on my own

話し相手は自分だよ

たほのい対談Vol.1 『オタクとスクールカースト ~あたしは風見の熱帯魚~』

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ごあいさつ


のい: どうも~! こんにちは~! 同人女ののいです。今日は夢女・たほさんをお相手に、オタク女の悲喜こもごも、いろいろしゃべっちゃいたいと思いま~す!

たほ: は~ぁ…やれやれ。まーたこのおばさん変なこと始めてるよ。ま、しょうがないから付き合ってあげますかっと。(CV.皆川純子)

のい: もぉ~、たほくんったらつれないなぁ。私、たほくんがこの対談楽しみにしてたの、知ってるんだからねっ!

たほ: そのくせに、のいさん俺と○○先輩を部室であんなことさせて……俺、そんな趣味ないんですから!

のい: グヘヘ……(自分で書いたSSを読み返してニヤニヤしている←)

たほ: (深いため息)重症だな。ま、読んでくれたみなさん、ありがとうございました!こんなおばさんですけど、まあ俺への愛情は人一倍あるということで(笑)許してやってくださいね!

のい: ……軽やかだなあ!! キーボードを打つ手が!! 現役か?

たほ: ということで、今のは「同人誌のあとがきで受けキャラと対談しちゃうおばさんのモノマネ」をお送りしました。血沸き肉躍る熱演だったね。

のい: いきなりパンチがすごいし、今もう私たちがそのパンチでボコボコにされた感あるよね。


この対談に至った経緯

たほ: 以前ふたりで同人イベントにサークル参加をした際に作った無配を対談形式にしました。イメージはユリイカのパロディということで。それが思いのほか面白く仕上がったので、またブログという形でもやってみようかということになったのがきっかけです。

のい: 女オタクが語るって言うコンテンツ、けっこう需要があると思うんだよね。『劇団雌猫』さんとか何冊か本も出してるし。まあ、私は劇団雌猫の四人のうち、三人から何故かブロックされてんだけどね。

たほ: なにそれウケる(笑)

「これまでの推し年表」を見て


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のいの推し年表

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たほの推し年表 表

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たほの推し年表 裏

のい: 今回は令和も始まったことだし、お互いの平成オタク遍歴をプレイバックしてみようと思うんですけど。

たほ: 手元には各々「これまでの推し年表」を書き出したものを用意しました。これに沿っての雑談ということで……とりあえず私がのいさんのをざっと拝見した感想は、「似たような顔のキャラばっかりじゃん」かな。

のい: ハア~~~??!! 全然違うんですけど~~~!?!?? まあ基本等身が低くて、対象年齢も低いことは認める。心に小5男子飼ってるからいつまでもホビアニが好きなんだよなあ。私はたほさんが通ってきた作品あんまりよく知らないのが多いけど、どこか幸薄そうな人が多いよね。目を離すと死にそう。

たほ: でもそれがみんな死なないんですよね(日向ネジ以外)。綺麗な顔して強靭な生命を抱えているっていうギャップが「頼りがいあるわあ。素敵だわあ。」って昔から憧れてたんですよねえ。イノセントさはあんまり必要なかった。現実で頼りになりそうな人ばっかり。

のい: 待って待って、たほさんの推しって、ガチ恋というか、「付き合いたい」って意味の推しなの?

たほ: 当然そうだと思っていたんだけど。だからのいさんの表に女の子の名前があってびっくりしちゃった。昔から女キャラに注目する習慣なんて一切無かったから。

のい: ぶれないな!! 私は本当にヒナタちゃんのモンペで。ナルトと結婚して子供までできたって聞いた日には数日寝込んだくらい。私、キバヒナ推しだったんだけど、このまえ友達が「結局ナルトもヒナタも機能不全家庭に育ったから家庭に対する感覚が狂ってる同士ある意味お似合いだ。サクラとサスケは何だかんだ温かで健全な家庭に育ってるしそっちはそっちでお似合い」って言ってて、そこでちょっと腑に落ちて認めてやってもいいかなという気持ちになったけど飲み込めたかと言われると微妙。……ってメチャメチャ話がズレてるけど、私は「この子から目が離せない」という意味で「推し」って言ってたし、推しと必ずしも付き合う必要はないな。

たほ: キバヒナってまたニッチな路線をつついちゃって、早くものいさんのカプ観の萌芽を感じるなあ。「この子から目が離せない」ってなんだろう。「私がこの子の助けになりたい!」っていうアプローチなのかな。私の場合は、むしろ「こんな人が隣にいたら心強いだろうなあ」と思うことがあったんだけど。

のい: もうすごい夢女の素質あるじゃん。「隣にいたら」と思うことは無い。私も一応小6の頃、「ハリー・ポッター」の双子の両方から愛される夢小説とか書いてたけど、すぐにやめちゃって、その辺からBLにシフトしていった。腐女子界隈で散々言い尽くされた言葉だけど、「壁になりたい」って思いなんだよね。壁になって、ずっとその推しを見ていたい。

たほ: なるほど。もう言葉そのままに「目が離せない」なんだね。自らが壁になるためには、BLというファクターが必要だったと。

「風見の熱帯魚」


のい: というより、夢というアプローチが必要がなかったということであって。推しがいる世界に私が関与する必要がなかった。ただ、「夢女は恋愛脳」という言葉では片づけたくなくて。私自身も、夢女的な消費をすることはままある。例えば私の十八番「風見の熱帯魚」

たほ: 出た、聞いてください。「風見の熱帯魚」。

のい: 「風見の熱帯魚」というのは、私は風見さんが飼ってるちょっと高級な熱帯魚でね、あるとき風見さんが仕事がすごい忙しくてしばらく家に帰れなくて、もうスーツもよれよれで無精ひげ生やしまくってボロボロになって一週間ぶりくらいに帰宅すると、私が腹を見せてプカプカ浮いて死んでるわけですよ。そしたら風見さんはカバンをボトッと取り落として、無言でたった一筋の涙を流すの。次の日の昼休み、降谷さんが「風見、あの店の海鮮丼ランチ食べに行こう」って誘うんだけど、風見さんは数秒黙ったあと、「降谷さん、あの、しばらく魚はちょっと……」って言う。まあ、一週間くらいで吹っ切れて海鮮丼ランチ食べに行くんだけどね。そういう話です。

たほ: でもそれは分かるし、私もしっかり萌えられる。私の場合は、夢女ではあるけれど、本当の私を相手取って妄想しているわけではないから。「並行世界の私」くらいでとどめている。例えば手嶋純太くんと付き合っている私は、そろばん教室で知り合った幼馴染っていう設定なんだけど、もはや私ではなく「夢主人公」ってやつなのよね。だからたとえ熱帯魚であってもそれは根底は同じなのかなとは思った。当時の実際の私は地方在住のニキビに悩む女子学生ですよ。何故かそのへんはわきまえてた。

のい: といったってスクールカーストトップオブザワールドじゃないですかあなた! 何が「わきまえてる」だよ! 下には下がいるんだよ!

たほ: そんなに怒らなくても! どのカーストに所属していても、見えている異性は彼ら(推し)には遠く及ばない人材ばっかりに見えてたよ。何せオタクは幼少期から素晴らしいキャラクターたちと出会っているから、その辺の目は無駄に肥えちゃっているんだよね。成績の悪いオタクが現代文だけいい点数とれるのと同じ原理。オタクは作者の気持ちを読み取る才能を培ってしまった。

のい: それはあるよね。フィクション世界と比べると現実がクソすぎる。まあ、私は中学のころ男子には上履きをドブに捨てられ、女子には机をポスカの落書きだらけにされ、実際に散々だったわけだけど。

たほ: 何それひどいね。何したらそうされんの

のい: 今のね、たほさんの言葉で沸き起こった感情、言葉になんないよ。ミュージカルだったら私のナンバー始まってたよ。

たほ: 『ボトム・オブ・スクールカースト』。

のい: 「♪毎日~消したわ~机の落書き、タワシで……」。

たほ: ごめんごめん、あまりにも壮絶だったから。しかも今こうして話していても全くそういう過去を思わせないし。もしのいちゃんと同じ学校に通っていたら、普通に一緒にお弁当食べてた仲だったと思うし、マンガの貸し借りとかしてたと思うよ。

のい: 私はたほさんみたいな子に一切近づかなかったと思うよ。こえーもん。眉を整えてる女子は全員怖かったわ、あの頃。

たほ: そう言われてしまうとどうしようもないんだけど。だけど今、こうやって恥ずかしいところを見せあっているのだから不思議なものですよ。オタクはスクールカーストを飛び越える。

のい: 本当ね。「服の趣味がバラバラの女の集いがあったら腐女子」って言いえて妙だよね。社会階層をブッ飛ばすパワーを秘めてる。オタクだからできた知り合いって大勢いるし、そういう意味ではオタク趣味は私の人生の宝と言えるかもしれない。しばしば恥部だけど。

オタク趣味はコスパ最高!リピ決定!


たほ: 女の子同士のコミュニティらしく、おしゃれなカフェで女子会したりお勧めの化粧品の情報を共有しあったりする時間も楽しいけれど、それと同時並行で、脳内には常にアナザーワールドがあって、そこの空想の世界で楽しむ時間も存在している。たとえ他人から見ればしょうもない夢小説だとしてもね。丸井ブン太くんが「俺もさんざん回り道しちまったけど、やっぱりお前じゃないと無理って……」って顔を赤らめしどろもどろしながら私に語る日が来ることを考えるだけで顔がほころぶ。無料でこんな贅沢な娯楽はないと思います。

のい: 脳に回すカロリーだけでこの楽しさはコスパ半端ないよね。逆にオタクで嫌な思いをしたことって………………ないな、無いわ。「唐揚げが好きで嫌な思いをしたこと」がないのと同じで、オタクであることで嫌な思いをしたことってない。

たほ: 私も特に無いかな。大学進学に伴って実家を出たときに、一部置き去りにしてしまった同人誌を母親に見つかって「あんたがこんなエロ漫画読んでるなんて知らなかった。とてもショックです。」って言われて心がちょっと痛んだくらい。それ以外に白い目で見られる体験も特に無かったなー。

のい: 私がいじめられてたのも、私がオタクだったからではなかったし。あれ、なんでいじめられてたんだろう? やっぱり腕毛を剃ってなかったのがいけなかったと思う?

たほ: ゲジマユだったこととか? いやー、でも普通に「好きだからついいじめちゃう」みたいな話もあるじゃない。

のい: 私、クラスの男子ほぼ全員からいじめられてたんだけど、それ全員私が好きだったってこと? 逆ハートリップ夢じゃん!!

たほ: そう考えておけばいいってときもあるんじゃないのかな。想像力が豊かなオタクの特権として!

のい: 当て馬女子に体育館裏に呼び出されちゃうよ~。

たほ: 「あー、見ちまったよ、めんどくせえな…… お前ら! あんまりそいつをいじめるなよ。じゃねえと俺がのいの親父にどやされるじゃねえか。……(当て馬女子一行が走って逃げる足音)はぁ。おい、(手を差し伸べて)怪我ねえか。帰るぞ。俺のおふくろがお前んとこに渡したいもんがあるんだってさ。ちょっと寄ってけよ。」(CV.中村悠一)

のい: 絶対家が裏手か隣同士にあるやつ~~~~!!!!!!!


のい:Twitter

たほ:Twitter
ブログ『たほ日記』

パッドマンと「正しさ」について

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下校中の女の子たち。2014年ニューデリーにて



就活の面接でよく聞かれるとされる質問に「あなたの尊敬する人」というのがある。私はついぞ聞かれなかったが、もしこの質問をされたら、「インドで生理用ナプキンを作ったおじさん」と答えようと固く心に決めていた。
おじさんのことを知ったのは、大学生のころに偶然目にしたブログ記事からだったと思う。彼は小さな村の貧乏な一般家庭の出の、妻を愛する普通のインドのおじさんだ。彼の何がすごいのかと言うと、いまだ生理がタブー・禁忌・穢れとされるインドで、衛生的な生理用ナプキンを誰でも製造できる機械を開発するのみならず、その地域の女性がみずからナプキンを製造販売し利益を得るシステムを発案し、女性の自立と人々の啓蒙に貢献した。大統領から栄誉ある賞を賜り、国連やTEDでスピーチを披露するなど、今や世界中から称賛の声鳴りやまぬスーパーヒーローなのだ。
もちろん最初から順風満帆に事が進むはずもなく、妻に逃げられ、村から追ん出され、なかなかに散々な目に遭うのだが、彼はそれでもくじけず「正しさ」へと向かって、結果、多くの女性を救った。ひととおりのストーリーを読んだ私は感動に打ち震えた。当時、就活、というか、どう働くべきか、みたいなことに悩んで行き詰って、毎日毎日鬱屈としていた私の目に、おじさんは聖人君主のように見えた。

その「ナプキンおじさん」が『PAD MAN』という映画になったので、さっそく観に行った。
映画そのものの評価はたくさんの人が文章にしているので、あえて私は細かいことを言うつもりはない。素晴らしい映画だった。あのおじさんの話を、お堅いドキュメンタリーにするのではなく、ボリウッドムービーの明るさ、楽しさ、老若男女みんなに伝わる明快さで表現してくれたことを心から嬉しく思う。
ちょっと話は逸れるが、前に私の恩師がしてくれた話があって、「地形としてはたいへん珍しいがなかなか観光資源として生かし切れていない渓谷がある。ここに人を呼ぶにはどうすればよいか」という問いを、トップ大学とFラン大学のそれぞれのゼミで問いかけたところ、トップ大学の学生は「その渓谷の価値や歴史がよくわかる資料館を建てる」と答え、Fラン大学の学生は「でかいバンジージャンプを作る」と答えた。私はこの話が大好きでよく引き合いに出すのだが、「楽しさ」が人に与えるパワーというか訴求力は決してバカにできない。楽しければそれは勝手に続くし、人はどこからともなく集まってくる。
もちろんこの世のすべてのものがコンテンツとして面白おかしいものである必要はない。それでも、「ナプキンおじさん」は「インド映画」に翻案されて然るべきものであったし、それ以外はありえなかったと断言できる。ありがとうインド。ありがとうおじさん。これを読んだ人でパッドマン未見の人は今すぐ観に行ってください。


私がおじさんをすごいと思うポイントがもうひとつあって、それは他者へと向かう想像力だ。だっておじさんに生理は来ない。月に5日、お腹が痛くて、股の間から血が出続けて、部屋には入れてもらえず、学校にも仕事にも行けず、黙って耐えていることしかできないインドの女性たちについて、今まで誰もきちんと想像して、慮ってこなかったから、21世紀にもなって映画冒頭のような状況がまかり通っていたのだ。
……と、映画を見るまでは思っていたのだが、実際におじさんがしたことを映像で見せられると、実はおじさんにそんな想像力なんて大してなかったんじゃないか? と、思わずにいられなくなってしまった。
どういうことかというと、本当に妻の気持ちを「想像」できるなら、恥ずかしさのあまり号泣された時点でナプキン作りを完全に諦め「君に毎月ナプキンを買えるほど稼ぐ男になるよ」となるべきだし、女子医大の校門に張り付いてナプキンを配ろうとする姿はけっこう怖い。女子学生たちは少なからず恐怖を覚えたはずである。私だったら通報してる。



人に寄り添い、助けになるのに、「想像力」…つまり、「相手の気持ちがわかること、わかろうと努力すること」は、そんなにも大切だろうか?
結局、おじさんがすごかったのは、「自分が正しいと思うことをやり続ける」という点であり(それを「強さ」と呼ぶのではないかと私は常々思っている)そのおじさんの「正しさ」は世界基準のリベラルな「正しさ」に思いっきり合致していた、だから彼はスーパーヒーローになりえた。
「自分が正しいと思うこと」は、必ずしも「みんなが正しいと思うこと」や「Aさんが正しいと思うこと」と一致せず、そのミスマッチはときに相模原の事件のような悲劇を生む。強さ=正しさではないことはこのことからも自明である。渋谷の交差点で100人に聞いたら100通りの正しさがあるわけで、社会とかいうものはこの「正しさ」を、なんとなくそれとなくすり合わせて妥協しあって暮らそうとする人たちの寄り集まったものでしかない。
おじさんの「正しさ」は世界を揺り動かした。そこに「想像力」は必要なく、ただおじさんの「強さ」があった。



母の友人の娘さんに、ゆりちゃんという、二十代半ばの心優しい女の子がいて、彼女はその繊細さからどこに行ってもうまくやることができない。学校もバイトも、がんばりすぎて、うまくやろうとしすぎて、すぐにダウンしてしまう。今は両親の自営業を手伝っているが、彼女と会うたびに、彼女が焦りを覚えていることがひしひしと伝わってくる。
そんなゆりちゃんだが、お姉さんもお母さんもお父さんも、みんなゆりちゃんのように心優しく、ひとの気持ちを思いやれる人たちなので、いつも「ゆりのペースでやればいいのよ」と言っている。私はそれを真綿で首を絞めるような行為だと思いながらも咎めることができない。私としては、刺身にタンポポを乗せるような仕事でもいいので、ハードルを下げに下げてでも何かを始めたらいいと思うのだが、私はゆりちゃんの気持ちのしんどさやつらさがよく分かってしまう、保健室登校経験者であり、ゆりちゃん側の人間なので、「どの口がよくも」と考えてしまって、ゆりちゃんにハッキリともの申すことができない。
今回パッドマンを一緒に見に行ってくれたT女史は、ある意味でオーガニックなティーンエイジを過ごしたので、ゆりちゃんのような人の気持ちがまったくわからないらしい。
「えっ、家出たら!? 派遣の単発バイトとかやればいいじゃん!? 毎日家にいるとかヤバイよ、何でもいいから始めなよ」
と、今まで誰もゆりちゃんに言えなかったことを、きっとT女史なら出会って3分で言ってあげることができるんだろう。それでゆりちゃんはきっと多かれ少なかれ傷つくのだろう。ショックを受けるだろう。でも、それでゆりちゃんが奮い立って、現状を何か変えることができるのなら、T女史は「正しさ」でゆりちゃんを導いたことになる。
「ゆりのペースでいいのよ」と「刺身にタンポポを乗せろ」では、実は後者のほうがゆりちゃんを救うことになるのなら、「他者へと向かう想像力」などというものは、いったいどこまでのリアルな効力を持つのだろうか。



クソのような不正入試や、上沼恵美子に対する蔑視発言など、うんざりするようなニュースが虫のようにわき続ける現代日本で、いま必要とされているのは、常に「正しさ」をアップデートし続ける勤勉さと、その「正しさ」を実践するエネルギーを持つ人、つまり「正論で殴る」人たちなのかもしれない。
そんなことを考えながら、その夜は終電で帰った。翌日も仕事なのに、終電まで遊ぶのは、正しくないことだとはわかっていたが、渋谷の交差点を歩く100人に99人は正しさをだいたい実践できない人であり、私もそのうちのしがない1人なのだ。

南の島で泳ぐためにピル外来に行ってきた

▼はじめに
この文章は、私個人の「月経不順やPMSの改善のために低用量ピルを服用する」という選択と、それにまつわる体験を記録として残したものです。
私と違う選択をした人を、否定したり、考えを改めさせたりする意図で書かれたものではありません。
この件についてコメントや質問をいただいても、私から何かお答えすることは基本的にありません。


「南の島に行かないか」と、大学時代の友人から連絡があった。これほどまでに茫洋として甘美な誘いを、私はほかに知らない。私は二つ返事でその誘いに乗った。


(インドネシアのバティック。いつかインドネシアにも行きたい)


まずは第一に、水着を買わなくてはならない。これは一大事だ。私は地元のスイミングプールで運動のために泳ぐ用の、機能性と耐久性以外にとりえのない水着しか持っていない。そんな水着しか持っていないのに「私は南の島に行く」だなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えない。今すぐオシャレで可愛くて防御力の低そうな水着を用意しなければ。それから、強力な日焼け止め。ドラッグストアで売っている中で一番防御力の高そうなものを手に入れなければならない。さらに、ハリウッドスターみたいなサングラス。スマホの防水カバーとセルフィースティックと、プラスチックケース入りの防水「写ルンです」も、持っておくに越したことはないだろう。南の島にはビックカメラもないし。


ここまでリストを作って私は、はたと我に返り、急いでカレンダーを確認した。とある友人の話を思い出していた。大学を出るまで一度も海外に行ったことがなかった彼女は、卒業旅行として彼氏とのハワイ旅行を果たしたが、生理と丸被りしたおかげでマジで何もできなかった、と。22歳で初海外でハワイ、というだけで相当ダサいのに、そんなお粗末な事態になってしまって、当時の私は完全に他人事として大いに笑わせてもらったのだが、この度は私とて他人事ではない。こともあろうか、私の体はフレンチシェフの如く気まぐれなので、被るのか、回避できるのかすら分からない。さて困った、と首を捻ったその瞬間。まるで雷のように、天啓が授けられた。
そうだ、ピル外来行こう。(BGM: My Favorite Things)


低用量ピルのことはずっと前から知っていた。何度か効用や飲み方を調べてもいた。もし、私をずっと悩ませてきたPMSと月経不順が、これを飲むだけである程度改善するならどんなに良いか。そう思っても、なかなか行動に出ることができなかった。周りに飲んでいる友人はいたが、片手で足りる程度だし、女友達の間でもなかなかそんな話にはならない。まず、婦人科に抵抗がある。病院が嫌だなんて、子どもみたいな理屈ではあるが、婦人科に抵抗のないご婦人などそうそういないだろう。
しかし、今の私は違う。南の島に行くのだ。今からピルを服用して気まぐれな周期を正常に戻せば、ハワイ・ショックの轍を踏まずに済むはずだ。南の島に行かない自分はもう死んでしまった。私は新しくなって、新しい選択をすることができる。私は迷うことなくGoogleのアプリを叩いていた。



「ピル外来」というワードにプラス地名で検索すると、検索上位にそれらしき医療機関が表示されたので、何も考えずにリンクをタップする。怪しげなところは何もない、ふつうのクリニックだと思ったので、「予約」ボタンを押してオンライン予約に取り掛かる。希望する診察内容や空きのある日時を選ぶくだりは、完全にヘアサロンとかレストランとかの予約と同じで、そのうちオズモールやホットペッパービューティーみたいなところで婦人科の予約ができるようになってもいいかもしれない。名前や連絡先まで入力したら予約完了メールが来て、あとは当日行くだけだ。ピルを飲むと決めた瞬間から、ここまで五分。


さて時はさっさと流れて予約当日、駅チカで便利なそのクリニックへ向かうと、受付のお姉さんが「本日はこちらでよろしいですか」と、選択肢の書かれた紙を見せてくれた。人目がある中で診察の内容を口にしなくてもいいようにという配慮である。やさしい世界だ。私が頷いたのを見て、お姉さんが問診票をくれる。表面が患者の記入するパートで、裏面が予想外に密度の高い「ピルとはなんぞや」のパートだった。これをじっくり読み込んで、すべてに「理解した」というチェックを入れて提出すると、婦人科の診察室に招き入れられる。本日のメインイベントである。理知的な表情と話し方の女性医師が、鮮やかな手際と滑らかな口ぶりでスパパと説明をしてくれるが、私にはピルの基礎知識があった上に、さきほど問診票の裏を読んだばかりなので、どれもクリアに理解することができた。保険適用のピルと保険適用外のピルの違いや、私がピルを飲む目的を考慮して、今回は保険適用のものを処方してもらうことになった。無理をせず健康的な生活を心がけること、定期的に診察・検診を受けに来ることを約束し、最後に、急に具合が悪くなったときにどうしたらいいかの説明を受け、安心して診察室を後にすることができた。隣接する薬局で、ミントの香りの爽やかな男性薬剤師から爽やかな説明とともにピルを受け取りミッションコンプリート。クリニックに足を踏み入れてから薬局を出るまで、ちょうど一時間程度。飲み始めは次の生理が始まったときなので、まだ服用してはいない。熟すには早い果実を寝かせるように、大切に引き出しにしまってある。



私よりずっと早くからピルを飲み始めた友人が、つい先日言っていた。「ピルを飲み始めたら、自分の体が勝手に担わされた神秘性みたいなものを、やっと捨てられた気がした」。私は彼女とまったく同じ気持ちではないにしても、その感覚はよく理解できる(まだ飲み始めてもいないんだけど)。誰からともなく課せられた『ままならなさ』 ──さらにその『ままならなさ』はいつしか私たちの思考の枠組に入り込んで内在化してしまうのだが── その枷から、もし、ある程度自由になれるとして、いったい誰が迷惑を被るだろう。私が、私の体のために行動したことを、いったい誰が責められるだろう。

「寒いと思ったら上着を着る」とか、「お腹すいたらクッキーをつまむ」とか、そういうレベルの話と同じで、「自分の体に起きていることに対し、何かアクションをとる」という行為は、誰にとっても自然なものだ。だからきっと、私が『ままならない』自分の体をコントロールし、南の島で泳ぐために、ピル外来へ赴いたことは、とても自然なことだったはずだ。寒いも、お腹すいたも、痛いもしんどいもきついも、何も我慢しなくていい。耐え忍んでも、何のためにもならない。たとえピルを飲んだ結果、体に合わなくて結局やめることになったとしても、私はこの選択を、それにまつわる私の行動を、一旦は手放しで祝福したいと思う。そして、南の島の澄んだ浅瀬で、指先がぶよぶよになるまで泳ぎ続けたいと思う。


後日改めて、南の島で遊び惚ける私の写真9割、ピル服用の後日談1割くらいのブログを書くつもりである。


▼しつこいようですが、このブログエントリやピルについてのコメント・質問には、基本的に何もお答えしません。

6月28日の日記

この間、パスケースを落とした。パスケースの中には定期の他に職場のセキュリティカードが入っていて、私はそのために筆舌に尽くしがたい思いを味わった。財布も携帯も鍵も一度も落としたことなんかなかったのに、あの一瞬のせいで私の人生は、職場のセキュリティカードを落とした迂闊で間抜けな人生へと塗り変わってしまった。
その前には、よく利用していた家具のネット通販サイトから私のクレジットカードの番号が流出し、その結果、深夜0時にお風呂から上がってスマホを見たら4万5千円の利用通知メールが届いているという怪事件にまで発展した。実家に財布を置き忘れて近所の知り合い宅に金をたかりに行ったのは先々週の夜更けのことだ。極め付けに、先日階段をたったの三段転げ落ちてしたたかに打ち付けた肘が未だに痛い。



こんなにも不運が続くのも人生史上稀に見ることだったので、先週末、明治神宮にお祓いに行った。なぜ明治神宮かと言うと、もはや観光地化されていてお出かけするだけで楽しそうだったし、何より大抵の神社が「一万円から」と設定する初穂料が五千円スタートでたいへん良心的だったからだ。たったの五千円でどれだけ私の厄が祓われたのか数値化してくれるガイガーカウンターが入り口に設置してあればよかったのだが、そんなものは未来永劫開発されそうにないので、まあ気持ちの問題だよな、と思いながらお札を持って帰った。お札はベッドフレームに立て掛けるようにして置くことにした。毎朝毎晩、二礼二拍手一礼をするほど熱心ではないものの、目が合えば一礼くらいはするようにしている。



どこで見かけたのか忘れてしまったが、日本人の宗教観について、「日本人の言う『無宗教』とは、特定の宗教的組織に属していないこと」という記述を読んで、なるほどそれだと膝を打った。
日本人は宗教的でない、という言説を見聞きするたびに、それは絶対に違う、誰もお守りを踏めないし鳥居を蹴っ飛ばせないはず……と悶々としていたから、雲が晴れたような心地だった。社訓が独特で社長のパワーが強い企業などを、私たちは「宗教っぽい」などと形容したりする。宗教=【共通のルールに従う人の集合】そのもののことだと理解しているからこその表現に違いない。



教祖が国際指名手配されたとあるカルト教団の信者女性のところに1年通って聖書の読み方を習った話はまた別の機会に回すとして、私の見たところ、小さな集団(この"小ささ"は敷地面積や規模の大小ではない)を敬遠する人々にほどなく近いところに、そのような組織の中にようやく心の安寧を見出す人々というのも確かに存在する。また、「シューキョーなんて気持ち悪い、まっぴら」などと豪語する人がまさしく『宗教的』な集団や活動に入れ込んでいるケースも珍しくなさそうだ。そういう人たちを、いかに集団の狂気から遠ざけるかが、現代日本社会の課題である。みたいなことを村上春樹が言っていた。(私は村上春樹のことは「やれやれ、僕は射精した」くらいしか知らないけど、彼のオウム真理教についてのルポルタージュやエッセイはすごく好きで何度も読み返している。)
お守りは踏めないし鳥居は蹴っとばせない人たちが、1日5回礼拝するムスリムを見て「厳しい宗教だ」という感想を抱く。「職場のセキュリティカードを落としてしまったり、不運が続くので、明治神宮で五千円支払ってお祓いをしてもらった」という冒頭の文章を読んで、まったく違和感を抱かなかったのだとしたら、その感性はたいへん"宗教的"だと言わざるを得ない……かもしれない。

6月24日の日記

唐突に静かな気持ちになる、たとえば今日のように昼寝しすぎた日の夜更けなどに。静かな気持ちになったついでにボロボロのふやけたノートを引っ張り出してきて、小さな文字で細々と綴られた当時の心境を読み耽ったりする。しんしんと。そして若いなぁとか思うのだけど、そのノートを使い切ってから2年しか経っていないことに、つまり私が今も『若い』という事実にゾッとする。この『ゾッ』はうまく言葉にならない。これからも私はいろんなことを間違え、いろんなことに気がつき、ときに気がつき損ね、試行錯誤を繰り返しては学んでいかなければならないというそのことにゾッとする。


本人には絶対に口が裂けても言えないが、老年期と言われる年頃の人を見ると「あとは死んでいくだけだから楽でいいよな」と思ってしまう。その歳になってしまえばもう誰も彼を変えられないし、もちろん彼も変わる必要がない。そのやり方でその歳まで生命を維持できたのだから、彼のやり方は結果論的に正解だったと言わざるを得ない(そういう意味で、私は儒教で説かれる『年長者への敬意』に共感する)。長距離走で前を走る人に対する妬みにも似ている。もちろん彼らは遠く険しい道のりを命がけで走り抜けてきたわけで、それは理解しつつも、羨ましく思う気持ちをどうしても止められない。


のいさんは本当に多趣味だね、と先輩に言われた。先輩は旦那さんとしばしばスキーや旅行を楽しみながらも、主な楽しみはお酒を飲むことなんだと言う。私は私の趣味を趣味とは思っていない。世間一般で言われる趣味とは『余・暇』を潰すための手段であり人生の時間を深めるためのエッセンスだ。私にとっての趣味は痛み止めのモルヒネや登山者の握るロープに例えられる。日々はあまりにも面倒なことやしんどいこと、つらいこと、理解しかねることに満ちていて、気を確かに持たないとすぐにそれらに毎日を埋め尽くされてしまう。そのため、頭の中に常に楽しいことや好きだと思えることをいくつもストックしておいて、状況に応じて選び、自分を楽しませ、和ませて、シンドいやメンドいに押し潰されないように引っ張り上げてやるのだ。そうすれば生活に潜んだ面白さや周りの人の温かい気持ちにも気づけるくらいに感受性が回復する。そうやってメンタルを即時回復しながらしか私は生きていくことができない。


私ものいちゃんみたいに夢中になれる趣味が欲しいとか、どうしてそこまで好きになれるのか知りたいとか、そういうこともよく聞かれるが、私には逆に夢中になれる趣味もなくどうやって生きていけるのか本気で意味がわからない。麻酔なしで開腹手術をするようなものではないのだろうか。わからない……と、ついこの間までは思っていたのだが、最近になって何となく分かり始めてきた。私が舞台やサブカルなどのコンテンツに注いでいるエネルギーを、多くの人は人間関係に注ぐのではないだろうか。地元の友達、学校の友達、職場の仲間、恋人、家族、子どもなどなど。彼らが自らの外側に張り巡らすセーフティネットを、私は自らの内部に張り巡らせ、自分のメンタルがどこまでも落ちていかないようにしている。
誰もひとり取り残されて死にたくはない。死なないようにする方法が異なるだけで、私はそれを内側に取り込んでしまうことを選んだ、それだけの話だ。そのおかげで、私は眠る前の静かなひと時に「今日はまあまあ楽しかったな、よくやれたな」と思える。今夜は冒頭で書いた通り昼間寝すぎてしまったので、少しだけその静かな時間を引き延ばして、自分の内側やその外側に、目を凝らしてみたかった。

私はひとりの夜を寂しいと思ったことはない。

5月17日の日記

母親という存在について、私はここ数年、意図的に思考停止をしてきたように思う。生活の中でさまざまな選択をしていくにあたり、私は母親の存在を考慮に入れることをしなくなった。疎遠になったわけでも、ましてや絶縁しているわけでもなく、昨年新しく柴犬を迎えてからなんて毎日のように写真が母からLINEで送られてくるし、それに対して私も「世界一かわいいちゃんだわ~ん」とか「おしゃんぽ行ったかわん?」とか反応を欠かさないので、むしろ学生時代と比べてもコミュニケーション量は増加している。それなのに、私は「ママとは友達です」とは口が裂けても言えない。きっと一生言えない。


多分、私にとっての母親は大きすぎて、複雑すぎて、永遠に解けそうにない長々とした計算式のようで、私は幼いころからいつもその難解さを持て余していた。母の事をどう思えばいいか分からなかった。特に私が家を出てから、母は何を思ったか突如として親戚の優しいおばさんのような立ち位置にシフトしてきたので、私はその問いをずっと留保したまま今日まできてしまった。


正直なところ、小学生みたいな言い方になってしまうが、私は母はすごい人だと思うし、いい人だとも思う。国家資格を持ってフルタイムでバリバリ仕事をしていて、もう何年も管理職をしている。お調子者で、馬鹿馬鹿しいことが好きで、隙あらばひとりで歌ったり踊ったりするところは私にとてもよく似ている。常に最悪の事態を想定する私の性分はおそらく母から受け継がれたもので、たとえば友人が5分連絡なしに約束に遅れると「〇〇線 事故」などでツイート検索したりして万一友人が事故で亡くなっていた場合にいちいち備えてしまう(というのはさすがにエクストリームな例ですが)。そういうところで私は本当にI'm my mother's daughterだなと感じる。


一方で母は、私のやることなす事すべて一旦否定しないと気が済まないが、それを彼女は『母親としての重要な役割のひとつ』だといつも豪語している。私は何か新しいことを始めるとき、全く根拠もないのにぼんやりと「できるんじゃん?」と思ってしまうタイプの能天気な人間だが、私が「〇〇をしようと思う」というような発言をした時の母の反応は決まって「あんたみたいな人が〇〇なんて絶対にできるわけない」だ。一番古い記憶が「あんたみたいな人が一年生の子をお世話なんかできるはずない(小学校の記憶)」で、以下「一年生~お世話」部分を塾通い、高校受験、厳しい部活、大学受験、大学通学、海外旅行、独り暮らし、大学院進学、留学、就職、仕事、資格取得……に挿げ替えたものが断続的に続けられる。「いいじゃない、やってみなさいよ」と言われたことは神に誓って一度もない。


しかし能天気な私はそう言われてもやらずにいられないので、「無理」「後悔する」「やめておけ」「死ぬぞ」「あんたなんか私の娘じゃない」などの刺々しい言葉を背中に受けながら結局、実行に移してしまう。そうしてそれが軌道に乗ったり何とか成功したりすると、ここで母は突然神様のように協力的になる。塾から帰った私のために夜食を用意してくれた。○○大なんか何浪しても無理、と言いながら受験料を払ってくれた。バイトが遅くなった日は駅まで車で迎えに来てくれた。日本からNYに向けてα米を送ってくれた。一人暮らしで使う家電を品定めして値切ってくれた。私は突然のハイパー菩薩タイムに多少ビビりながらもそれを遠慮することはなかった。いつもそうだった。


しかし、この、ハイパー菩薩タイムに突入するまでの悪魔のような母の姿とその口から吐かれる呪詛があまりにも恐ろしいので、随分長いあいだ、私の中の"母親"のイメージはメドゥーサの如き禍々しい様相を呈していた。それが嫌で苦しくて半ば家出同然で実家を飛び出してから、冒頭で言った通り私はなるべく、なるべく母親の事を考えないようにしてきた。どうしたって被害者ぶりたくなってしまうし、自尊心をダイレクトに傷つけるべく発されたとしか思えない罵詈雑言を数えきれないほど受け続けて疲れ果てていて、いくら頑張っても許せそうになかった。そもそも、『誰かに何か酷いことをされた自分』を認識すること自体がまずしんどいことに違いなかった。周囲の人は菩薩タイム中の母の姿しか知らないので、私が母に何を言われたと訴えようと信じてもらえない。母は母で、私が視界から飛び出していったことによって心の中の何かが吹っ切れたのか、よく分からないが突然丸くなった。私を否定するようなことも言わなくなって、まるで牙を抜かれたようになってしまっていたので、余計、あの恐ろしい日々は私の脳が作り上げた妄想だったのではないかと思ったくらいだった。


そして今日、ふらふらと歩いていたら、本当に何の前触れもなく、雷が落ちたみたいに、私はハッと、「あれ、もしかしてうちの母って、良い人なのでは?」と思った。意味が分からないと思うが私にも全然分からない。たぶん神の啓示をうけたマザー・テレサやジャンヌ・ダルクも直後はこんな気持ちだったろうと思う。
『ハイパー菩薩タイム』などと茶化して皮肉っていた、あのときの母は本当に協力的だった。母が助けてくれなかったら最後までやり遂げることのできなかったことがたくさんある。刺々しく文句を言いながら、呪詛を吐きながら、いつも母は私の味方だった。どうして今まで気づかなかったんだろう。いや、気づくわけがない。棘が鋭すぎて、その棘に包まれた母の献身を、私はいままで一度だって真正面から認識できていなかったのだ。


そして私は思った。「いや、うちの母さん、子育て下手すぎでは? ってか不器用すぎでは!??」
母は私の決意を一度ひん曲げてやることによって私を強くしてきたと思っているのかもしれないが、私はそのたびにきっかりしっかり傷ついて挫かれていやんなってしまってきたので、あれさえなければもう少し素直で明るい人間になっていたと思うし、母親をメドゥーサに喩えるような娘になっていなかったはずだ。実家を出て丸3年、母の日から数日遅れて、(なんか知らんが突然)私はやっと母が私にしてくれたことを真っ直ぐな気持ちで受け止め、感謝できるようになった。しかし分からない。どうして母はあんなに非効率とも言える子育てを実践していたのか。彼女をそんなダークな子育てへ駆り立ててしまうほどに彼女の娘は出来が悪かったのか。母自身は私に対して繰り返し言ってきたことをどう思っているのか。聞けるわけない。
というわけで謎は残りつつも、頭の中でまとめられたこと、理解できたことだけ、せめてもの思いで書き残しておく次第である。

5月11日の日記

整体に行ってきた。整体というところは恐ろしいところで、一度行き始めるともう整体に行かない人生には戻れなくなってしまう。いわば中毒だ。だから人類には、一生整体に行かないか、それとも一生整体に行き続けるかの二択しか用意されていない。私はもうここ一年と半年ずっと整体の虜なので、二週間以上間を開けると整体に行きたくて行きたくて行きたくてたまらなくなってしまう。そういう話をしつつ整体を勧めたところ「考えさせてください」と神妙な顔で答えた友人が、このあいだ二回めの施術を受けに行ったそうだ。彼女はもう戻れない。


ゴールデンウィークは二日間だけ実家に帰った。高校の友人が犬を見に来るということで家族みんなが張り切っていた。人が来ると必要以上に張り切るのはこの家に生まれた者のサガらしい。「○○(友人)さんは、大福なんか食べるかしら」と聞いてきた祖母に「○○は椅子とテーブル以外なら何でも食べるよ」と言ったら「そうよね」と返された。耳が遠くなるとはこういうことだ。
掃除機をかけて床を拭いて昼食をあとは火にかけるだけにしたところで約束の時間になったがさっぱり音沙汰がない。このクソ野郎と思いながら大逆転裁判を進めていたら「おはよう(今起きた)」というLINEが入り、今度は声に出して「このクソ野郎!!」と言って大逆転裁判に戻った。そこからまた連絡が途切れる。私は寝坊されるのも遅刻されるのも何とも思わないが、予定の見通しが立たないのが何より嫌いだ。彼女は寝坊した時点で私にそもそも行くのか行かないのか、行くなら何時に着くのかを大まかにでも連絡するべきだった。
むしゃくしゃしながら既読もつかないLINEを見ていたらキッチンの母に呼ばれて味見を頼まれた。今日のメニューはビーフストロガノフのはずだったが妙に薄い、というか死ぬほどまずい。水をきちんとレシピ通り入れたのかと聞いたら、参考にした料理番組では水の分量は特に言っていなかったので300cc入れた、と言う。そんな料理番組があってたまるかと思ったので録画してあったものを確認したら、「それではここで水を80cc入れます」と確かに言っている。ほら!!! ほらね!!! 水多いってレベルじゃねーぞ!!! と騒ぎ立てる私に母は「じゃあしばらく煮詰めればいいか♪」と呑気に火を強くした。ありえない。本当にありえない。
結局、友人はちょうど二時間遅れて来た。戦時下のすいとんみたいになってしまったビーフストロガノフも、彼女が来た頃には丁度よく煮詰まった。「遅れてきてくれて丁度よかったわ~」とかいう母と、喜びのあまり耳がペットリと頭にくっついてしまった柴犬を見ていたらなんだか何もかもどうでもよくなってしまった。


友人と話した中で最も記憶に残っているのは、「上司から曖昧な指示をされると困惑してしまう」という話で、友人の方は本当に思い詰めてしまっていて自分はポンコツすぎるので死んだ方がマシかもしれないとまで煮詰まってしまっているらしかった。曖昧というのはたとえば「社会人としての自覚を持て」とか「場の調和を大切にしろ」とか「周りを見て学んで動け」とかそういうやつだ(私も友人も大学院まで行っているので『社会』に出たのはつい最近のこと)。「始業10分前には身支度を整えてポットにお湯を沸かしておけ」とか「機嫌の悪い時の○○さんに質問するのはやめろ」とか、具体的な指示をしてくれたらちゃんと従うし二度と忘れないのに、それを「自覚」だの「調和」だのといった抽象ぼんやりワードで濁されるから何をどうしていいのかさっぱり分からなくなってしまう。「まとも」な「社会人」なら、そんな抽象ぼんやりワードを聞いただけで自分に求められているものを察することができるんだろうか。私たちには一生かかっても無理なので、今後は何をするにしても質問して、「そんなことをわざわざ聞くな」と言われたら「判断ミスをすると周りに迷惑がかかるので聞きました!! お手を煩わせて申し訳ございませんが教えてください!!」と開き直って90°のお辞儀をすることにしようと決めた。働くというのは本当に大変なことだ。