nope』





 雨の日の新宿は街全体が鏡のようだ。ショーウインドウについた細かな水滴も、アスファルトにわだかまる水溜まりも、過ぎ交う車の窓ガラスもすべて、街と人を映し出す鏡になる。新宿にいる人は、東京の中でも新宿にしかいない。池袋にも、品川にも、ましてや清澄白河なんかでは絶対にお目にかかれない感じの人々が、新宿に来るだけで時間無制限で見放題である。JR東口を出てアルタを通り過ぎた私は、新宿のガラパゴスな固有種たちの生み出す熱い渦に逆らったり、巻き込まれたりしながら、肩が雨に濡れるのにも構わず、ずんずんと歩く。そんな私を、信号機を、バニラのトラックを、街は黙ってただ反射する。街が映し出すいくつもの影の中に、私は待ち合わせの相手を見つけていた。
 白河ゆりはゆるくウェーブした栗色の髪の先を揺らして、目を細めて笑った。それから私たちは、今日の戦場となる重厚な面構えの老舗商業施設……伊勢丹へと足を踏み入れた。

 勝手知ったる様子でするすると歩く白河ゆりに、私は必死についていく。彼女が立ち止まったのはジルスチュアートの前だった。ジル……スチュアート!? 私は戦慄する。私なんかが、ジルスチュアートを着ていいの?というか、ジルスチュアートに入っていいの?『アラジン』の魔法の洞窟には「ダイヤの原石」しか立ち入れないが、しかし、ここ現代日本のジルスチュアートには余程のことがない限りどんな人間でも入店できるのだ。なんという懐の広さ、ありがたいと言うほかない。
 店の隅でただプルプル震えている私をよそに、白河ゆりはハンガーからハンガーへと軽やかに飛び回り、ニットだのスカートだのを手慣れた様子でぱっぱと見繕って、私を試着室に押し込む。話が早くて本当に助かる。私は渡された服を大人しく着用した。
「もえちゃーん、着れたー?」
 白河ゆりの声に、私は恐る恐る試着室のカーテンを開ける。私の姿を一瞥して、白河ゆりも「あちゃー」という顔をする。こういうところ、彼女はたいへん素直で、逆にありがたいと思う。鏡の中の私は、ぴたりとしたニットが身体の全ての肉感を丁寧に拾って、多少小綺麗なキン肉マンみたいになっていた。私が『骨格ストレート』という言葉を知り、自分がお手本のような骨ストだと知るのは、数年先のことである。
「ナシだねこれは」
「解散解散」
 からくり時計の人形みたいに試着室に引っ込む。生地を傷めないように丁寧にニットを脱ごうとする。……しかし、脱げない。腕をクロスさせ、裾をたくし上げるが、ニットがぴったりと腕に貼り付いて動かない。私はおしゃれな服を買うどころか、まともに脱ぎ着すらできないというのか。こんな調子じゃスタートラインに立つ資格すらない。
 にっちもさっちもいかなくなってしまった私は、無力感に打ちのめされながら、カーテンの向こうの白河ゆりに助けを求めた。
「白河さん、白河さん、助けて。脱げない」
「あぁ~?」
 妙にガラの悪い白河ゆりがカーテンを素早く開けて入ってきて、狭い試着室がますます狭くなる。プラダを着た悪魔ならぬ、ジルスチュアートを着たキン肉マンである私は、肩の辺りにニットをわだかまらせながら言った。
「この有様だよ」
「えっ? あっ、ニットが貼り付いちゃってるってこと? わかった、やってみるわ、さわっていいの?これ」
「どうにでもしてくれ~」
 ニットの下に手を差し入れて、白河ゆりが必死でアシストしてくれる。白河ゆりのひんやりした手が私の皮膚をまさぐり、白河ゆりの吐息をとても近くに感じる。
 私たちはうっすらと汗をかき、息を切らして、ようやくそのニットを引き剥がすことに成功した。
「私、こんなに女友達の肌にさわったの初めて……」
 白河ゆりが愕然とした様子で言う。私だって自慢じゃないが、服を脱ぐのを手伝ってもらったのなんて乳幼児ぶりである。何か人間として大切なものを失ってしまったような気持ちで、他の服を試す気分にもなれず、私たちはすごすごとジルスチュアートを後にした。
 後日、私たちはリベンジとして銀座のプランタンに赴き、無事に服をゲットした。落ち感のあるカットソーに、スタンダードなAラインのスカート。カットソーは背中がレースになって透けている。白河ゆりは自信ありげに「これはね、赤井秀一の帰りを裸足で待つ女の服だよ」と胸を張る。私は真夏でも家の中で靴下を履くタイプなので、恋人の帰りを裸足で待つ人間の気持ちは分からないが、恋とかすると裸足で恋人の帰りを待ちたくなったりするのだろう、たぶん。赤井秀一も「淋しい思いをさせてしまったかな、俺の可愛いスウィーティー・パイ」とか言うのだろう。知らんけど。
「ところで、この背中スケスケのやつを着るとき、中には何を着たらいいの?」
 スウィングルのショッパーを揺らしながら、ふと私は尋ねる。
「えっ? フツーに、レースのキャミとかでいんじゃない」
「持ってないよそんなの」
「は?」
「私、常にユニクロのブラトップ着てるから……」
 白河ゆりの開いた口を見ながら、そうだ、髪やメイクや服を何とかしたところで、私には大きな問題がまだひとつ残されている、とようやく気がつく。どんな反応が返ってくるかだいたい想像が付くし、私としてもかなりセンシティブな領域ではあるが、もう逃げ場はどこにもないのだということも分かっていたので、私は観念して口を開く。
「私さ、ブラって付けたことないんだよね」
「うそでしょ!?」
 悲痛な声を上げる白河ゆりに、私は証言台に立たされた被疑者のような気持ちで打ち明ける。
「だってさ、支えなきゃいけないほどの胸もないし、カップ付きキャミで十分だから」
「えっ本当に? じゃあ自分のサイズとかもちゃんと知らないってこと?」
「サイズも何も、『測定不能』とか言われるんじゃないかと思ったら怖くて」
「ヒロアカの体力テストじゃないんだからさ……」
 正直に言って、私にとって下着屋というのは畏怖の対象であった。まず、ほぼ全ての下着がレースやフリルやリボンやお花でまんべんなく覆われているのが怖い。「これであなたの裸体を飾り付けましょう」と言われているようで、何だか逃げ出したいような気持ちになる。さらに、フィッティングが怖い。サイズを図ってもらって、「あなたのような人に売るブラはありませんけど何しに来たんですか?」みたいなことを言われ、あざ笑われたらどうしようと思うと怖くて怖くて堪らない。かといって、私のサイズのブラを置いてないことを心を込めて謝罪されても、それはそれで死にたくなりそうで、どちらにせよ、ブラをつけない理由には十分だった。
「一度測ってもらって、ちゃんとしたの買いなよ。ほら、あそこにワコールあるじゃん」
 数ブロック先のワコールを指さしながら、白河ゆりが必死に私を励ます。
「もはやこれまでか……」
「ちゃんとブラとショーツをセットで買うんだよ!」
「ちゃんとお釣りもらってくるんだよ」みたいな感じで言う白河ゆりに見送られ、私は『はじめてのおつかい』さながら、ドレミファドレミファ、と勇気を奮い立たせてワコールに向かった。
 店内に入った私は、注意深く周囲を見回し、手が空いている店員にフィッティングをしてほしいと声を掛ける。
「普段、どのサイズをお使いですか?」
 人のよさそうな店員が丁寧な口調で聞いてくれるが、この質問はブラを持っていない場合どうしたらよいのだろう。「私はブラを持っていません」と告白するべきなのだろうが、怖じ気付いた私はつい「いえあの、最近サイズが合ってないなと思って」と誤魔化した。店員は訝しむこともなく、「そうですか」と言って私を試着室に案内した。
「ブラの上から測定しますので、お着物を脱いでいただいて、ご準備ができましたらこのボタンでお知らせくださいね」
 またも「私はブラを持っていません」シチュエーションである。私は気が遠くなりながら、「いつもはちゃんとブラ着けてるけど、今日は偶然ブラトップなんです」という設定を貫くことを密かに決意する。どうしてこんな異端審問みたいな気持ちでブラを買わなくてはならないのだろう。
「失礼いたしまーす」
 ボタンを押すと、店員さんが試着室に入ってきて、いよいよ測定が始まる。『おまえに売るブラはない』という幻聴が聞こえて、私は必死に妄想の声をかき消す。ドレミファドレミファ、ドッドドレミファ……。
「お客様、いかがですか?」
 はっと我に返って鏡を見ると、そこには店員さんが選んでくれたブラをつけた私がいた。背中から肉をかき集めてくれたため、カップがベコベコと凹むようなこともなく、すっきりとフィットしている。あったんだ、私のサイズのブラ……。神は私のように胸元の貧しい人間にもブラをお与えくださるのだ……。私は感動を噛みしめながら、同じデザインのショーツと、キャミソールを合わせて購入した。私はこの十数分で、ブラ持たざる者からブラ持てる者へと華麗な転身を遂げたのだ。もう怖いものなどない。私ははじめてのおつかいを成功させた子どものようにニコニコしながら、買ったばかりのブラを抱きしめて、白河ゆりの元へと駆け寄った。




<サンプルここまで>

その他、中国人女子から無修正のニキビが送りつけられてきたり、

フェイフェイのニキビ

セックスの断面図を作ったり、

セックスの図解

本人にも訳の分からん試行錯誤の末、果たして27歳までブラを付けたこともなかった激ダサ女・増田萌依子は無事に彼氏を作り、一人前の人間になることができるのか!?
ぜひ、文フリ東京で『わたしは勉強しかできない』をお手に取って、彼女の行きつく先を確かめてください!
N-51でお待ちしております!!

教えて!!!それわた先生

それわた特別号表紙
それわた特別号表紙

★2024年5月19日『文学フリマ東京38』にて頒布したコピー本「それわた特別号2024夏」の全文を公開します。当日立ち寄ってくださったみなさんもありがとうございました!次は12月の東京か、今年1月の京都が楽しかったのでまた地方遠征もいいな~と考えています。


Nさん(東京都・三十代・会社員)からのお悩み
「会社の先輩(四十代)のことで悩んでいます。直接話すと感じのいい人だし、仕事も丁寧なのですが、常にその場にいない人の悪口というか、愚痴というか、とにかくネガティブなことをずっと話しています。私のことも悪く言っていると他の社員から聞くこともあり、シンプルに気分が悪いです。正直顔を見るのも嫌ですが、出社日が重なることも多く、彼女がいるだけで憂鬱です。私、どうしたらいいでしょうか?教えて、たほ先生!」

たほ先生からの回答
「注意できる上司がいないとなると、Nさん本人から『そういう陰口を言うのはいやだ』と伝えるべきですよね。でも、それができないのがふつうだと思うので、そういった場合は先輩が悪口を言うのを邪魔してみるのはいかがでしょうか?たとえば、黙って聞いているだけではなくて、『ええ~~?(苦笑)』という相槌を打ってみたり、『うわ~、いじわる~(笑)』『ちょっと言い過ぎでは?w』みたいに、その人の悪口を茶化して矮小化して、先輩を『何かにつけて人の悪口を言うキャラ』に仕立て上げる。そうやってネタ枠にその人を落とし込む。先輩が人の悪口を言うことによって「ズバズバと他人を指摘する私カッコイイ」モードに入っているのだとしたら、それがすべっているのだということ、そして「あなたは特別ではない」ということを教えてあげましょう。きっとそういう人は、それまでの人生で、「話を聞いてもらえる側」であることが多かったと思います。なので、少なくともNさんには陰口が通じない、言ってもなんだかこっちが不快になる、という空気を時間をかけて作りましょう。意識をそういう方向に持っていくことによって、先輩の悪口がそれだけでだんだん耳に入ってこなくなると思います。黙って聞いてるってことは、その悪口を聞いちゃってるってことですよね?(Nさん「そしたら、先輩が悪口始めたら歌いだしたりしたらいいってことでしょうか?」)そうです。コナンの犯人が動機を語るときに流れる曲とか、スネ夫が自慢するときに流れるテーマありますよね?そんな感じで、悪口を言う先輩のテーマみたいなのを、歌うまでしなくても脳内で流したりすれば気が紛れるのではないでしょうか。それか、先輩がそのターンに入ったら無理やり話を変えるとかね。あるいは、たとえばAさんについて「最近Aさん仕事雑だよね」とか言っていたら、バカなふりして「私このあとAさんとミーティングなのでそれとなく伝えときましょうか?」って言うとか。あの手この手で、悪口を「受容しない」行動をとっていけば、いつか気にならなくなってくるはずです。


Tさん(東京都・年齢非公開・会社員)からのお悩み
「私の元カレ(約四名)と夫は全員一番好きなアーティストがミスチルなのですが、私自身はミスチルが特に好きではありません。ミスチルが好きではない私なのにミスチルファンの男性とばかり縁があるのはどういうことだと思いますか?」

のい先生からの回答
回答の前に私がミスチルのことを心から憎んでいるというエピソードをご紹介したいと思います。私は中学生のころ、クラスの男子全員に嫌われていたのですが、ある日、学年全員が集まるレク大会がありました。そこではランダムに選ばれた出席番号の生徒が各クラスから前に出てイントロクイズに答えるコーナーがあったのですが、私の番号が呼ばれて私が前に出た瞬間に、私のクラスの男子が「死~ね!死~ね!」とコールを始めました。そのとき、流れたのはミスチルのsignでした。「なんで答えらんねーんだよ!」「ミスチルに決まってるだろ!」男子たちに罵られ、私はその瞬間からミスチルが大嫌いになったのでした。
それはともかく、ご質問に対する回答ですが、普通にミスチルが好きな男性が多いだけなのではないでしょうか?あなたは付き合った男性が全員ミスチルが好きという、至極蓋然性の高い事実に対し、何らかの奇跡的な繋がりや運命じみた何かを見出そうとしているのかもしれませんが、実際そこにそんなものは無いと思います。
そんなことを気にするよりも、ミスチルなどという爽やかで耳当たりがいいだけの音楽を好むような凡庸な男性とばかり付き合ってしまう己の安易さを恥じるべきではないでしょうか。(Tさん「これミスチルに刺されるよ!?」)私がミスチルに刺されたとしても、私が中学生のときに受けた心の傷に比べるとなんでもありません。かかってこい!


Nさん(東京都・三十代・会社員)からのお悩み
「地元のスポーツクラブに通っているのですが、8割の客が高齢者で、私くらいの年代の人はマイノリティです。そんな中で利用していると、ほとんど言いがかりに近い注意をおばさんから受けることが時々あり、注意された日は一日気分が最悪になってしまいます。具体例を挙げると、更衣室と大浴場の間に設けられた脱衣所で、ポーチに化粧水を入れて置いていただけで、『こんなところでそんなん(保湿)やらないで、向こう(更衣室)でやって』と一方的にいちゃもん付けられたり……おばさんがおばさんに注意しているのは見たことがありません(迷惑行為をするおばさんはフツーにいますがフツーに店員さんに注意されています)。この気分の悪さをどうしたらいいでしょうか。おばさんを倒す以外の回答を所望します。」

たほ先生からの回答
そういうおばさんって、例えば電車で座っていて、隣に座っている人のカバンの中にペットボトルが見えたら「電車の中でそんなん飲むな」って言ってくるんですかね?でも、電車の中でペットボトルを飲んではいけないというルールはありませんよね。それに、その人の事情もあります(例えば、体調の関係でこまめに水分をとることがどうしても必要な人だったりとか)。化粧水に関しても、人の持ち物をじろじろと見て、勝手にジャッジを下して、言いがかりをつけるという行為は浅はかだと思います。それに、自分より若い人だから注意ができるという不遜さもある。つまり、あなたはそんな人のことを相手にしなくてよいのです。道ですれ違った犬に吠えられて一日嫌な気分になったりしませんよね(Nさん「かなちい!!!!いやなきもちになる!!!!」)。それと同じで、(Nさん「あ、私のコメントは無視なんだ・・・」)「すいません」と口だけ言って、受け入れないといいと思います。個人的には、化粧水もそこで塗ればいいと思う。それで、さらにおばさんが逆上してきたら、係の人に迷惑行為をする人として突き出しましょう。そして将来自分がそういうおばさんにならないよう心がけることが大事ですね。


Tさん(東京都・年齢非公開・会社員)からのお悩み
「私は歳を取っていくのに、アイドルなどいわゆる『推し活』の対象となるような人たちの年齢が、二十歳そこそこから変わりません。いつも自分より若い子ばかり推してしまいます。推し活が楽しい反面、こんなことをしていいのだろうかという気持ちに時々なってしまいます。」

のい先生からの回答
自分の子どもくらいの年齢の女性と結婚する芸能人がしょっちゅう炎上するご時世に、若い子ばかり推してしまうことに悩む気持ち、よくわかります。私もKPОPの女の子が好きですが、せいぜいハタチそこそこで、中には高校生、いっそ中学生の年齢の子もいます。多分私たちのタブー観は至極真っ当なものだと思います。若い子たちの時間や才能をお金で買っていることを意識すると、推すこと自体に加害性があるのではないかとよく考えます。先日「成功したオタク」というドキュメンタリーを観ました。自分の推しが性犯罪で逮捕されたアイドルオタクの女子が自らメガホンをとり、自分のオタク友達を訪ねて率直な気持ちをインタビューして廻るのですが、どのオタクも推していた頃のことはかけがえのない思い出として大切にしつつ、推しの犯した罪の重さを受け止めかねている様子でした。この質問への回答は、「苦しみ続けろ」以外に私には思いつきません。私も苦しみますし、Tさんも苦しんでほしい。でも、この苦しみを捨ててしまったときに私たちは今度こそ有害なオタクになり得るのだと思います。


Nさん(東京都・三十代・会社員)からのお悩み
「コロナ禍を経て、独り言がひどくなってしまい、たいへん恥ずかしい思いをしています。先日は、近くに誰もいないと思って職場の自席から立ち上がりながら『ピッピカチュ~!』と言ったら、普通に真後ろに人がいました。特にパ行が出やすく、その他にも、変な電話を受けた後に『アピ・・・』とか、厄介なメールが来たときに『パピピ・・・』とか言ってしまいます。やめようと思うのですが、完全に無意識で言ってしまうので、ほぼ自動再生です。どうしたらいいでしょうか?」

たほ先生からの回答
まず、独り言が多くなったのは、コロナ禍のせいでなく、単なる老化ではないでしょうか?ちなみに私も多くなっています。しかし、パ行というのは、不幸中の幸いだと思います(かわいいので)。ガ行とかだったら絶対嫌だと思うよ。『ギギギィ!』とかイヤじゃない?これから出会う、誤解されたくない人には、「私、よく独り言を言ってしまうのですが、全部パ行でかわいくて加害性がないので安心してください」と先に申告しておきましょう。相手は嫌な気持ちにはならないと思います。でも、もし悪化して独り言の加害性が強くなってきたら、それは専門家の助けが必要になるので、私ではない人に相談してください。ピッピカチュ~。


Tさん(東京都・年齢非公開・会社員)からのお悩み
「仕事を辞めたいです。結婚したことによって私が辞めてもありがたいことに生活は維持できます。でも、今まで培ってきたものが全部チャラになって、年齢的にも安易に辞めることが難しいということは重々承知しています。辞めたい理由は、働きたくないという思いが強いことと、あとよく考えているのは、人生で何もしない時間があったことがないということ。何者でもないという時がなかった。本当はぼーっとしてみたいんだけど、そういうことをするにはもう遅すぎる年齢なんじゃないか。何をしてもいい時間が欲しいんです。もしかしたら資格の勉強始めるかもしれないし、アルバイトをするかもしれない、近所のパン屋で。そんな時間を手に入れたことがないから使い方も分からないんだけど。私の周りの人ではそういう時間を経験している人が多くて、そのことを良かったと振り返る人が多いから、自分も体験してみたい。でも、踏ん切りがつきません。」

のい先生からの回答
相談者さんのおっしゃる「空白の時間」を経験したことがある立場から回答しますが、私には無職には才能が必要だと思っています。人は、自分が何の役にも立っていないし、履歴書に書けることを何もしていない状況に、多くの場合耐えられません。中には、水を得た魚のようにイキイキと無職を楽しんだり、前向きに新しいことへの勉強を始めたりできる人もいますが、少数です。その才能は何か訓練によって身につくものではなく、生得的なものだというのが私の見解です。だから、このお悩みへの回答は「あなたに無職の才があるかどうか」に終始します。それを事前に知ることはできません。おすすめは、職場によっては難しいかもしれませんが、一度まとまった休みをとってみることです。メールや会議から完全に遮断されて何もしていない自分になってみる。それを疑似体験して、そわそわするのか、晴れやかな気持ちになるのか、自分を試してみてはいかがでしょうか。ちなみに私は才能ゼロでした。ただただ苦しい、苦しい日々を過ごしました。もう二度とあれは体験したくない。労働に感謝!労働に乾杯!


Nさん(東京都・三十代・会社員)からのお悩み
「私は独身で子どもがいません。それについて職場の年配の女性から『やっぱり子どもがいないと、一人前の大人ではない』と言われたことが非常に腹立たしく、『大人とはなにか』『人間の成熟とはなにか』をずっと考えてきました。今のところの結論としては、『庇護される側からする側へ移行すること、すなわち育てられる側から育てる側へ、守られる側から守る側へ自然と社会の中での役割が変わること』。これが大人になることで、大人として成熟するということは自分のみに向いていたフォーカスを、適宜他人に当てることができるようになることだとではないかと考えています。しかし、またこれも私の中だけでの勝手な基準であり、職場の人が結婚・出産という物差しで他人を測っているのと同種の行為ではないかと不安になります。そもそも、大人になる必要があるのかというところから疑問に思えてきました。でも、大人になりたい、人として成熟したいという思いは確かにあるのです。このジレンマをどうしたらいいでしょうか?」

たほ先生からの回答
逆に質問なんですけど、Nさんのものさしで見たときに、成熟してないなと思う人は周りにいますか?

Nさん
いますね(苦笑)最初に相談した職場の先輩とか。この件について考えるようになったのも、結婚出産おばさんに言われたことに加えて、「この人は私よりも年上なのに、どうしていまだにこんな中学生女子みたいなことをするんだ?」と疑問に思うことが増えたというのもあります。

たほ先生
でも、Nさんはそう考えたことを相手に伝えたり、自分のものさしを押し付けたりはしていないわけですよね?

Nさん
そうですね。頭の中で勝手に軽蔑したり嫌いになったりしますが、表面上は敬意をもって接します。

たほ先生
それがもうすでに正解かと思います。自分なりの尺度で社会のあれこれを測ってしまうのはある意味当然というか、誰にだってあることかと思います。私にもそういうものはありますし。その尺度に明確な答えはないですし、時代によって求められていることも変わっていくし、そもそもNさんの今後の人生のなかで価値観がガラリと変わる可能性だってある。そう考えたときに、未来の自分のためにも今の個人的な物差しを他人に強要しないことは重要で、Nさんの今の行動はそれこそ「大人な対応」に当てはまるのではないかと思います。
そういえばNさん、昨日テルマー湯で、どのシューズロッカーを使えばいいか分からなくて困っている人に「空いているところどこでも大丈夫ですよ」と声を掛けてあげてましたよね。乗り換えで迷っている観光客の人を、実際に駅まで連れて行ってあげたこともあった。何も子育てだけではなく、目の前の人を安心させる振る舞いができること。これって十分成熟していると言っていいんじゃないでしょうかね?

Nさん
あ~錦糸町に向かうバスの中にいたインドネシアの人ね!あったあったそんなこと。そしたら、これも最初の質問の陰口先輩やジムの言いがかりおばさんと同じで、見た目は大人・頭脳は中学生女子の人たちに対しても、拒絶はしないけど受け入れない、という姿勢が重要になってきそうですね。

たほ先生
そうですね。あくまで「こういうことを考える人もいるんだなあ」と自分の思考のストックくらいにしておいて、今後の創作活動などの肥しにしてやりましょう。矛盾しているようですが、いろんな人の物差しを知ること自体は悪くないと思うので。
私がNさんをすごいと思うところは、自身の中で湧き上がるモヤモヤとした気持ちを、定期的に言語化していること。私は、嫌なこと言われたら大量飲酒で押し流しちゃうし…。ぜひ、そのうまく言語化した思考の過程などを、世の中にシェアしてほしいと思います。

Nさん
ありがとう。大量飲酒はよくないと思います。


あとがき
のい先生
くぅ~疲れましたwこれにて完結です!人生相談に答えてみて、たほさんどうでしたか?

たほ先生
意外と答えられるなと思いました。でも自分がアドバイスしたことを自分自身がじゃあできてるのか?というのは別の話だと思いますが。

のい先生
私は普段からよく新聞のお悩み相談や、マシュマロによく答えているアルファアカウントを見て、自分ならどう答えるかのイメトレをしていたので、その成果が発揮されたと思います。

たほ先生
それにしてもミスチルの件は本当に酷かったと思います。登場人物全員傷ついてて、胸の痛くなる回答でした。

のい先生
私たちはたまに無頓着な言葉で汚しあって互いの未熟さに嫌気がさしますが、でもいつかは裸になり甘い体温に触れてやさしさを見せつけあう日がくると思います。

たほ先生
signの歌詞やめてください。

本当の本当に終わり

この世界のどっかで生きてる恋愛が無理なあなたへの手紙

Netflixで配信中の映画『そばかす』を見たら怒りで気が変になりそうになって感想を書こうと思ったんだけど思うままに書いたらただの悪口にしかならなさそうだったので代わりにエッセイを書きました。
『そばかす』のネタバレが一カ所だけあります。
もしかしたら似た経験をしたことのある人には読んでいて苦しくなる部分があるかもしれません。元気なときに読んでください。

 

 


私の友人の話をしたい。
私たちは二次創作のBLを書いて同人誌を作ったりする、いわゆる同人女で、当時放送されていたアニメの同じカップリングが好きで出会った。彼女はフォローゼロ・フォロワーゼロでひたすら壁打ちをしていた私をフォローしてくれた、ただひとりの自カプ仲間だ。すぐに仲良くなって、LINEも交換したし合同誌も出した。出会って6年近く経つけど、新幹線の距離に住んでいることもあってまだ4回しか会ったことがない。それでも私たちはLINEや電話でいろいろなことを話した。特に、アニメがかなり中途半端な感じで終わって、自カプの新規燃料も完全に途絶えて、二人の中で自カプへの思いが煮詰まりすぎて、攻めの子ども(もちろん私たちのオリキャラ)がアメリカのインターナショナルスクールに進学した先で出来た友達(もちろん私たちのオリキャラ)と繰り広げる毎日(純度100%の妄想)について夢中で話していて、ある瞬間に「これはもう二次創作と呼ぶべきではない」と二人して我に返ったあたりからは、オタク話以外のいろんな話をするようになった。

 

 

 

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友人と二人で登ったスカイツリーで。

 

 

 

ところで、私が二次創作を含む創作活動をするモチベーションの最たるものとして、「この世のどこにも私のためのフィクションがない」という欠落感がある。何か作品を見ていて、「このキャラクターがどうしてこんなことをするのか、よくわからないな」とか「この展開はなんとなく不愉快だな」とか思うことは、もちろん誰にでも起こりうるが、私の場合、何を見てもほぼ必ず、『意味のわからない瞬間』や『私にとって不都合な展開』が訪れるのである(注1)。もちろん心底大好きな作品はちゃんとあるのだがものすごく少ない。他人の作るフィクションは、そういう意味で常に私にとって『異物』だが、自分で書いちゃえば、当たり前だが、その中では私にとって意味のわかることや都合のいいことしか起こらない。それがあまりに心地よく幸せなので、自分を救うためにもう何年も小説を書き続けている。

 

 

 

そんな私の書くものを好きになってくれた彼女もまた、私同様にピンとこないことが多いらしい。有り体にいえば、つまり、誰かを好きになって、胸が苦しくなって、会えない時期が続くと苦しくて、他の子と話していると嫉妬して、相手も同じ気持ちでいるか不安になって、思いが通じ合ったら嬉しくて、独占したくなったり、気持ちがすれ違うとつらくて、一人の夜にふと涙が出たりする、みたいな、恋愛なる行動様式一般に見られる鮮烈な感情の何もかもが、我々にはどうにも共鳴しづらく、分厚い壁一枚隔てた向こう側にあるように感じられるのだった。ただでさえ理解に苦しむ恋愛感情に性的欲求まで加算されるともう完全にお手上げで、「好きだからセックスしたい」はもうなんか「おなか空いたからカラオケ行きたい」くらい全然よくわからない(「おなかが空いた」も「カラオケ行きたい」も個別ではまだ理解できるのでなおさら厄介である)。フィクションでよく見る「オレはおまえのことが好きだ」「私も好きだよ」「違う、違うんだ、オレはおまえを『そういう』意味で好きなんだよ……(苦しげに俯く)」みたいなやつも、それは「好きだ」じゃなくて「おまえとセックスがしたい」とはっきり言うべきだと常々思っている。

 

 

 

あの日の夜、私は彼女と電話をしていた。私は電話をするときに部屋の中をグルグル回る習性があって、その日もやっぱり狭い自室の中をグルグル回りながら話をしていた。私は彼女よりちょっとお姉さんだったが、二人ともまだ二十代で若かった。本棚、テレビ台、ベッド、デスク、キッチンのある狭い廊下へと繋がるドア、また本棚、テレビ台、と、なけなしの家財道具をひとつひとつ確かめながら私は『恋愛をしない人間が社会の中でどんな目に遭うのか』について話をしていた。私は三十路を目前にしたいわゆる適齢期の人間で、その頃にはこの世の恋愛をしない人間が浴びるであろう大体の言葉を既に浴びてきていた。いっぽう彼女はその時まだ国家資格のために大学院に通っていたところで、そのような体験をかろうじて免れていた。
今思えば、あれは呪いだった。
──あのさ、この社会で恋愛に興味が無いとか、ピンとこないとか、無理だとか言うと、「そんな人間がいると思えない」とか、「まともじゃない」とか、「本当に好きな人に出会ったことがないだけだ」とか、「トラウマで異性に対して忌避感があるのかもしれないからカウンセリングに行ってみたら」とか、「自分磨きをしない言い訳だ」とか、「誰にも選ばれない自分を受け入れられないだけだ」とか、「理想が高すぎるんだ」とか、「人間として未熟だ」とか、「もっと明るい服を着てちゃんとメイクをしなさい」とか、「そんな人生になんの意味があるの」とか、「そう思い込んでいるだけで、頑張れば大丈夫だよ」とか、「私の言うとおりにしないと後で後悔する」とか、「おまえは愛情のない心が冷たい人間だ」とか、「自分が特別だと思ってるんだろ」とか、好き勝手に踏み込まれてジャッジされて説教されて、本当に酷い目に遭うんだよね。
私は誰にも何かを要求していない。「恋愛をしない私がもっとも正しい」とか、「恋愛なんてばかげてるから私に恋愛の話をするな」とか、ましてや「恋愛しない私を褒め称えろ」などとは一言もいってない。ただ、私なりにふつうにしていただけである。それなのに、人びとはただふつうにしているだけの私を大慌てで否定し、顔をしかめ、なんらかの欠陥を見出し、ときに同情したような顔で「なんとかしよう」としてくれる。そういうことがいくらでもあった。学校で、バイト先で、家庭で、職場で、飲み会で、数え切れないくらいあった。そういうことについて私は何の配慮もなしに彼女に話してしまった。
彼女はびっくりしていた。「私は幸いなことにまだそういうことを体験してないけど、のいさんは本当にいろいろ大変だったんだね。怖いね」と不安そうに言っていた。
あれは呪いだった。『そばかす』を見て、それに気づいてしまった。私はグルグル回りながら自分の本棚とかテレビ台とかのことはよく見ていたが、電話の向こう、新幹線の距離にいる大切な女友達のことは、何一つ見えていなかった。

 

 


先に述べたように、現在の私は『この世で恋愛をしない人間が遭遇する不都合な出来事』の大半を既に通過し、かといってアセクシャルやアロマンティックを自認することもなく、恋愛をしたいともしたくないともできるともできないとも何も思わない、そうやって性的指向を自認する行為そのものをブン投げたおかげで、かなりニュートラルな場所に泳ぎ着いた。手のひらサイズの金属の板とか目の前の金属の箱のおかげで、私みたいな人間が世界中にありふれていることも、さらにはそれが欠陥でも疾患でも何でもないことをもとうに知っているので、もはや悲しんだり困ったりすることもなくなった。『それ』がなくても私の内的世界は美しく完璧なのだと、長い葛藤を経てようやく心から思えるようになった。
でも、ここに来るまで本当にきつかった。“ふつうに”恋愛できたらどんなにラクだろうかと何度も思った。そういう感じの人たちがいるということは少しずつ知られるようになり、『理解』が広まってきた感はあるものの、ようやく出てきたフィクション内のアセクシャルは無表情の不思議ちゃんばっかりだし、「どこかが欠けている私たち」みたいな書かれ方を見るたびに怒りでどうにかなるかと思った。

 

私は、今この社会に生きている私と似た感じの人たちや、今後生まれてくる人たち、まだはっきり自覚してないけどもしかして自分ってそうなんじゃないかと薄々思っている人たちに、絶対に、私と同じ目に遭って欲しくない。

 

私の、あのたったひとりの自カプのフォロワー、一体そんなんどこで見つけてくるんだと言いたくなるような訳わかんない変なLINEスタンプを山ほど持っていたり、家に泊めてくれたお礼にと木箱に入ったかなり豪華な柿の葉寿司をクール便で送ってきてくれたり、久しぶりに会う約束をしたら向かう途中で交通事故に遭って救急車で運ばれたけど結局どこも怪我してなくて3時間くらい遅れて半泣きのフニャフニャの顔で現れたりする可愛いやつが今後、『そんな感じ』であることで悩んだり苦しんだり心が凍り付くような経験をするなんて、絶対絶対絶対に、あってはならない。

 

 


『そばかす』のラストシーンで、主人公と同じようなタイプの人間であることが示唆されるキャラクターが、こんなことを言う。
『なんか、嬉しかったです/おんなじこと考えてる人いるんだなあって/おんなじような人がいてどっかで生きてるんなら/それでいいやって思えました』
私だったら、こんなに健気で可愛いことは絶対に言わない。異物扱いされて、否定されて、一方的に説教されて、勇気を出して言い返したところで絶望的な溝がどうしても埋まらなくて何も状況が変わらないとしても、『おんなじような人がどっかで生きてるならそれでいいや』なんてそんなふうには一生思えない。
ふざけるなと言いたい。
たとえ『お話』の中だろうと、私に似た感じの人間にそんなことを言わせるな。
私に、私の友人に、私の後輩に、これから生まれる私に似た感じの人たちに、『それでいいや』を押しつけるな。理不尽の中に取り残された状態を爽やかな笑顔で受容させるな。『それでも強く生きていく』みたいな感じにうまいことまとめるな。全然よくない。全然、よくないんだよ。よくないって、言わせてくれよ。

 

 

 

もしこれを読んでいる人の中に、世界のどっかで生きている、私と似たようなことを考えている人がいたら、私があなたに言いたいことは、私はあなたがどっかで生きているだけでは全然満足しなくて、あなたが毎日好きな人や好きなことに囲まれていて、時々仕事でミスしたり車に轢かれたりしてもおいしいお寿司食べたら忘れちゃったりしながら、誰からも踏みにじられることなく健やかに生きていて欲しい、そういう当たり前の幸福が何の苦労もなくあなたに降り注いでほしいと本気で思っているということである。
恋愛する人も、しない人も、セックスする人も、しない人も、みんな等しく気持ちよくほっとかれてほしい。そこにはそれぞれの人生と選択があるだけで優劣なんかない。それぞれの小さくも祈りの込められた選択が、叩き潰されることなく、自由に枝葉を伸ばせるような、そういう広く豊かな土壌の上に数限りなくあるといい。本当にそう思う。

 

 

 

そして私の友人には、あの日、何のフォローもなくあんな話をしたことを謝りたい。あのとき私は、自分が経験したことを話した後に、「でも、あなたも私も、こんなことを経験するに値しない」ということをはっきり言うべきだった。ただ怖くて不安な思いをさせただけになってしまったことを後悔している。次に会った時、今度は私が東京で一番うまいと思っている寿司屋に連れていくし、今いるジャンルの話を地球が滅びるまで聞いてあげるので許して欲しい。そして、私はあなたのことが大好きなので、どうか、これからも私に訳のわからない変なLINEスタンプをいきなり送ってきて欲しい。

 

 

 

※1 完全に蛇足なので以下は読み飛ばしてもらって構わないが、じゃあいったいどういうフィクションなら訳がわかるしおまえにとって都合がいいのか、と疑問に思われた方のために私が好きな感じの話の例を挙げておく。例えば吉本ばななの『キッチン』の続編である『満月――キッチン2』。主人公のみかげが出張先でテキトーに入った店で食べたカツ丼がおいしすぎて、これをかつての同居人である雄一にどうしても食べさせたくて、タクシーに乗って雄一に会いに行くシーン。『キッチン』でも『キッチン2』でも二人の間に恋愛感情は生まれないし、最終的に二人が惹かれ合うわけでもない(もしかしたらセックスくらいはしたかもしれない)。それでも「うまいカツ丼を食べさせたい」という思いひとつで尋常でない行動力を発揮するみかげは愛おしいし、真夜中の道路をホカホカのカツ丼とみかげを乗せたタクシーが駆けていく情景はとても美しい。ここでもし、みかげが「私はやっぱり雄一のことが好き。これからは隣でいっしょにカツ丼が食べたい」とか言い出したら全てが台無しだった。ただ彼にうまいカツ丼を食わせたいという気持ちひとつが暗く静かな伊豆の夜に光っているのがとにかくいいのだ。あとは映画だと『once ダブリンの街角で』とか『ガタカ』、舞台では『The Curious Incident of the Dog in the Night-Time』や『NEXT TO NORMAL』、マンガなら『ファンタジウム』や『LIMBO THE KING』みたいな話が好き。