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話し相手は自分だよ

同人サークル『それわた』について

▼『それわた』とは?
「たほ」と「のい」の二人が楽しく遊ぶサークルです。
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▼次回の活動予定

2023年5月開催予定の文学フリマに出たいな~と思っています。

『このミステリーが(ある意味)すごい!』をテーマに小説を書きたいです。

 

▼活動履歴

2022.11 COMITIA142

2022.5 COMITIA140


▼既刊

★『ねとらぼ』で紹介されました!

自分とまわりに向き合うエッセイ 同人誌『それが私にとってなんだというのでしょう』が向ける生き方へのまなざし(要約):司書みさきの同人誌レビューノート - ねとらぼ

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3x歳が自動車学校行ったら人生だった【5/4 #文学フリマ東京42 サンプル】

 明らかに常軌を逸している乗り物がある。自動車という。
 重量平均一.五トンの鉄の塊。市販の車でさえ、その最高速度は二〇〇キロとも、それ以上ともいわれる。あろうことか、加速するための装置と停止する装置が隣り合って配置されており、事故を誘発するかのような凶悪な設計になっている。もはや設計者が破壊願望の持ち主だったのではないかと想像せざるを得ない。排出されるガスは深刻な大気汚染を引き起こし、さらには地球温暖化などさまざまな環境問題に大きな影響を与えている。また運転者としても、過度の利便性により慢性的な運動不足になりやすい。公共交通機関よりも自家用車の使用率が高い車社会では、肥満率や糖尿病罹患率が顕著に高いという。
 この死を招く恐ろしい乗り物を、なんと日本では一八歳から運転することができる。一八歳なんてちょっと前までおしめをしていた年齢だ。そんな、ほぼ赤ちゃんみたいな人間でも、何ヶ月か教習所に通えば(あるいはド田舎の合宿所に二、三週間ほど軟禁されれば)この乗り物を公道で乗り回す許可が下りる。しかも、その免許を発行するのはなんと警察である。私たちは警察のお墨付きで、この自動車とかいう楽々殺人マシーンを、一八歳から乗り放題なのだ。どう考えてもおかしい。
 私はずっと「人殺しの免許なんて欲しくない」と思っていた。幸いにして電車とバスでだいたいどこにでも行ける地域に住んでいた。親もそこまで強く免許を取れと言ってこなかったこともあり、私は免許を取る絶好の機会である大学時代を教習所に通わず薄ぼんやりとして過ごした。とっさの判断が苦手であり、おまけの左右の区別が付かないという謎の性質も相まって、自分には一生車を運転する日など訪れないだろうと思っていた。
「え、免許ないんだ」
 そう言われるたびに、私はわざとらしく明るい声を出して言った。
「私なんかが運転したら、十メートルおきに一人轢いちゃうからさ」



 ところで二〇二六年四月現在、私は無職である。
 現実のオフィスでもTeamsのチャット上でも日夜繰り返されるパワハラ上司の恫喝と、AI生成していることを隠しもしない上司作成の書類を修正し続ける日々に削られ続け、心身共に疲労困憊の状態で会社を去ったとき、私は「もう絶対しばらく働かない」と強く心に決めていた。しかし、心置きなく自由を満喫するためには、世間の目から逃れるための言い訳が必要である。資格の勉強とか、語学留学とか。そういう「それなら仕方ないね」みたいな雰囲気になんとなくなりそうな、なんかいい感じの免罪符が私には必要だった。ありのままに純粋に無職でいる気概と勇気がなかったのだ。
 そこで私は「そうだ、自動車学校に通えばいいじゃん」と思いついた。日本の労働人口の八割が所持しているという普通免許を、持たないことを嘲笑する人はいても、取ろうとしている人に向かって「そんなもん、いらないよ」と言う人のほうが稀だろう。実際、教習所に通うことを話した友人知人の、ほぼ全員がポジティブなリアクションを返してきた。「その歳で?」という冷ややかな反応も想定はしていたが、まったく杞憂に終わった。免許を取ることは絶対的正義だ。あんなにイカれた乗り物なのに。
 とっさの判断が不得手であることに関しては、今から何をどうトレーニングしても大きく改善されることはないだろうが、きっと近い将来、事故を回避する安全機能や自動運転の技術が日進月歩の発展を見せ、運転者本人の技術や気質は大した問題にならない未来がくるはずだという、何ともお気楽な希望的観測があった。左右が分からないことについても、普段ひとりで道を歩いていて左右を間違えることはないので、同乗者やナビに「そこを右!」とか「角を左!」とか急に言われることさえなければ間違えないし、そもそも間違えたところで元の道に戻ればいいだけだから大したことではない。免許を取ろう。これがきっと最後のチャンスだ。もし運転できるようになったら、友達と犬を乗せて海や山へ遊びに行こう。近隣の自動車学校を検索しているときの私はこのようにすっかり気楽なもので、この後、想像を絶する苦悩の日々が待ち受けていることを知る由もなかった。


 教習所と言われて私が真っ先に思い出すのは、竹本くんのことだ。我々世代の女子が美大に対して過剰な理想と幻想を抱くことに大きく貢献したと思われる羽海野チカの名作『ハチミツとクローバー』に登場する、手先は器用なのに生き方がちょっと不器用な優しい男の子である。物語の終盤で彼は運転免許を取るべく教習所に通い始めるのだが、教官に「ハイ、君もう一回ね」と言われて「くううぅぅ~」と涙を流すシーンがある(手元に単行本がないのでうろ覚えだが、彼が失敗したのは確か縦列駐車だったと思う)。そして、「追加教習一回ごとにアルバム一枚分の金が飛んでいく」と文句を言う。この場面は、当時中学生だった私に、「自動車学校」という場所の存在を強烈に印象づけた。あの基本的に器用貧乏な竹本くんでさえ、車の運転には手こずるのだ。運転ってものすごく難しいものに違いない。
「安心パックをつけますか」と、教習所の入校手続きで職員の方に聞かれたとき、私の脳裏にはやはり竹本くんの顔がよぎった。つまり、教習所では技能(実際の運転)と学科(座学)それぞれ規定の時限数が決まっているが、特に技能教習において、規定数を超えて教習を受ける場合や、検定に落ちて再挑戦する場合に、通常であれば追加料金を支払わなければならないところを、この『安心パック』に加入することにより、何度でもやり直しが可能になる。採算度外視の、神がかったオプションである(と、思ったが、先生によると「営業さんに聞いたけど、最終的にはトントンらしいよ」とのことだった)。竹本くんでさえ何度も補習を受けさせられているのだから、私なんか絶対に付けた方がいい。そう思って値段を見たら、なんと年齢によって安心パックの価格が細かく設定されていた。二十代は一万円、三十代は二万円、それ以上は三万円。私は現役の若者の二倍の値段を支払わされる、つまり、ありていに言えば三十代以上は若者に比べてポンコツであると学校側に見做されているということに等しい。微妙な気持ちになりながらも、私は教習料金プラス二万円を支払い、晴れて教習生の身となった。



 さて、私には大変厄介な性質がある。私はこれを「スキャン」と呼んでいる。

 例えば、職場の、そこまで親しくない他部署の人たちと成り行きでランチに行く。雑居ビルの中にあるタイ料理店は、ランチ時のピークは過ぎたものの席が八、九割埋まるくらいには繁盛している。私の「スキャン」は自動的に起動し、五感が店内のすみずみまで広がっていく。窓からの日差しの強さ。空調の加減。ナンプラーの香り。特に話し声の大きいグループと、一人で黙々とパッタイを食べているサラリーマンと、店員とタイ語で親しそうに話しているタイ人っぽい人。店の奥の席に案内される。隣にセルフの飲み物コーナー(ハスの花の香りの、わずかにスースーする、ここでしか飲んだことのないお茶と、コーヒーが飲み放題)があるため、脇をしょっちゅう他の客が通る。私はテーブルを囲む会社の人たちの様子をそれとなく観察する。少し疲れている人。慣れないメンツに僅かに緊張気味の人。マイペースにガパオの辛さ加減を心配している人。手元のおしぼりを何度も折り曲げている人。後ろの席の女性二人組は、片方ばかりがしゃべっていて、もう片方はほとんど相槌を打つのみだ。奥のテーブルの若者たちは仕事の愚痴で盛り上がっているようだ。それにしても空調の風がわりとまともに当たる席だ。私はストールを羽織っているからいいが、Tシャツの人は寒くないだろうか。後ろの席の相槌係の声に明らかに疲弊が滲んでいるのが気になる。あらら、奥のテーブルの奴らは他社を名指しでディスり始めた、大丈夫か? 店員がでっかい声でウーバーの配達員と注文番号を確認し合っている。あ、〇〇さん、カオマンガイにのってるパクチーをよけた。苦手だったんだな。店内のBGM、Spotifyの無料版だ、ときどき広告が流れてくる。あー、やっぱりここのグリーンカレーは辛いけどおいしいなー、アロイ、アロイ(タイ語で『おいしい』の意)。

 ……とまあ、こんな感じで、私は普段から自分の周囲の様子をほとんど無意識にスキャンし続けてしまうのだ。それで、お店を出た後に、「後ろの席の二人組、ほとんど片方の人しか喋ってませんでしたよね」とか言って「そうだった?」という反応をされる。「どうやら、多くの人はここまで周囲の様子を逐一把握していないらしい」ということに気が付いたのはつい最近のことである。
 この「スキャン」は幼少期から家庭内、あるいは学校など集団生活の場において危機の兆候をすばやく感知するために発達した能力であると思われる。私の周りには昔から何故か、まるで山の天気のようにコロコロと機嫌が変わり、機嫌次第で周囲を攻撃するタイプの人間が数多く生息していて、そういう予測不能な攻撃を仕掛けてくる野生のポケモンからの不意のたいあたりを少しでも回避し、ダメージを軽減すべく、私は常に周囲の状況に対して注意を払ってきた。飛んできたボールをとっさに避けることは苦手だったが、機嫌が悪そうな相手にどう声をかければいいのか、その場で急いで考えることには長けていた。危機を察知し、回避するための行動を積極的にとる。危機が去ったと確認できるまで、私のスキャンは終わらない。つまり私は、どうしても、その場にいる人間の機嫌を自分が取らなければならないと思ってしまう性質なのだ(ここまで読んで、「え、別に私の機嫌は取ってくれてなくない?」と疑問に思った友人がいたら、あなたはさいわいである。あなたは私の中で『わざわざご機嫌を取らなくても友達でいてくれるマブダチ』認定されているということです)

 そしてもう一つ、私は「とっさの判断が苦手」と何度か書いているが、これは半分正しく、半分間違っている。
 どういうことかというと、確かに私は、「その場でパッパッと動く」よりも「じっくり時間をかけて考える」ことのほうが得意である。多少困難なタスクでも、ある程度の時間の余裕を持って、自分のペースで考えることが許されるなら、私はほぼ確実にその仕事をこなすことができる。しかし、忙しない状況で突然の判断を迫られると、どうしてもミスをしてしまうことが多い。
 例えばこんな状況――学生時代のアルバイト先の写真屋。受験の出願の時期で、多くの中高生が証明写真を撮ろうと列を作っている。レジには喪中はがき印刷の注文をしにきたおばあさん、事情が事情(夫が死んでる)なだけに雑な扱いはできない。写真注文機の前には、なかなかスマホから写真データを読み込めなくてイライラしている客。鳴り続ける電話。今日に限って気の合わないパートのおばさんとツーオペで、彼女は店の奥に引きこもって写真の検品をしていて頼りにならない。レジカウンターの上にはさっきの客が忘れていったっぽいポイントカード。さあ、どうする、私。……というような状況で、どうしていいかわからず、うるさいのを止めたくて電話に出たら「電話より目の前の客でしょうが!」と奥でサボってたパートのおばさんに叱られる、みたいなことになる。
 問題は、「そんなん、程度の差はあれ、誰だってそう」だということだ。確かに私はちょっとおっちょこちょいなところがあるかもしれないが、上記のような状況でスルスルと効率的に動ける人間の方が少ないだろう。何が言いたいかと言うと、私は、自分が「とっさの判断が苦手」で、「いつか取り返しのつかないミスをする」と『必要以上に思い込んでいる』のである。何だかすごい話になってきてしまったが、本当にそうなのだ。これは私の母親が事あるごとに「おまえはいつか取り返しのつかない大きな失敗をするが、そうなっても誰も助けてはくれないからね」と言っていたことに起因する。何で? そんなこと、私のほうが知りたい。ちなみに私はこれまで生きてきて、自慢ではないが一度も「取り返しのつかない大きな失敗」をしたことがない。財布やスマホをなくしたことも、事故を起こしたことも、BCCすべきところをCCしたことも、やかんを火にかけたまま昼寝したことも、羽田と成田を間違えたことも、ない。しかし人間の脳というのは素直なもので、そう言われ続けると、いつしか言われたことを事実として認識し始めてしまうのだ。
 かくして、私には二つの呪いがかけられた。一つは「おまえはいつか取り返しのつかない大きな失敗をする」。そして、「失敗をしても誰も助けてくれない」だ。この呪いにより、私は極端に失敗を恐れるようになった。失敗することそのものへのタブー意識。また、失敗によって周囲の人間からの信頼を失った結果としての、存在価値の喪失。それが堪らなく怖くて、私は常にうっすらとした緊張と不安を抱えながら生きることになった。


 おさらいしよう。私には空間を「スキャン」して、周囲の危険を察知し、人の機嫌を取りに行ってしまう習性がある。さらに、失敗することに対し過度の恐怖心を抱いていて、失敗をすると自分の価値がなくなってしまうと思い込んでいる節がある。
 そういう人間が、教習所に行くとどうなるか。ちょっと想像してみてほしい。教習車の中には、私と指導員の二人きり。私は、教習開始のベルが鳴り、助手席に乗り込んだ瞬間から、ほぼ初対面である指導員の機嫌をスキャンし始める。元気そう? それとも疲れている? 声のトーンは? どんなタイプの指導員だろうか? 私は怒られる? それとも優しく教えてもらえる? 指導員の様子を伺い続けながらも、運転を交代し、本格的に技能教習が始まる。当然ながら、私はたくさんの失敗をする。アクセルとブレーキも余裕で踏み間違えるし、内輪差でタイヤを擦るし、対向車がいるのに右折しようとするし、縁石に乗り上げる。そのたびに指導員が補助ブレーキを踏んで、厳しい声で私に注意をする。指導員によっては必要以上に強い言葉で責め立てられる。
 指導員は道路交通法に基づいて毎分毎秒、私の運転を監視する。マイルールを押し付けてくるパートのおばさんや、偉そうにしてるだけで大して賢くはないパワハラ上司と違って、彼らのジャッジは絶対だ。私は言っていることに正当性のない相手に対しては舐めた態度を取ることができるが、正論で殴ってくる人を前にすると塩をかけたナメクジみたいにしぼんでしまう。加えて、私には「私は大きな失敗をする」という呪いもかかっており、車に乗るたびに、「今度こそ他の教習車にぶつけたりして、誰かを傷つけるかもしれない。最悪、命を奪うかも」という恐怖に襲われる。そうして私にとっての教習車は、「指導員によって絶え間なくジャッジされながら、事故を起こすかもという大きすぎる恐怖に震え、失敗を繰り返し、指摘を受けるたびにメチャクチャ落ち込むが、反論することもできず、自分の価値が削られ続ける」という、根源的恐怖再生産装置と化してしまったのである。
 技能教習が始まってすぐに私は「これは大変なことに手を出してしまった」と思ったが、既に安心パック等のオプション代金を含め四十万円近い教習料を支払ってしまっており、後の祭りであった。指導員に怒られるかも。そもそも運転向いてないかも。永遠に教習所を卒業できないかも。今度こそ誰か轢くかも。最悪の事態はいくらでも頭に浮かび、私を苦しめた。苦しみながらも、無職なので、教習所に通わないわけにもいかず、地獄のようにつらい教習の日々が続いた。
「教習所 つらい」「教習所 やめたい」で検索しては、全国の教習所やめたい仲間の書き込みを見て涙ぐんだ。しかし本当にやめるわけにもいかず、Youtubeで「車両感覚」や「カーブのときの視線」、「上手な右左折の方法」などの動画を目をギンギンにして繰り返し見ては、そこでもコメント欄に残された全国の教習生の悲鳴や泣き言や励ましを読みふけり、枕を濡らしたのだった。


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続きは、5月4日に東京ビッグサイトで行われる文学フリマ東京42で頒布する『Driving Through Life』で!
既刊もあります。


今までにない読み味のエッセイになったと思います。
免許ある人もない人も、毒親育ちもACも、みんな読んで~!!

既刊のご紹介
525600.hatenablog.jp
525600.hatenablog.jp

ブスだから仕方ないね

★この記事は「おためし有料記事」です。本文は全文無料で読めますが、課金していただくと可愛い犬の写真が見られます。投げ銭みたいな気持ちでどうぞ。



 親譲りの不細工で子供の時から損ばかりしている。
 夏目漱石にも同情されそうな出だしになってしまったが、私は本当に不細工な子供だった。家も近く姉妹のように育った二つ年下の従姉妹の結婚式に出席した際、プロフィールムービーに映し出されるお人形のようにかわいい従姉妹の隣にはいつも小さく細い目をつり上げた私がいて、卑屈な私は「てめーわざと私と二人で写ってる写真を選んでないか?」と勘ぐってしまうほどであった。
 中学に上がって周りが色気づき始めると、身だしなみに全く頓着しない私のブスさはますます浮き彫りとなり、女の子たちに陰口を叩かれるようになった。中でも特に印象的だったのは入学直後に後ろの席になったマキという子で、彼女のやり口は飛び抜けて陰湿だった。マキは、表面上は非常に友好的で、明るく私に話しかけて親しげに会話をしては、それを本来所属するグループへと持ち帰り、「あいつはあんなことを言っていた」と密告してクスクス笑っていたのだ。私はある日ひょんなことからその事実を知ることになったが、その際に、マキが私のことを「あいつはバカでブス」だと言っていたことも知ってしまった。私はそのときの、体の芯から震えるような怒りを今でも克明に記憶している。
「ブスはともかく、バカとは何だ、バカとは!!」
 その夜は怒りのあまり眠れなかった。その日に至るまで私はろくろく勉強というものをしてこなかったが、自分がバカではないということを証明すべく猛勉強を始め、中学最初の定期試験で私は学年300人中、めでたく13位の栄光に輝いた。事実そのおかげで私は勉学に目覚めたので、その点ではマキに感謝している。(その後、私とマキは同じ塾に通うことになったが、中学三年間、私は常に最上位クラスで、彼女は常に最下位クラスだった。そのことはいつも私の心を温めた)
 このエピソードから分かるのは、私は少なくとも中学一年生の頃にはすでに「私はブスなので、ブスと言われても仕方がない」と考えていたということだ。だって、事実なのだから。ハゲはハゲと言われても仕方ないし、デブはデブと言われても仕方ない、だって事実だから。ただ、私はバカではないので、バカと言われたら腹が立つ。それでも、ブスであれバカであれ、そう言ってきた相手に怒りをぶつけることは徒労である。相手の考えや感じ方を変えることはできないのだから。そういう世界に、私は住んでいた。
 私の見た目についてもっとも口うるさく文句をつけてくるのは実の家族である。「整形したら?」などは子供の頃から言われていたが、歳を重ねるにつれて「メイクが薄い」「髪をきれいにしろ」「服が地味」「表情が暗い」「顔色が悪い」「姿勢が悪い」「太っている」などバラエティに富んだダメ出しがテンポ良く繰り出されるようになった。私が不快そうな素振りを少しでも見せると、彼女たちにとってはそれが「当たり判定」となってしまい、「効いてる効いてる」みたいな反応になる。怒ると、「怒るということは自分でも気にしているということ。本当にどうでもいいなら怒る気にもならないはずだ」「そう言われないように努力すればいいだけの話」「こんなことを言ってあげられるのは家族だけなのに、怒るなんて変」等々と、感じ方を否定され、余計にエスカレートすることになるため、次第に私は感情を押し殺すようになった。その場を穏便にやり過ごすだけなら、「私はブスなんかじゃない」と戦う姿勢を見せるよりも、「私はブスだから仕方ないね」と、同じ価値観を受け入れ口をつぐむ方がよっぽど楽だったからだ。
 「嫌だと思ったら『やめろ』と言っていい」、と、いうことをようやく知ったのは20代も半ばのことだった。それはパラダイムシフトであり、コペルニクス的転回であり、シンプルに革命であった。えっ……ていうか、そんなの、学校で習った? 千葉県で使ってる教科書にだけ載ってなかった? ブスだろうが爆美女だろうが、何か言われて嫌な思いをしたら「やめろ」と言っていいのだと、そこでやめない奴はヤバいのだと、それを知ったとき、私は何か雲が晴れるような、手足の枷が外れるような心地を味わった。まるで中忍試験のときのロック・リーのように。そして、あのとき押し殺した怒りは、確かにいっとき私の平穏を守ったが、私の尊厳のためには、絶対に必要な感情だったと気付いた。たとえその場で「やめろ」と言えなかったとしても、私は部屋でひとりネネちゃんのママみたいに枕を殴りながら「許さねえ」と叫んだって良かった。その時間にTOEICの勉強をしたらスコアが上がっていたかもしれなくても、拳を負傷しても、私は絶対にそうするべきだった。ここで「許さねえ」と言えなかったら、私は生涯に渡って誰かの都合のいいサンドバッグであり続けるのだ。
 さて、ところ変わって、ここはあの日のリビングルームである。窓の向こうは秋晴れの空で、部屋の中は少しばかり薄暗い。母と祖母は、私が友人の結婚式に振袖で参列したときの写真を見ている。「髪型が古くさいね、バブルのときみたい」と母が言う。「どうしてもっと綺麗にお化粧をしなかったの」と祖母が言う。私は、どうしたらよかったのだろう。この二人は、私が何を言っても、泣いたり落ち込んだりしようと、態度を変えないだろう。たとえ私が結婚式でウエディングドレスを着ても、芥川賞の授賞式に色留袖を着ても、何かしら文句をつけただろう。私は、私のために、どうするべきだったんだろう。
 いや、「どうするべき」は違うな。どうしたかったか、考えたらいいかもしれない。
「可愛いって言え」って、言えばよかった。そもそも、娘が晴れ着を着たときに許されるリアクションなんて、「可愛い」と「超可愛い」、「めちゃくちゃ可愛い」以外にないだろう。褒め言葉以外は許さないって、言えばよかった。「孫なんか、目に入っても痛くないだろ!」って言いながら目潰ししてやればよかった。包丁でもサンマでも、喉元に突きつけて脅せばよかった。大暴れして、家中のものをぶっ壊して、窓という窓を全部割って、冷蔵庫の中のもの全部食い尽くしてやればよかった。「私のことを褒めろ!! 可愛いって言え!!!」と叫びながら、轟轟と唸り全てを飲み込む巨大な竜巻になって、母と祖母まとめてオズの国を通り越して帝愛の地下労働施設までぶっ飛ばしてやればよかったのだ。
 言ってはいけないことがある。言っても意味ないことがある。他人は変わらないし、私を受け入れもしない。だけど私の感情はここにある。ここにある、価値がある。私だけはそれを知っている。頭の中で実家をバキバキにぶち壊しながら、私はようやく気が付いた。「ブスだから仕方ないね」なんて言っていると、誰かの作り上げた「ブスだから仕方ない物語」に閉じ込められて、一人ぼっちになってしまうのだ。私はその悪夢のような物語から抜け出さなくてはならない。頭の中で、あのマキとかいう女のことも100回じっくり炭火焼にしたら、今度こそ、私だけの新しい物語を始めよう。


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海外リモート副業界隈に暗い奴なんかいない

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「人生は短い。だから自分の好きなように生きるべきだ」
と人々は言う。もっともである。私たちは基本的に自由で、世界のどこへでも行って何でもできるのだから、嫌いなことやうんざりするような人たちに囲まれて神経をすり減らしながら生きる必要もない。「王道」からは多少外れているのだとしても、自分で決めた道を、迷ったり悩んだりしながら、それでも誇りを持って生きていく方がずっといい。
 ここ数年、8月の最終週など新学期を迎える頃になると、「学校なんか無理して行かなくていい」というような言説があちこち湧いて出るようになった。他のみんなに合わせて無理をするくらいなら、自分らしく居られる場所で、自分のペースで学んだ方がよいのだと、皆が口々に言う。重い体を引きずって行きたくもない学校に行ったところで、得られるのは疲労と虚無感だけ。そんな思いはしなくていい。家で勉強してもいいし、通信やフリースクールを選んでもいい。今時、道はいくらでもあるのだから。そうやって人々は、「道」から外れかけた子どもたちを温かく包み込む。「私はあなたのつらさに寄り添っているんですよ」みたいな、慈悲にあふれた表情で(実際には真顔でポストしているのだろうが)。
 かつて「道」を外れた子どもの一人として、私はそれらの言説を見聞きするたびに、腹の奥が熱く煮えたぎるのを感じる。「みんなと同じ」ができない。それがどんなに孤独で、恐ろしいことか、彼らは大概分かっていない。彼らの言う「みんなと同じようにしなくていいよ」とは、「私はその子がみんなと同じようにするためのコストを払う気がありません」という宣言に等しい。「みんなと同じ」とはつまり、過去の無数の「みんな」が作り上げた、平凡で、無難で、大きな苦難を伴わない生き方という共有財産を享受することであり、「みんなと違う」というのは、その広大で穏やかなコミュニティから疎外され、誰も風除けになってくれない道を自力で歩くことである。みんなと同じように出来たら、それが一番ラクに決まっている。当たり前だ。誰も好き好んで茨の道を選んだりしない。そのコストは、そっくりそのまま自分に降りかかってくるのだから。
「いまどき不登校の子なんていくらでもいるよ」とか、「通り一遍の人生から外れても、案外なんとかなるよ」とか、そんなのは私に言わせれば「日本全体で見れば」とか「結果的には」とかいう但し書き付きの気休めでしかない。私が保健室登校を始めたとき、「今まで保健室登校の子なんていなかったものだから」と養護教諭が困惑していたことを思い出す。私の履歴書の「高校中退」の一文に怪訝な表情を浮かべる人事担当者も一人や二人ではない。私のような人たちはどうあがいても、社会の中で想定されていない少数派である事実から逃れられない。


 私は自分が、みんなと同じように、毎朝きちんと起きて、朝食をとって化粧をして、毎日同じ場所に通勤し、ミーティングに出て、メールを書いて、上司の指示を聞き、後輩の面倒を見て、残業などもソツなくこなして、ふつうに働けるのだと思っていた。いや、正直、できる。わりとふつうにできる。できるのだが、いつも、暴れ出したいのをずっと我慢している。この衝動は一体なんだと思いつつ、実際に暴れ出すことはできないので、上から押さえつけるようにして出勤する。ミーティングに出る。書類を作る。同僚とランチに行く。オフィスの空気は乾燥している。上司がトンチンカンな指示を出してくる。衝動が強くなって、一層強い力で押さえ込む。腕の下で、何かがビチビチと跳ねている。
 無論、「みんなと同じ」働き方であれば人生に山も谷もないと言うつもりはない。会社勤めには会社勤めの苦労や苦悩があることは私自身も経験している。それでも、総務省の労働力調査によると、日本で働く人の中で、正規非正規問わず何らかの形で「雇用」されている人の割合は9割弱にもなる。雇用されない働き方をしている人は労働人口の1割しか存在しない、明らかなマイノリティなのだ。そして、会社から離れて身に染みて感じるのは、労働者としての私は何だかんだで手厚く保護されていたということである。ちょっとやそっとのことではクビにならないし、社会保険料も折半してもらえる。ドラマの中だけの話だと思っていた「ある日突然クビを言い渡され、段ボールひとつ持ってオフィスを追い出されて、お別れも言わせてもらえない」というのも海外では実際にあるそうだが、少なくとも日本でそのようなことは起こり得ない。
 だから私も、ビチビチと跳ねる何かを押さえつけながら、ずっと会社勤めをしていたかった。出勤さえすれば、平日の決まった時間帯にメールやチャットにすぐ応えられる状況を保てば、毎月決まった金額が折り目正しく振り込まれる生活を定年まで続けたかった。しかし、これまでバイトやインターンを含めて複数の職場を経験したが、どこで働いても、誰と働いても、私は何故か常に「暴れ出しそうだ」と思っていた。体を屈めて、息を殺して、巨大で凶暴な何かを起こさないように、そうっと通り過ぎるみたいに毎日を過ごしていて、昨年の夏ごろだろうか、突如として「ああ、もう、人と違う道を選んで苦しい思いをするのだとしても、今だって、これまでだってもう十分に苦しいんだから、同じ『苦しい』なら、そっちを選ぼう」と思った。思ってしまったので、もう仕方がないと思った。
 あの「永山基準」の元になった永山則夫の手記の中に、「精神の鯨」というくだりがある。見田宗介の著書で取り上げられていた。こういう話だ。──彼は鯨の背に乗って海を漂流していた。食べ物も水もなく、彼は仕方なく鯨の背中を少しずつ食べて命を繋いでいた。しばらくして、自分が酷いことをしていると思い至り、彼は鯨に謝った。鯨は何も言わなかった。それは既に死体だったのだ。そのときようやく、彼は鯨が自分自身の精神だと悟った。


 昨年末、満を持して仕事を辞めた私は、何とかして組織に属すことなく、お金を稼げないかと考えた。そうして辿り着いたのが、SNSでは「海外リモート副業」とか「ドル建て副業」などと呼ばれる、海外のプラットフォームに登録してフルリモートのフリーランスとして働く方法である。仕事の内容はプロジェクトによってさまざまで、長期のものもあれば数時間で終わる単発案件もあるが、共通しているのは、そこそこの英語力がないと話にならないことだ。これについて「自動翻訳があれば大丈夫」と豪語するインフルエンサーがいるがこれは普通に嘘で、厳密には、自動翻訳があればできる仕事ではあるが、いちいち自動翻訳に頼っていては仕事にならない。英語特有の表現は自動翻訳ではうまく訳出されないし、実務経験を通じて英語圏ノリを理解していなければコミュニケーションにも齟齬が生じる。私は帰国子女でもなければ長期留学の経験すらないくせに、何故か英語だけはずっと仕事で使い続けてきたので、いきなり180ページの英文マニュアルを渡されて3日で読み込めと言われても呻きながらギリギリ対応できるし、謎のシステムエラーにぶち当たったら自力で本国のサポートチームに問い合わせてなんとかできる。おかげで、1ヶ月ほどの試行錯誤の末、2つの長期プロジェクトに無事採用された。
 フリーランスとして当面食いつなぐ作戦を立てる上で、私はネットで情報収集をしまくり、「海外リモート副業界隈」とでも呼べばいいのか、ドルを稼ぐことに執心する人々のコミュニティに行き着いた。新卒ですぐに会社を辞めた若者であったり、子育てをしながら収入増を目論む堅実な主婦であったり、彼らの属性はさまざまだ。でも、何故か、みんな底抜けに明るい。彼らは一様に、挫折や停滞から勇気を持って一歩踏み出し、時間や場所の制約を受けない(しかも円安のおかげで比較的払いのよい)仕事を手にしたことを、心から喜び、海外旅行をしたり動画配信をしたりなどの充実した日々を過ごしていることをアピールする。そして、多くの人にノウハウを伝え、「0を1に」して、思う存分やりたいことをやる人生を送ろう、と呼びかけている。
 いっぽうの私は「こんなのって、尋常じゃないよ~!」と喚きながらも、彼らのノウハウや体験談を読み込み、半泣きでプラットフォームに登録し続け、ひたすら採用テストを受け続けている(今のプロジェクトもいつ突如クビになるか知れないため)。私はふつうに朝起きて会社に行って週末にはダラダラしたり遊んだりする人生がよかった。そっちのほうが断然ラクだった。もしかしたら数ヶ月後には根を上げて、転職サイトに登録しているかもしれないが、それでも、しばらくは「みんなと違う」道で、やってみようと決意した。好きなように生きたいからではない。もう、私の精神の鯨を食べて生きていたくないからだ。私はいまや、海外リモート副業界隈で一番暗い顔をしたフリーランサーだ。


(文章はこれで全てです。有料部分には可愛い犬の写真があります)

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アニメと現実の区別が付かない

アニメと現実の区別が付かない。物心ついたときから、ずっとそうだ。


絵本の世界に入れるという靴の形をしたひみつ道具のことを知って、ピンチに陥るセーラー戦士たちを助けたくて、土足で絵本の上に立って親に怒られたのは幼稚園のときだった。小学校に上がれば魔法少女もののアニメの影響で、私にしか見えない精霊と会話して周囲に気味悪がられた。友達のお兄ちゃんの影響で少年漫画を読むようになってからは、ますます空想癖が加速した。忍術を使うために印の結び方を必死で練習した。友達とは立海と不動峰入るならどっちとか、持ち霊にするならどんな霊とか、ほとんどそういう話しかしなかった。大切なことはだいたい物語の中で教わった。恋愛の機微は夢小説で学んだし、周りの子たちが現実の男子と惚れた腫れたをやってる間に私は寝ても覚めても手嶋純太のことばかり考えていた。そんなティーンエイジを過ごした私はそのまま大人になって、最近では上司のパワハラに「私は爆弾の悪魔だからこんな奴いつでも殺せる」と思いながら耐えている。

暇さえあれば漫画を読んでいた私にとって、フィクションのキャラクターというのは現実の友達と同じくらい、時にそれ以上に、私にとっては心に近いところにいる存在だった。人生で迷うたびに、好きな作品を何度も読み返して、その世界にひたひたに浸かった。主人公たちといっしょに笑ったり悲しんだり、怒りや感動に打ち震えたりした。世界のどこかで、本当にそういうことが起こっているのだと信じられるくらいに。そうしていると自然と元気が出てきて、漫画みたいにうまくいくことはないのだとしても、私なりに戦ってみようと前を向くことができた。そういうことの繰り返しで、今日の私はここに生きている。


そんな私だが、ここ最近、この社会で起きていることを受け入れられないでいる。
だって、私が物心ついたころからずっと私のそばにあった、大好きなアニメや漫画で言われていることと正反対のことが繰り広げられてるのだから。


嘘をつく。謝らない。質問に答えない。言うことがコロコロ変わる。
制度を悪用する。強者におもねり、弱い者を足蹴にする。命を軽んじる。
それらしいことを自信たっぷりに語る。それが事実か、正当かどうかは、ほとんど問われない。
そんな人たちが、なぜかみんなに支持されてどんどん影響力を増している。
誠実であることの価値はとっくに地に落ちて、今やこの社会は「極端なことを、嘘でもいいから、大きな声で言ったやつが勝ち」という一大ゲームと化している。

いや、なんでだよ。
完全に悪役サイドの思うつぼじゃねーか。
めまいがする。

……ちょっと冷静に考えてみてほしい。
特定の集団への不安や恐怖を煽ってみんなに攻撃させるとか、自分の不始末の責任から逃れるために弱い立場の人に罪を着せるとか、そんなのはずるいやつの常套手段だ。フィクションの中では、常にそれは悪だとされたし、そこに疑問を持つ人もいなかったはずだ。それなのに、現実に同じことが起きたとき、どうしてみんなあっさりとその“悪役サイド”を信じ、応援してしまうの?
みんな、とにかく「強さ」が好きだ。私も時々「強さ議論スレ」とかを見ていたので気持ちはわかる。でも、力を振りかざす強そうなやつに取り入って自分も強くなったような気になっていても、そういう強いやつってほぼ確実に、いざというとき簡単に手下を見捨てる。そんなの分かりきってるのに、どうしてみんな、あくまで「強い」リーダーを求め、そのおこぼれをもらおうとするの? 
本当に強い人はやさしさも併せ持ってるって、争うんじゃなくて共に生きなきゃいけないんだって、漫画のキャラクターたちが何度も何度も教えてくれたのに、あれは何だったの?
……本当に、分からないのだ。
毎週ドキドキしながらコンビニに最新号を買いに走ったあの頃の私に、「あなたが夢中になっているその世界は完全なる夢物語で、現実世界とは何ら関係が無く、あなたがそこから学び取ったことはそのうち粉々に打ち砕かれますよ」って言ったら、どんな顔するだろう。


中学でクラスの男子から「汚い、死ね」って言われてた時も、高校で不登校になって中退したときも、あの世界があったから、心を救われて生き延びることができた。友達の作り方も、勇気の出し方も、理想の描き方も、全部かれらに教えてもらった。自由や平等がどれほど得難いものなのかも、すべての命は尊いということさえも。
でも結局、線で描かれたそれらすべてが"ただのファンタジー"なんだって言うなら、物語が現実をいっさい反映せず、そして物語の側から現実と接続することもないのであれば、物語はいったい何のために存在するのだろう?
弱い人間は死ぬしかないとかいう、冷たい社会で暮らしたくないじゃん。「強い者は弱い者を守るのが自然の摂理」って炭治郎も言ってたじゃん。攻撃や排斥みたいな安易な手段に飛びつかないで、何が正しさなのか、みんなでうんうん唸りながら悩み続けたらいいじゃん。「迷いの中に倫理がある」ってヨレンタさんも言ってたじゃん。困ってる人に「わがままだ」とか「自業自得だ」とか言わないで助けたらいいじゃん。ヒンメルなら絶対そうするじゃん。そうする人がたくさんいる社会の方が絶対、いいはずなのに。


私はアニメと現実の区別がつかないから、現実にも、アニメの世界みたいに平和が訪れてほしいと思う。みんなが大切にされてほしいと思う。私は無知だろうか。幼稚だろうか。ナイーブすぎると笑われるだろうか。ただのフィクション、ただのエンタメから、作者も意図していない、自分に都合のいい思想を勝手に読み取っているだけのクソ野郎だろうか。

それならそうでいいから、教えてほしい。

あなたは、アニメや漫画から何を学んだのだろうか。何を読み取り、何を見出したのか。それともあなたは単に暇を潰すためだけに、漫画雑誌の、あの薄いピンクとか黄色とかの粗悪な紙をめくっていたのだろうか。あれらの物語は単に、面白味もない人生をそっと慰撫するだけの気休めに過ぎないのだろうか。儚く溶けて消えるメレンゲ菓子みたいに、物語を口に放ってはただ飲み下すことを繰り返して、あなたは大人になったのだろうか。……私は、そうじゃないって信じたい。そんなの、命がけで作品作りをしているクリエイターたちが浮かばれないではないか。
私は、紙の上に描かれた白黒の主人公たちから、確かに、魂をもらったよ。だから、本当は爆弾の悪魔じゃないけど、震える足でパワハラ上司とも対峙するし、何の権力もないちっぽけな一市民だけど、せめてにずるいやつに騙されないようよく考えて、勇気を出して声を上げたいと思う。これまでも、これからも、弱い人の側に立てるように。


それでも「まだまだだね」って、リョーマくんには笑われちゃうんだろうけど。




これは、心の整理のために書いた私的なエッセイです。特定の個人や集団を支持・非難する意図はありません。また、フィクションの解釈は一つではなく、作品から何かを受け取るのも、受け取らないのも、本質的には自由であることを申し添えます。

トワイライト・ウォリアーズ、面白過ぎる【5/11文学フリマ新刊サンプル】

 二月のある日。映画『トワイライト・ウォリアーズ』を新宿バルト9で見終わって、私は、ちょっと小腹が空いたな、と思った。映画が始まる前に併設のカフェでホットサンドを食べたけど、二時間の映画を観ているうちに、もう何か食べたい気持ちになってきてしまった。でも新宿三丁目のあたりって、ぱっと入ってぱっと軽く食べられる店ってあんまりないんだよな。マックでさえ新宿駅の方に行かないと無いし。しかも、どこも混んでて、高いんだよな。仕方が無い、帰って家にあるものを食べよう。そう思いながら、二月の寒空の下、やたら薄着の訪日客をうまく避けつつ、マルイアネックスの横の階段から地下に入って、電車に乗り込んだ。カタンコトンと揺られながら、私は、どうしてあの医者、最後に脱いだのかなあ、とぼんやり考えた。だって、それまではすごい着込んでたじゃん。覆面もしてたじゃん。パーカーの上にまたパーカー着る勢いの、フル防御だったよね?それがいきなり、どうしてあんな……どうして……。黒く塗りつぶされた地下鉄の窓に、乗客が写り込んでいるのを眺めながら、それでも私は、その時点では、「期待したより面白かったな」くらいしか思っていなかった。

 それは遅効性の毒のように、あるいは白いテーブルクロスにこぼした紅茶の染みのように、私の生活を少しずつ侵食し始めた。私はGoogleの検索アプリに「九龍城砦 歴史」と打ち込んだ。香港料理の店に行って叉焼飯を食べた。香港版のBlu-rayを注文した。図書館の閉架で、九龍城砦についての本を片っ端から読んだ。広東語の基礎についてのYouTube動画を見ながら六種類とも九種類ともいわれる声調を覚えた。広東語話者の友人の特訓を受け、「がうろんせんちゃい」だけはかなりネイティブに近い発音で言えるようになった。香港行きの航空券を予約した。四仔のちいかわ風アクリルキーホルダーを自作した。映画は一ヶ月で十回観た。火曜日は109シネマズで、水曜日はTOHOシネマズで、木曜日はTジョイで観た。吹き替えも観た。とうとう、香港のショッピングモールで行われていた映画セットの展示に行った。立て壊される前に九龍城砦があった公園にも行った。お粥を食べた。腸粉を食べた。夜景を見た。二階建てバスに乗った。楽しかった。


 やることが……やることが多い!


 どれもこれも、トワイライト・ウォリアーズが面白すぎるのがいけないのだ。ベトナムから逃れてきた密航者である洛軍がマフィアに追われ、まるで魔窟のようにそびえる九龍城砦に迷い込むというオーソドックスな導入。バイクに乗って現れ、洛軍の命をまっすぐ狙ってくる異常に顔の整った男。顔を上げずに「もう閉店だ」と言うだけで「このおっさん、ただ者ではない」と観客に本能で感じさせる爆イケさいつよ髭剃り親父。増築に増築を重ね、複雑に入り乱れた城砦の内部で働き暮らす人々。後々すごい脱ぐシャイな医者。懸命に働くことで徐々に受け入れられ、城砦の中に居場所を見出すという心温まる展開。そしてやっぱり私が一番好きなのはサトウキビ男おしおきシーンだ。幼い頃に両親を亡くし、誰とも心を通わせることなく生への執着のみで生き延びてきた洛軍が、城砦に来て初めて同種の魂を持った男たちと出会い、友情を結ぶ。四人ともが同じ売店で変装グッズを買っていたことを知ったときの、洛軍の花が咲きこぼれるような笑顔よ。自分のことを「坊ちゃん」と称するマンネ体質の十二少もカワイイ。その兄貴分である虎兄貴も声ガラガラなのに妙にカワイイ。原作者自身が「ロミオとジュリエット」だと明言している龍兄貴と陳占の秘密の逢瀬は何だか見てるこっちが照れくさくて、指の隙間から見たくなってしまう。そして迫り来る脅威、恐らくユーラシア大陸最強の気功使い、王九。ていうか、気功って何だよ!? 命とプライドと人生を賭けて殺し合う黒社会の男たち(プラス、一般覆面医師)。身を裂かれるように辛い別れと、敗北。城砦を追われた彼らは、ひととき、静かに寄り添い、傷を癒やす。でもさあ、やっぱ、四人集まったらすることって言ったら、麻雀じゃなくて、カチコミなワケ。俺たちの城砦を取り戻す! ぶっ殺すぞ、コノヤローーッ! 相手は不死身の気功使い(だから、気功って何?)。とにかく、物理、物理、物理! 物理で殺す! 轢き殺す! 殴り殺す! 紙切れにして殺す! 突如巻き起こる竜巻に、彼らは何を見るのか……そして、彼らは大切なものを守ることができるのか!?

 熱い。熱すぎる。どこまでがお芝居で、どこまでガチで殴り合っているのか判別の付かない熱い殺し合いの合間にも、香港の地理的・歴史的コンテキストを絡めたヒューマンドラマや、コミカルなやりとり、城砦の住人たちの決して楽ではないがささやかで前向きな暮らしぶりが窺えるシークエンスが挿入される。それがまた、すごくいい。キャラクター造形のバランス感覚もすばらしい。性格も見た目も全体的にすごくマンガっぽくてケレン味があるのに、くさくない。もしこれが平成の少年漫画だったら、信一はもっとチャラついた女好きですぐ若い子のおしりとか触って燕芬姐さんにシメられるし、四仔は根暗のAVマニアだし、十二少は多分もっと底抜けにおバカキャラ、洛軍は人間不信のヤンキーで、タレの調合を覚えられなくて皿をひっくり返して一度城砦を出て行くけどやっぱり生きていけなくて戻る、みたいなちょっと読者をイライラさせるくだりが絶対入るはずだ。しかし、実際そうではない。八十年代のトキシックなマフィア社会を描いているのに、キャラクターからは有害さを感じられない。これは本当に稀有なことで、「古い時代を描いているけど、価値観は古くない」作劇というのは可能なのだと、この映画は我々に教えてくれる。
 それと、『どうせ、「ケア」とか、「家父長制」とか言っとけば今時の批評っぽくなると思ってんだろ』と言われれば静かに目を背けるしかないのだが、でもでもやっぱり、この映画を語る上で、「男同士のケア」は外せない要素だと思う。「城砦四少」と呼ばれるメインの四人組が癒やし合い、支え合う様子は言うまでもなく、龍兄貴と信一がヤクザの親分子分を超えた親密な関係にあること、つまり龍兄貴が信一の育ての親であることが映画のあちこちで示唆されるのも見過ごせない。独り身で子育てするおじさんとか、ウチらが一番好きなやつじゃん(『ゲゲゲの謎』や『最強の軍師』の爆発的流行を見ても明白)!と、汗とよだれが止まらない。しかも、そこだけじゃなくて、十二ちゃんと虎兄貴も超仲良しなの、男同士ケアの過剰摂取で震える。あの、十二ちゃんがべろべろに酔った虎兄貴を車に乗せるとき、ぶつけないようにそっと兄貴の後頭部に添えられた優しい手、見ましたか?思い出すだけでオキシトシンが出てしまうよ~。男が男に優しくするところとか、男が男にすがりついて涙を流すところなんて、そんなん、腐女子じゃなくても見たいにきまってる。こんなん、なんぼあってもいいですからね。女がいちいちケアに駆り出されないし、反対にトロフィーにされたりもしないというだけで、見ているこちらのメンタルヘルスが飛躍的に向上するのだ。


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続きは5月11日文学フリマ東京40 せ-78『Sorewata』で頒布予定の
『トワイライト・香港 ―アジアと私、それから旅するということ―』で!!

それわた新刊

既刊も揃えてお待ちしています!!!ディン!!!

27歳喪女が生まれて初めてブラを買う話【#文学フリマ東京39 新刊サンプル】

それわた4表紙


12月1日 文学フリマ東京に出店します!! 
・既刊『それがわたしにとって何だというのでしょう?』vol.1~3
・新刊『同人女私小説短編集 わたしは勉強しかできない』
・おためし50円コピー本『それわた4.5 SNSをやめよう!』
を、持っていきます。勿論たほちゃんもいます。ぜひ遊びに来てください。

のいは今回、私小説を書きました。2万字の大作です。
痛々しいけど愛おしい、『痛々愛おしい』あの頃の記憶。パンデミックが地を覆いつくすほんの少し前、「欠けた」自分のピースを探して右往左往した『私』=「増田萌依子」という一人の平凡な女の物語です。
今回は一部抜粋してご紹介したいと思います。

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『Nope』





 雨の日の新宿は街全体が鏡のようだ。ショーウインドウについた細かな水滴も、アスファルトにわだかまる水溜まりも、過ぎ交う車の窓ガラスもすべて、街と人を映し出す鏡になる。新宿にいる人は、東京の中でも新宿にしかいない。池袋にも、品川にも、ましてや清澄白河なんかでは絶対にお目にかかれない感じの人々が、新宿に来るだけで時間無制限で見放題である。JR東口を出てアルタを通り過ぎた私は、新宿のガラパゴスな固有種たちの生み出す熱い渦に逆らったり、巻き込まれたりしながら、肩が雨に濡れるのにも構わず、ずんずんと歩く。そんな私を、信号機を、バニラのトラックを、街は黙ってただ反射する。街が映し出すいくつもの影の中に、私は待ち合わせの相手を見つけていた。
 白河ゆりはゆるくウェーブした栗色の髪の先を揺らして、目を細めて笑った。それから私たちは、今日の戦場となる重厚な面構えの老舗商業施設……伊勢丹へと足を踏み入れた。

 勝手知ったる様子でするすると歩く白河ゆりに、私は必死についていく。彼女が立ち止まったのはジルスチュアートの前だった。ジル……スチュアート!? 私は戦慄する。私なんかが、ジルスチュアートを着ていいの?というか、ジルスチュアートに入っていいの?『アラジン』の魔法の洞窟には「ダイヤの原石」しか立ち入れないが、しかし、ここ現代日本のジルスチュアートには余程のことがない限りどんな人間でも入店できるのだ。なんという懐の広さ、ありがたいと言うほかない。
 店の隅でただプルプル震えている私をよそに、白河ゆりはハンガーからハンガーへと軽やかに飛び回り、ニットだのスカートだのを手慣れた様子でぱっぱと見繕って、私を試着室に押し込む。話が早くて本当に助かる。私は渡された服を大人しく着用した。
「もえちゃーん、着れたー?」
 白河ゆりの声に、私は恐る恐る試着室のカーテンを開ける。私の姿を一瞥して、白河ゆりも「あちゃー」という顔をする。こういうところ、彼女はたいへん素直で、逆にありがたいと思う。鏡の中の私は、ぴたりとしたニットが身体の全ての肉感を丁寧に拾って、多少小綺麗なキン肉マンみたいになっていた。私が『骨格ストレート』という言葉を知り、自分がお手本のような骨ストだと知るのは、数年先のことである。
「ナシだねこれは」
「解散解散」
 からくり時計の人形みたいに試着室に引っ込む。生地を傷めないように丁寧にニットを脱ごうとする。……しかし、脱げない。腕をクロスさせ、裾をたくし上げるが、ニットがぴったりと腕に貼り付いて動かない。私はおしゃれな服を買うどころか、まともに脱ぎ着すらできないというのか。こんな調子じゃスタートラインに立つ資格すらない。
 にっちもさっちもいかなくなってしまった私は、無力感に打ちのめされながら、カーテンの向こうの白河ゆりに助けを求めた。
「白河さん、白河さん、助けて。脱げない」
「あぁ~?」
 妙にガラの悪い白河ゆりがカーテンを素早く開けて入ってきて、狭い試着室がますます狭くなる。プラダを着た悪魔ならぬ、ジルスチュアートを着たキン肉マンである私は、肩の辺りにニットをわだかまらせながら言った。
「この有様だよ」
「えっ? あっ、ニットが貼り付いちゃってるってこと? わかった、やってみるわ、さわっていいの?これ」
「どうにでもしてくれ~」
 ニットの下に手を差し入れて、白河ゆりが必死でアシストしてくれる。白河ゆりのひんやりした手が私の皮膚をまさぐり、白河ゆりの吐息をとても近くに感じる。
 私たちはうっすらと汗をかき、息を切らして、ようやくそのニットを引き剥がすことに成功した。
「私、こんなに女友達の肌にさわったの初めて……」
 白河ゆりが愕然とした様子で言う。私だって自慢じゃないが、服を脱ぐのを手伝ってもらったのなんて乳幼児ぶりである。何か人間として大切なものを失ってしまったような気持ちで、他の服を試す気分にもなれず、私たちはすごすごとジルスチュアートを後にした。
 後日、私たちはリベンジとして銀座のプランタンに赴き、無事に服をゲットした。落ち感のあるカットソーに、スタンダードなAラインのスカート。カットソーは背中がレースになって透けている。白河ゆりは自信ありげに「これはね、赤井秀一の帰りを裸足で待つ女の服だよ」と胸を張る。私は真夏でも家の中で靴下を履くタイプなので、恋人の帰りを裸足で待つ人間の気持ちは分からないが、恋とかすると裸足で恋人の帰りを待ちたくなったりするのだろう、たぶん。赤井秀一も「淋しい思いをさせてしまったかな、俺の可愛いスウィーティー・パイ」とか言うのだろう。知らんけど。
「ところで、この背中スケスケのやつを着るとき、中には何を着たらいいの?」
 スウィングルのショッパーを揺らしながら、ふと私は尋ねる。
「えっ? フツーに、レースのキャミとかでいんじゃない」
「持ってないよそんなの」
「は?」
「私、常にユニクロのブラトップ着てるから……」
 白河ゆりの開いた口を見ながら、そうだ、髪やメイクや服を何とかしたところで、私には大きな問題がまだひとつ残されている、とようやく気がつく。どんな反応が返ってくるかだいたい想像が付くし、私としてもかなりセンシティブな領域ではあるが、もう逃げ場はどこにもないのだということも分かっていたので、私は観念して口を開く。
「私さ、ブラって付けたことないんだよね」
「うそでしょ!?」
 悲痛な声を上げる白河ゆりに、私は証言台に立たされた被疑者のような気持ちで打ち明ける。
「だってさ、支えなきゃいけないほどの胸もないし、カップ付きキャミで十分だから」
「えっ本当に? じゃあ自分のサイズとかもちゃんと知らないってこと?」
「サイズも何も、『測定不能』とか言われるんじゃないかと思ったら怖くて」
「ヒロアカの体力テストじゃないんだからさ……」
 正直に言って、私にとって下着屋というのは畏怖の対象であった。まず、ほぼ全ての下着がレースやフリルやリボンやお花でまんべんなく覆われているのが怖い。「これであなたの裸体を飾り付けましょう」と言われているようで、何だか逃げ出したいような気持ちになる。さらに、フィッティングが怖い。サイズを図ってもらって、「あなたのような人に売るブラはありませんけど何しに来たんですか?」みたいなことを言われ、あざ笑われたらどうしようと思うと怖くて怖くて堪らない。かといって、私のサイズのブラを置いてないことを心を込めて謝罪されても、それはそれで死にたくなりそうで、どちらにせよ、ブラをつけない理由には十分だった。
「一度測ってもらって、ちゃんとしたの買いなよ。ほら、あそこにワコールあるじゃん」
 数ブロック先のワコールを指さしながら、白河ゆりが必死に私を励ます。
「もはやこれまでか……」
「ちゃんとブラとショーツをセットで買うんだよ!」
「ちゃんとお釣りもらってくるんだよ」みたいな感じで言う白河ゆりに見送られ、私は『はじめてのおつかい』さながら、ドレミファドレミファ、と勇気を奮い立たせてワコールに向かった。
 店内に入った私は、注意深く周囲を見回し、手が空いている店員にフィッティングをしてほしいと声を掛ける。
「普段、どのサイズをお使いですか?」
 人のよさそうな店員が丁寧な口調で聞いてくれるが、この質問はブラを持っていない場合どうしたらよいのだろう。「私はブラを持っていません」と告白するべきなのだろうが、怖じ気付いた私はつい「いえあの、最近サイズが合ってないなと思って」と誤魔化した。店員は訝しむこともなく、「そうですか」と言って私を試着室に案内した。
「ブラの上から測定しますので、お着物を脱いでいただいて、ご準備ができましたらこのボタンでお知らせくださいね」
 またも「私はブラを持っていません」シチュエーションである。私は気が遠くなりながら、「いつもはちゃんとブラ着けてるけど、今日は偶然ブラトップなんです」という設定を貫くことを密かに決意する。どうしてこんな異端審問みたいな気持ちでブラを買わなくてはならないのだろう。
「失礼いたしまーす」
 ボタンを押すと、店員さんが試着室に入ってきて、いよいよ測定が始まる。『おまえに売るブラはない』という幻聴が聞こえて、私は必死に妄想の声をかき消す。ドレミファドレミファ、ドッドドレミファ……。
「お客様、いかがですか?」
 はっと我に返って鏡を見ると、そこには店員さんが選んでくれたブラをつけた私がいた。背中から肉をかき集めてくれたため、カップがベコベコと凹むようなこともなく、すっきりとフィットしている。あったんだ、私のサイズのブラ……。神は私のように胸元の貧しい人間にもブラをお与えくださるのだ……。私は感動を噛みしめながら、同じデザインのショーツと、キャミソールを合わせて購入した。私はこの十数分で、ブラ持たざる者からブラ持てる者へと華麗な転身を遂げたのだ。もう怖いものなどない。私ははじめてのおつかいを成功させた子どものようにニコニコしながら、買ったばかりのブラを抱きしめて、白河ゆりの元へと駆け寄った。




<サンプルここまで>

その他、中国人女子から無修正のニキビが送りつけられてきたり、

フェイフェイのニキビ

セックスの断面図を作ったり、

セックスの図解

本人にも訳の分からん試行錯誤の末、果たして27歳までブラを付けたこともなかった激ダサ女・増田萌依子は無事に彼氏を作り、一人前の人間になることができるのか!?
ぜひ、文フリ東京で『わたしは勉強しかできない』をお手に取って、彼女の行きつく先を確かめてください!
N-51でお待ちしております!!