on my own

話し相手は自分だよ

6月28日の日記

この間、パスケースを落とした。パスケースの中には定期の他に職場のセキュリティカードが入っていて、私はそのために筆舌に尽くしがたい思いを味わった。財布も携帯も鍵も一度も落としたことなんかなかったのに、あの一瞬のせいで私の人生は、職場のセキュリティカードを落とした迂闊で間抜けな人生へと塗り変わってしまった。
その前には、よく利用していた家具のネット通販サイトから私のクレジットカードの番号が流出し、その結果、深夜0時にお風呂から上がってスマホを見たら4万5千円の利用通知メールが届いているという怪事件にまで発展した。実家に財布を置き忘れて近所の知り合い宅に金をたかりに行ったのは先々週の夜更けのことだ。極め付けに、先日階段をたったの三段転げ落ちてしたたかに打ち付けた肘が未だに痛い。



こんなにも不運が続くのも人生史上稀に見ることだったので、先週末、明治神宮にお祓いに行った。なぜ明治神宮かと言うと、もはや観光地化されていてお出かけするだけで楽しそうだったし、何より大抵の神社が「一万円から」と設定する初穂料が五千円スタートでたいへん良心的だったからだ。たったの五千円でどれだけ私の厄が祓われたのか数値化してくれるガイガーカウンターが入り口に設置してあればよかったのだが、そんなものは未来永劫開発されそうにないので、まあ気持ちの問題だよな、と思いながらお札を持って帰った。お札はベッドフレームに立て掛けるようにして置くことにした。毎朝毎晩、二礼二拍手一礼をするほど熱心ではないものの、目が合えば一礼くらいはするようにしている。



どこで見かけたのか忘れてしまったが、日本人の宗教観について、「日本人の言う『無宗教』とは、特定の宗教的組織に属していないこと」という記述を読んで、なるほどそれだと膝を打った。
日本人は宗教的でない、という言説を見聞きするたびに、それは絶対に違う、誰もお守りを踏めないし鳥居を蹴っ飛ばせないはず……と悶々としていたから、雲が晴れたような心地だった。社訓が独特で社長のパワーが強い企業などを、私たちは「宗教っぽい」などと形容したりする。宗教=【共通のルールに従う人の集合】そのもののことだと理解しているからこその表現に違いない。



教祖が国際指名手配されたとあるカルト教団の信者女性のところに1年通って聖書の読み方を習った話はまた別の機会に回すとして、私の見たところ、小さな集団(この"小ささ"は敷地面積や規模の大小ではない)を敬遠する人々にほどなく近いところに、そのような組織の中にようやく心の安寧を見出す人々というのも確かに存在する。また、「シューキョーなんて気持ち悪い、まっぴら」などと豪語する人がまさしく『宗教的』な集団や活動に入れ込んでいるケースも珍しくなさそうだ。そういう人たちを、いかに集団の狂気から遠ざけるかが、現代日本社会の課題である。みたいなことを村上春樹が言っていた。(私は村上春樹のことは「やれやれ、僕は射精した」くらいしか知らないけど、彼のオウム真理教についてのルポルタージュやエッセイはすごく好きで何度も読み返している。)
お守りは踏めないし鳥居は蹴っとばせない人たちが、1日5回礼拝するムスリムを見て「厳しい宗教だ」という感想を抱く。「職場のセキュリティカードを落としてしまったり、不運が続くので、明治神宮で五千円支払ってお祓いをしてもらった」という冒頭の文章を読んで、まったく違和感を抱かなかったのだとしたら、その感性はたいへん"宗教的"だと言わざるを得ない……かもしれない。

6月24日の日記

唐突に静かな気持ちになる、たとえば今日のように昼寝しすぎた日の夜更けなどに。静かな気持ちになったついでにボロボロのふやけたノートを引っ張り出してきて、小さな文字で細々と綴られた当時の心境を読み耽ったりする。しんしんと。そして若いなぁとか思うのだけど、そのノートを使い切ってから2年しか経っていないことに、つまり私が今も『若い』という事実にゾッとする。この『ゾッ』はうまく言葉にならない。これからも私はいろんなことを間違え、いろんなことに気がつき、ときに気がつき損ね、試行錯誤を繰り返しては学んでいかなければならないというそのことにゾッとする。


本人には絶対に口が裂けても言えないが、老年期と言われる年頃の人を見ると「あとは死んでいくだけだから楽でいいよな」と思ってしまう。その歳になってしまえばもう誰も彼を変えられないし、もちろん彼も変わる必要がない。そのやり方でその歳まで生命を維持できたのだから、彼のやり方は結果論的に正解だったと言わざるを得ない(そういう意味で、私は儒教で説かれる『年長者への敬意』に共感する)。長距離走で前を走る人に対する妬みにも似ている。もちろん彼らは遠く険しい道のりを命がけで走り抜けてきたわけで、それは理解しつつも、羨ましく思う気持ちをどうしても止められない。


のいさんは本当に多趣味だね、と先輩に言われた。先輩は旦那さんとしばしばスキーや旅行を楽しみながらも、主な楽しみはお酒を飲むことなんだと言う。私は私の趣味を趣味とは思っていない。世間一般で言われる趣味とは『余・暇』を潰すための手段であり人生の時間を深めるためのエッセンスだ。私にとっての趣味は痛み止めのモルヒネや登山者の握るロープに例えられる。日々はあまりにも面倒なことやしんどいこと、つらいこと、理解しかねることに満ちていて、気を確かに持たないとすぐにそれらに毎日を埋め尽くされてしまう。そのため、頭の中に常に楽しいことや好きだと思えることをいくつもストックしておいて、状況に応じて選び、自分を楽しませ、和ませて、シンドいやメンドいに押し潰されないように引っ張り上げてやるのだ。そうすれば生活に潜んだ面白さや周りの人の温かい気持ちにも気づけるくらいに感受性が回復する。そうやってメンタルを即時回復しながらしか私は生きていくことができない。


私ものいちゃんみたいに夢中になれる趣味が欲しいとか、どうしてそこまで好きになれるのか知りたいとか、そういうこともよく聞かれるが、私には逆に夢中になれる趣味もなくどうやって生きていけるのか本気で意味がわからない。麻酔なしで開腹手術をするようなものではないのだろうか。わからない……と、ついこの間までは思っていたのだが、最近になって何となく分かり始めてきた。私が舞台やサブカルなどのコンテンツに注いでいるエネルギーを、多くの人は人間関係に注ぐのではないだろうか。地元の友達、学校の友達、職場の仲間、恋人、家族、子どもなどなど。彼らが自らの外側に張り巡らすセーフティネットを、私は自らの内部に張り巡らせ、自分のメンタルがどこまでも落ちていかないようにしている。
誰もひとり取り残されて死にたくはない。死なないようにする方法が異なるだけで、私はそれを内側に取り込んでしまうことを選んだ、それだけの話だ。そのおかげで、私は眠る前の静かなひと時に「今日はまあまあ楽しかったな、よくやれたな」と思える。今夜は冒頭で書いた通り昼間寝すぎてしまったので、少しだけその静かな時間を引き延ばして、自分の内側やその外側に、目を凝らしてみたかった。

私はひとりの夜を寂しいと思ったことはない。

5月17日の日記

母親という存在について、私はここ数年、意図的に思考停止をしてきたように思う。生活の中でさまざまな選択をしていくにあたり、私は母親の存在を考慮に入れることをしなくなった。疎遠になったわけでも、ましてや絶縁しているわけでもなく、昨年新しく柴犬を迎えてからなんて毎日のように写真が母からLINEで送られてくるし、それに対して私も「世界一かわいいちゃんだわ~ん」とか「おしゃんぽ行ったかわん?」とか反応を欠かさないので、むしろ学生時代と比べてもコミュニケーション量は増加している。それなのに、私は「ママとは友達です」とは口が裂けても言えない。きっと一生言えない。


多分、私にとっての母親は大きすぎて、複雑すぎて、永遠に解けそうにない長々とした計算式のようで、私は幼いころからいつもその難解さを持て余していた。母の事をどう思えばいいか分からなかった。特に私が家を出てから、母は何を思ったか突如として親戚の優しいおばさんのような立ち位置にシフトしてきたので、私はその問いをずっと留保したまま今日まできてしまった。


正直なところ、小学生みたいな言い方になってしまうが、私は母はすごい人だと思うし、いい人だとも思う。国家資格を持ってフルタイムでバリバリ仕事をしていて、もう何年も管理職をしている。お調子者で、馬鹿馬鹿しいことが好きで、隙あらばひとりで歌ったり踊ったりするところは私にとてもよく似ている。常に最悪の事態を想定する私の性分はおそらく母から受け継がれたもので、たとえば友人が5分連絡なしに約束に遅れると「〇〇線 事故」などでツイート検索したりして万一友人が事故で亡くなっていた場合にいちいち備えてしまう(というのはさすがにエクストリームな例ですが)。そういうところで私は本当にI'm my mother's daughterだなと感じる。


一方で母は、私のやることなす事すべて一旦否定しないと気が済まないが、それを彼女は『母親としての重要な役割のひとつ』だといつも豪語している。私は何か新しいことを始めるとき、全く根拠もないのにぼんやりと「できるんじゃん?」と思ってしまうタイプの能天気な人間だが、私が「〇〇をしようと思う」というような発言をした時の母の反応は決まって「あんたみたいな人が〇〇なんて絶対にできるわけない」だ。一番古い記憶が「あんたみたいな人が一年生の子をお世話なんかできるはずない(小学校の記憶)」で、以下「一年生~お世話」部分を塾通い、高校受験、厳しい部活、大学受験、大学通学、海外旅行、独り暮らし、大学院進学、留学、就職、仕事、資格取得……に挿げ替えたものが断続的に続けられる。「いいじゃない、やってみなさいよ」と言われたことは神に誓って一度もない。


しかし能天気な私はそう言われてもやらずにいられないので、「無理」「後悔する」「やめておけ」「死ぬぞ」「あんたなんか私の娘じゃない」などの刺々しい言葉を背中に受けながら結局、実行に移してしまう。そうしてそれが軌道に乗ったり何とか成功したりすると、ここで母は突然神様のように協力的になる。塾から帰った私のために夜食を用意してくれた。○○大なんか何浪しても無理、と言いながら受験料を払ってくれた。バイトが遅くなった日は駅まで車で迎えに来てくれた。日本からNYに向けてα米を送ってくれた。一人暮らしで使う家電を品定めして値切ってくれた。私は突然のハイパー菩薩タイムに多少ビビりながらもそれを遠慮することはなかった。いつもそうだった。


しかし、この、ハイパー菩薩タイムに突入するまでの悪魔のような母の姿とその口から吐かれる呪詛があまりにも恐ろしいので、随分長いあいだ、私の中の"母親"のイメージはメドゥーサの如き禍々しい様相を呈していた。それが嫌で苦しくて半ば家出同然で実家を飛び出してから、冒頭で言った通り私はなるべく、なるべく母親の事を考えないようにしてきた。どうしたって被害者ぶりたくなってしまうし、自尊心をダイレクトに傷つけるべく発されたとしか思えない罵詈雑言を数えきれないほど受け続けて疲れ果てていて、いくら頑張っても許せそうになかった。そもそも、『誰かに何か酷いことをされた自分』を認識すること自体がまずしんどいことに違いなかった。周囲の人は菩薩タイム中の母の姿しか知らないので、私が母に何を言われたと訴えようと信じてもらえない。母は母で、私が視界から飛び出していったことによって心の中の何かが吹っ切れたのか、よく分からないが突然丸くなった。私を否定するようなことも言わなくなって、まるで牙を抜かれたようになってしまっていたので、余計、あの恐ろしい日々は私の脳が作り上げた妄想だったのではないかと思ったくらいだった。


そして今日、ふらふらと歩いていたら、本当に何の前触れもなく、雷が落ちたみたいに、私はハッと、「あれ、もしかしてうちの母って、良い人なのでは?」と思った。意味が分からないと思うが私にも全然分からない。たぶん神の啓示をうけたマザー・テレサやジャンヌ・ダルクも直後はこんな気持ちだったろうと思う。
『ハイパー菩薩タイム』などと茶化して皮肉っていた、あのときの母は本当に協力的だった。母が助けてくれなかったら最後までやり遂げることのできなかったことがたくさんある。刺々しく文句を言いながら、呪詛を吐きながら、いつも母は私の味方だった。どうして今まで気づかなかったんだろう。いや、気づくわけがない。棘が鋭すぎて、その棘に包まれた母の献身を、私はいままで一度だって真正面から認識できていなかったのだ。


そして私は思った。「いや、うちの母さん、子育て下手すぎでは? ってか不器用すぎでは!??」
母は私の決意を一度ひん曲げてやることによって私を強くしてきたと思っているのかもしれないが、私はそのたびにきっかりしっかり傷ついて挫かれていやんなってしまってきたので、あれさえなければもう少し素直で明るい人間になっていたと思うし、母親をメドゥーサに喩えるような娘になっていなかったはずだ。実家を出て丸3年、母の日から数日遅れて、(なんか知らんが突然)私はやっと母が私にしてくれたことを真っ直ぐな気持ちで受け止め、感謝できるようになった。しかし分からない。どうして母はあんなに非効率とも言える子育てを実践していたのか。彼女をそんなダークな子育てへ駆り立ててしまうほどに彼女の娘は出来が悪かったのか。母自身は私に対して繰り返し言ってきたことをどう思っているのか。聞けるわけない。
というわけで謎は残りつつも、頭の中でまとめられたこと、理解できたことだけ、せめてもの思いで書き残しておく次第である。

5月11日の日記

整体に行ってきた。整体というところは恐ろしいところで、一度行き始めるともう整体に行かない人生には戻れなくなってしまう。いわば中毒だ。だから人類には、一生整体に行かないか、それとも一生整体に行き続けるかの二択しか用意されていない。私はもうここ一年と半年ずっと整体の虜なので、二週間以上間を開けると整体に行きたくて行きたくて行きたくてたまらなくなってしまう。そういう話をしつつ整体を勧めたところ「考えさせてください」と神妙な顔で答えた友人が、このあいだ二回めの施術を受けに行ったそうだ。彼女はもう戻れない。


ゴールデンウィークは二日間だけ実家に帰った。高校の友人が犬を見に来るということで家族みんなが張り切っていた。人が来ると必要以上に張り切るのはこの家に生まれた者のサガらしい。「○○(友人)さんは、大福なんか食べるかしら」と聞いてきた祖母に「○○は椅子とテーブル以外なら何でも食べるよ」と言ったら「そうよね」と返された。耳が遠くなるとはこういうことだ。
掃除機をかけて床を拭いて昼食をあとは火にかけるだけにしたところで約束の時間になったがさっぱり音沙汰がない。このクソ野郎と思いながら大逆転裁判を進めていたら「おはよう(今起きた)」というLINEが入り、今度は声に出して「このクソ野郎!!」と言って大逆転裁判に戻った。そこからまた連絡が途切れる。私は寝坊されるのも遅刻されるのも何とも思わないが、予定の見通しが立たないのが何より嫌いだ。彼女は寝坊した時点で私にそもそも行くのか行かないのか、行くなら何時に着くのかを大まかにでも連絡するべきだった。
むしゃくしゃしながら既読もつかないLINEを見ていたらキッチンの母に呼ばれて味見を頼まれた。今日のメニューはビーフストロガノフのはずだったが妙に薄い、というか死ぬほどまずい。水をきちんとレシピ通り入れたのかと聞いたら、参考にした料理番組では水の分量は特に言っていなかったので300cc入れた、と言う。そんな料理番組があってたまるかと思ったので録画してあったものを確認したら、「それではここで水を80cc入れます」と確かに言っている。ほら!!! ほらね!!! 水多いってレベルじゃねーぞ!!! と騒ぎ立てる私に母は「じゃあしばらく煮詰めればいいか♪」と呑気に火を強くした。ありえない。本当にありえない。
結局、友人はちょうど二時間遅れて来た。戦時下のすいとんみたいになってしまったビーフストロガノフも、彼女が来た頃には丁度よく煮詰まった。「遅れてきてくれて丁度よかったわ~」とかいう母と、喜びのあまり耳がペットリと頭にくっついてしまった柴犬を見ていたらなんだか何もかもどうでもよくなってしまった。


友人と話した中で最も記憶に残っているのは、「上司から曖昧な指示をされると困惑してしまう」という話で、友人の方は本当に思い詰めてしまっていて自分はポンコツすぎるので死んだ方がマシかもしれないとまで煮詰まってしまっているらしかった。曖昧というのはたとえば「社会人としての自覚を持て」とか「場の調和を大切にしろ」とか「周りを見て学んで動け」とかそういうやつだ(私も友人も大学院まで行っているので『社会』に出たのはつい最近のこと)。「始業10分前には身支度を整えてポットにお湯を沸かしておけ」とか「機嫌の悪い時の○○さんに質問するのはやめろ」とか、具体的な指示をしてくれたらちゃんと従うし二度と忘れないのに、それを「自覚」だの「調和」だのといった抽象ぼんやりワードで濁されるから何をどうしていいのかさっぱり分からなくなってしまう。「まとも」な「社会人」なら、そんな抽象ぼんやりワードを聞いただけで自分に求められているものを察することができるんだろうか。私たちには一生かかっても無理なので、今後は何をするにしても質問して、「そんなことをわざわざ聞くな」と言われたら「判断ミスをすると周りに迷惑がかかるので聞きました!! お手を煩わせて申し訳ございませんが教えてください!!」と開き直って90°のお辞儀をすることにしようと決めた。働くというのは本当に大変なことだ。

5月3日の日記

きのう、ブログをアップした直後に銭湯に行った。ひとまとまりの文章を書き終えてWWW(クソワロタではなくワールドワイドウェブ)にアップロードした後というのはいつも不思議な爽快感がある。うまく言葉にできないが、あえて言うなら「やってやったぜ!」という気持ちになる。別に何をやってやったというわけでもないんだけど、この爽快感が味わいたいがために同人誌を書いたり長いブログを書いたりしているところも確かにある。やってやったぜ! と思いながら部屋着のままで、22時を回った真っ暗な住宅街を風を切ってひとり歩いて銭湯に行った。


銭湯というのは本当に奇妙な場所で、ほとんど初めて会う人たちが全裸でうろうろしているところに自分も進んで全裸になって入っていって体を洗って熱い湯に入ったりする。よく考えてみると場のルールというものが他と比べてもひときわ異様だと思う。これは満員電車のような場に関しても言えることで、よほど親しい友達だってペッタリくっついたりなどしないのに、見ず知らずのおじさんと背中合わせにピットリくっついたまま微動だにせず声も出さずにひたすら突っ立っていることを日常だと受け入れている自分がいる。そうやって我に返ると急におじさんの背中の熱さをはっきりと意識し始めたりしてしまうので、慌てておじさんの背中を岩盤浴の地面か何かだと自分に言い聞かせたりして……腰の曲がったおばあさんがお湯から上がるのを見て「垂乳根の母」とか真顔でつぶやいている状況もよくよく考えればおかしいのだが、突っ込んでくれる人もいないので、とりあえず洗い場へ向かう。


シャンプーをしていたら、隣の二人組の会話が耳に入ってきた。20代前半OLといったところ。はじめはとりとめもない話をしていたのだが、あるとき奥にいたほうの女性が、「あれ、この肩のところの傷どうしたの?」と言い出した。首をひねって私もそちらを見るわけにもいかなかったのでそのまま聞いていたら、どうやら手前の女性は中学生のころに命がけの大手術を経験したらしい。「もう今は全然平気なんだけどね」と何事もなさそうに言う女性。それを聞いた奥側の女性が、「つきあい長いと思ってたけど、まだ知らないことがあったんだね」とまじまじと言うので、いや驚くのそこなのかよ、と思わず心の中で突っ込んでしまった。「オフショルダーとかちょっと着られないんだよね~別にいんだけどさ~」という朗らかな発言を受けて、「大丈夫だよ~そのうち傷も消えるでしょ~!」と朗らかに元気づける友人に、「いや傷はもう一生残るって」と即座にクールに切り返す女性には聞いているこちらがヒエ~という気持ちになってしまったが、友人はあくまで「じゃ肩ひもとかでごまかそう」などと真剣に提案するので、この2人はこれからもずっと友達なんだろうな、と熱いお湯をかぶりながら勝手に思った。


ぬるめのお湯に浸かってひたすらぼーっとするのが好きなので、壁にもたれて汗をダラダラ垂らしながらぼーっとしていると、老婆が出ては入り、幼女が出ては入り、刺青だらけの怖そうなお姉さんが出ては入り、やってきては消えていく人たちを湯けむりの向こうに見送り続けることになる。窓ガラスに何か張り紙がしてあるが、裸眼ではよく見えないし、そもそも湯気がすごくて万が一書いてある文字がハングルでもたぶん気づけない。壁1枚隔てたむこうの男湯からは時折、賑々しい笑い声が聞こえてくるが、女湯はいたって静かだ。何が書いてあるかわからない張り紙と、誰だかわからない人たちに囲まれて、素っ裸で汗まみれでぼーっとしていると、うまい具合に何もかもがばかばかしく思えてくるが、それもこの銭湯という奇妙な場を出てしまうまでの一時の錯覚であることも、ちゃんとわかっている。閉店時刻から着替えとドライヤーとコーヒー牛乳を飲む時間を逆算して、あと15分はここにいられるな、ばかばかしいと思っていられるな、と安心する。ただ一つ不安なのは、自販機にフルーツ牛乳しか残っていなかったらどうしよう、ということだ。


(50分/1675字)

5月2日の日記

どうして現代人は「日記」などという極めて個人的で恥ずかしい文章を世界中に向けて公開しようなどと発想するのだろう。
アドレスに入っている「www」とはクソワロタじゃなくてワールドワイドウェブの頭文字で、つまり世界規模のクモの巣を意味するわけで、それはそれでちょっとグロいけど、そんな途方もない場所に向けて今日食べた美味しいものとか今日パートのおばさんに言われてムカついたことなんかを発信するというのはどうにも尋常ではない行為のように思える。
そして恐ろしい事には、その尋常ではない行為を、私は思い出せる限りで言うとだいたい小5くらいから日常的に行っている。
もう、これは尋常であるとかないとかいうラインを通り過ぎて、パフォーマンスアートの一種であると言ってしまっていいのではないだろうか。


アート如何はともかくとして、昨年中ごろに私の書いた「女友達の新しい彼氏との馴れ初めを聞きに行ったら死ぬほど文学だったから文学書きました」は死ぬほどバズった。
T女史による「監督は『はてな』を好んで見ているらしい。やばいバレる」という必死の訴えを受けて、現在公開を停止しているこのエントリは、私の告知ツイートだけで3600近くRTされ、はてなブックマークは700以上、その月のカテゴリ別月間ブクマランキング1位を獲得した。
多くの人が賞賛するところのユーモアのほとんどが私本人ではなくT女史と監督由来のものであったことはさておき、私の文章がこんなにたくさんの人の目に入るのは人生史上においてもおそらくこれが最初で最後だろう。
むしろこれが最後でもいい全然いい、と思えるくらい、あのエントリはバズった。


そしてまあその後はお察しなんだけど、私はまったくブログが書けなくなってしまった。
何を書いても「T女史よりおもしろくないな」と、タイピングする指が止まってしまう。
繰り返しになるが面白いのは私じゃなくて女史と監督なので当然ではある。そのうち、「面白い文章ってなんだろう?」「私は面白い文章が書きたくてブログを書いていたんだろうか?」などと考え込んでしまうようになって、売れないお笑い芸人みたいに「面白さ」について不毛な思索を巡らし続けた。
ぐるぐるぐるぐる考え続けているあいだに外界の季節が一巡りして友人は次々と結婚して実家の犬(←かわいい)も大きくなった。


とかいって哲学者風を装ったあとでものすごく正直に言うと、あのときの、通知が止まらなくて、たくさんの人が私の書いたものの話をしていて、地元の友人から「これのいちゃんでしょ」と連絡が来て、フォロワーがガンガン増えていくのを眺める快感が忘れがたかった。
あまりにも承認欲求が満たされ、自己肯定感がうなぎ上りに高まり、自尊心もみるみる太って気分が最高なので、あ~こりゃ世の中からパクツイや嘘松がなくならないわけだわとうんうん頷いて納得してしまうほどだった。
あれはダメだね。あんなに手軽に得られてしまう自己肯定感は人をダメにするね。普段まったく人から褒められない人生を持て余していた私には甘やかすぎる出来事でした。
というわけで、またあんなふうにバズってみんなに褒められたらサイコーなのにな~という安易な気持ちをはっきりと自覚し、遅まきながらも羞恥心を抱いたので、反省して、初心に帰ってみようと、だいたい18歳くらいのときのブログのノリを思い出してこの文章を書いている。
一部のリアルの友人と、オタク友達と、偶然検索から来た人しか読んでいなかった小さな小さなチラシの裏みたいなブログを思い出しながら書いている。


この尋常ではない行為を、生まれて初めてホームページ(死語かな)を作ったあの日からずっと繰り返している意味は未だによく分からないけれど、あとで自分で読み返して懐かしくなれることだけは確かなので、もうそれだけで「意味」になるかな、と感じている次第である。
あとで懐かしくなるために現在があるわけではないけど。
Twitterの140字に収めるためにそぎ落としてきたいろいろな「無駄」をここに置きっぱなしにしていけたらと思う。



(41分/1700文字)

『ラ・ラ・ランド』に住む、夢みるわれら

突然だが、ミッキーマウスの中には人間が入っている。



このブログを偶然開いてしまった人の中に、もしこの驚愕の事実をご存知ない方がいたのなら、本当に申し訳ない。心からお詫び申し上げたい。誰に言われるでもなく、禁忌だとはわかっていた。それでも言わずにおれなかったのだ。私もこの事実に辿りついたのはつい最近の事だ。どうして気づかなかったのだろう? あんな布と綿の塊が自立して歩き回るなんて、ましてや意思と思考力を持ち人間と会話が可能だなんて。考えれば考えるほど、えも言われぬ感情が腹の底から湧きあがる。騙された。騙されていた。だからあなたも、早く夢から醒めるべきだ。


私はミュージカルを愛していた。年間50回以上劇場に足を運んだ時期さえあった。しかし、私は知ってしまった。何ということだろう、私の愛したあの場所に集う彼らは『役者』と呼ばれる職業人で、あの場所で起こる出来事は全て随分前から入念に仕込まれた"猿芝居"で、始めから終わりまでひとつとして本当のことはないという。眩暈がする。あのすばらしい魔法のような景色や豪奢な宮殿、妖しい洞窟、暖かな家の灯りも何もかもすべて何の由緒も持たない作り物だって? そんなものはベニヤ板に塗られた騙し絵でしかなく、一定期間が過ぎれば無粋な業者の人間によって跡形もなく撤去される、そんなことは知らなかったし知りたくもなかった。そんな偽物に、偽の喜劇に、偽の悲劇に、時に笑い、時に涙し、本気で心を寄せていた私の純真を返してほしい。


気づけば私は嘘という嘘に完全に包囲されていた。テレビを付ければ嘘、本を開けば嘘、街を歩けば嘘、口を開けば嘘、いったい何が嘘でないのだろう。これは『机』だ、ただの"木"だけど。これは『お金』だ、ただの"紙"だけど。私たちが住む世界から嘘を一枚、また一枚と、丁寧に剥がしていった末に残るものこそが本当の世界だというのなら、私はいますぐミッキーマウスを殴り飛ばし、帝国劇場を焼き打ちにしてでも、その世界に辿りつかねばならない。だってここはまやかしだ。ないものをあると信じて泣いたり笑ったりするなんて馬鹿馬鹿しい、ナンセンスにも程がある。私を煙に巻いて化かそうとする嘘を今すぐ葬り去って、夢から醒めなければ。
夢から醒めなければ。


その瞬間、私は私ではなくなった。ただの有機物の塊になった。私が数えた二十余年という物語は、燃え盛るミッキーマウスからもうもうと立ち上る煙の彼方へと消えゆき、私の存在そのものは、めりめりと音を立てて崩れ落ちる天井の下敷きになった。私は悲鳴を上げた──『悲鳴』という概念さえもはや私には残されていなかった。くゆる煙の向こうに丸の内のぼうっと明るいビルの窓が行儀よく一列に並んでいる。そのうちあの窓も全て黒く塗りつぶされるだろう。ああ、『黒』も『塗る』も、ここにはもうないんだった……。




……とかいう『夢』を見ながら、私は早足で横断歩道を渡りきる。四月に入ったとはいえ、ひゅうと背を押す夜風の冷たさは上着の前を留めさせるのに十分だ。日中の賑々しさが嘘のように、ただ車が大急ぎで行き交うだけの有楽町を、私はひとり闊歩する。お堀の水面は窓灯りの一つ一つを律儀に明るく描き出し、役者の一人残らず退場した舞台をあざやかに色づけていた。上着のポケットの中で、半券が擦れる乾いた音がする。嘘の物語を見るためにお金と呼ばれる紙切れと引き換えに赤の他人から頂戴したペラペラの紙切れだ。


夢から醒めても、そこもまた夢。


愛おしい、と、私は思った。あったことも、なかったことも、あったかもしれなかったことさえ、すべて『私』の『物語』の一部だとしたら? 通り過ぎた場所や人のすべて、豊かに広がる無限の可能性のうち、私が選ばなかった何もかもが、今、私とともにあるのだとしたら? そして、今ここで呼吸をする私が、それらすべてを肯定して、小さく頷いたとしたら? それにはもしかしたら小さな勇気が必要かもしれない。もっとも、それは狂気と言い換えられるかもしれない。だけど私の人生には"それ"が必要だ。虚構の物語が、へたくそな芝居が、笑っちゃうくらい滑稽な茶番劇が。

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