on my own

話し相手は自分だよ

同人女のスピーチ a.k.a. 11/27 コミティア参加のお知らせ

●11月27日(日) 東京ビッグサイトにて行われるCOMITA142に「Sorewata」として参加します。スペース番号はG30aです。「Sorewata」についてはこちら

●新刊「それがわたしにとって何だというのでしょう? vol.2」(たほさんとの合同本)に掲載予定のショートエッセイの中から一編を全文公開します。

●イベント当日、当スペースにて、文中に出てくる結婚式の友人代表スピーチを完全収録したペーパーを無料配布します。お気軽にお立ち寄り下さい。

 

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 あの日のことは、まるで昨日のことのように思い出せる。つまり、『T女史』ことオタク友達たほさんから、「のいちゃん、私の結婚式で友人代表スピーチをやってほしいんだけど」と告げられて、「ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!」と、むずがる幼児のように騒ぎまくってしまった日のことである。


 考えてもみてほしい。だって、『私』は絶対に『違う』ではないか。普通、結婚式の友人代表スピーチって、家族ぐるみの付き合いのある近所の幼馴染とか、汗と涙の日々を共にした女子バレー部の友達とか、そういう、納得感、おなじみ感のあるポジションの人間が務めて然るべきだと思う。彼女とは、生まれた病院も保育園も学校も予備校も職場も最寄り駅も、何一ついっしょではない。ある日、ビッグサイトの東ホールに行ったら、友人のスペースで売り子をしていたのが、たほさんだったのだ。
 そんなわけで、当然、たほさんの親族は誰も私のことを知らない。それが、私の抱いた懸念の最たるものだった。そんな、どこの馬の骨だか知れない女が突然しずしずと前に出てきて「たほちゃんと私の思い出」みたいな話を始めたところで、存在しない記憶を語るヤバい奴にしか見えないのではないか。新郎である通称「どつ本」とはかろうじて面識があることが唯一の救いだが、それでもあふれ出るアウェー感は拭い去れない。極め付けに、会場は都内の超がつく高級ホテルである。そんなところに持って行ける顔なんかない、頼むから会場を変更してくれ、「〇〇市民ふれあいセンター」とかに、と泣きついたが、梨のつぶてであった。
 このように、とにかく「におもきまずい」ということを切々と訴え続けたのだが、たほさんは「のいちゃんは私の手持ちの中で国語力のパラメータ値が最も高いポケモンだから」と言って、頑として聞いてくれない。それどころか「好きにやってくれてかまわない」「ふつうの式にしたくない」「ブチ壊してほしい。やったれ!」などと、およそ結婚式の話と思えない要望が次々と飛んでくる始末。もうどうなっても知らないぞ、と半ばヤケクソになった私は、結局ぶつくさ言いながらも、友人代表スピーチを引き受けたのだった。

(ちなみに私はスピーチ以外でも、Twitterのフォロワーが数千人単位のたほさんの友人数名が参列すると聞いて、「αの女たちのテーブルにβの女を混ぜるな」などと騒いでたほさんを困らせた。)

 

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 とはいえ、私がふつうのスピーチを書けるわけがない。ここにおわす私を誰と心得る。たほさんの美しい名字が結婚によってフツーのそのへんにいる名字になるのが嫌すぎて死にそうな気持ちを熱く綴ったブログが、一夜にして驚きの二十万アクセスを叩き出した、筋金入りのフェミニストにあらせられるぞ。「日本の伝統的家族観と家父長制」みたいなテーマで一席ぶつのもアリかとは一瞬考えたが、しかし、私とて大切な友人であるたほさんをお祝いしたい気持ちも確かにある。
 私はネット上に転がっている「友人代表スピーチ」の例文を片っ端から蒐集し、日夜研究に励んだ。今回、たほさん側の親族だけならともかく、当たり前だが、どつ方の親戚も多数出席される。「こんな妙な女が新婦ちゃんの友人代表なの?」と、不信感を抱かれるようなスピーチは絶対に避けねばならない。かといって、ネット上の文例に散見されるような「たほちゃん、お嫁に行ってしまうのは寂しいけど、しっかりどつ本さんを支えてあげてくださいね」みたいなことは絶対に、口が裂けても言いたくはない。原稿はかなり難航した。「(本名)さん、と呼ぶと堅苦しいので、いつものように『色白ブルべ姫』と呼ばせてくださいね」などと書いてはゲラゲラ笑ったりして貴重な時間を無駄にしながら、あれこれ考えて、唸って、転げて、式当日も間近となったある日、ふと「結婚式は女性が人生で一番輝く日」という、チャペルか何かの広告が目に付いた。あ、と思った。それからは、道に迷っていた人が急に行き方を思い出したように、するするとスピーチは出来上がっていった。

 


 式当日、プロのピアニストの奏でる『Wicked』の「For Good」をBGMに読み上げたスピーチは、実際、そこそこうまくいった。高砂のたほさんはもちろん、何故か隣のどつ本まで涙目になっていた。会場内でたほさんのご学友に呼び止められ、熱くスピーチの感想を語られたりもした。まさか結婚式でマシュマロをもらえると思っていなかったのでびっくりした。かつて同人イベントにサークル参加した際に、突然「あなたの新刊をさっき読みました、めちゃめちゃよかったです」と今日頒布した同人誌の感想をその場で伝えてくださる方がいたが、それくらいのスピード感であった。
 いい感じの原稿を準備するのも、つっかえずに読めるよう内容を暗記するのも、全く着慣れない振袖でスピーチするのも、とても大変だったが、おおむね成功を収めたと言ってよいだろう。式そのものも、新郎新婦の配慮がすみずみまで行き届いた、品のあるお式で、雨予報を裏切る穏やかな青空に包まれながら、滞りなく幕を閉じた。

 


 式から幾日かが過ぎて、私とたほさんは新大久保の焼き肉屋でささやかな打ち上げをした。たほさんのおごりだというので、風味豊かな鴨肉の焼き肉を遠慮なくもりもり食べた。煙のにおいを全身に纏いながら、カフェに場所を移し、ピンス(韓国風かき氷)を食べながら、私たちは結婚式の感想を言い合った。私は式の間中考えていたことをふと口にした。
「どうして人は結婚を祝うんだろうね」
 たほさんは『お前は何を言っているんだ』という顔をして、私も同感だったので、その話はなんとなく有耶無耶になったのだが、改めて考えると、やはり、めでたいことだからに違いないのだ。違う人間同士が出会い、互いを人生のパートナーとして選んだこと、その決意と、二人の新たな人生の幕開けを祝して、私たちは集う。早起きして美容院に駆け込んで、慣れない着物なんか着て、私たちはかれらの証人になる。お互いの人生を少しずつ肩代わりするという、最早のっぴきならない関係であることへの多少のプレッシャーを滲ませて、背中を押し、門出を見送る。そしてその旅路が、幸福にあふれたものとなることを共に祈る。
 ちょっと待って欲しい。そういえば、私はとある地元の幼馴染に、結婚祝い、出産祝い、新築祝いを渡し、そしてそろそろ二度目の出産祝いを贈ることになりそうなのだが、私は彼女から一度も祝ってもらっていない。勘違いしてほしくないのは、彼女のような人たちを祝いたい気持ちも、応援したい気持ちも確かにあるということだ。まったく嘘じゃない。でも、このまま独身ルートを突っ切る場合、私が祝われる機会って、あまりにもなさすぎでは?
 実は、私は式のちょうど一週間ほど前に、以前からそこで働くことを夢見ていた企業から内定を獲得していた。前職の在籍中から約一年もの間、知恵熱が出るほど転職先に迷い、連日の面接対策と企業研究を積み重ね、果てない苦しみの末に、自ら道を切り開いたのだ。あれれー、おっかしいぞー。私だって、盛大に祝ってもらってもよくないだろうか?
 いや、なんだったらもう、別にそんな転職に成功したりしなくたって、私がただ毎日ひたすらに生きていること、それ自体を祝ってくれたっていいのではないか? 婚姻の儀式が祈りの儀礼なのだとしたら、いったい誰が、いつ、私の幸福のために祈ってくれるのだろう。

 

 誰からも祝われなかろうが、幸せを祈念されなかろうが、もちろん、当人には関係のない話だ。そもそも、人生がわかりやすく幸せに満ち溢れていなければならないという決まりはないし、それに、結婚していようが港区にマンションを持っていようが、不幸な人なんていくらでもいる。それでも、結婚式のキラキラに頬を照らされながら、私は、祝われない人たちのことを考えていた。『幸福』とは表現されない人たちのことを考えていた。別にその人たちも、とくに祝われたいなどと思っていないだろうし、ましてや憐れまれてもムカつくだけだろう。それでも、である。そのような人たちのための荘厳な儀礼が、心からの祈りの言葉が、あってもいいのではないか。
 それなら私が、『なかなか祝われない人代表』としてスピーチをしよう。私たちの、私たちなりの幸福を数え上げ、ただ毎日すこやかに暮らしていけることを祈ろう。自カプのプチオンリーが開催されますようにとか、推しの若手俳優が匂わせで炎上しませんようにとか、そういうことも、ついでに祈念しよう。
 今日まで生き延びておめでとう。明日は今日より少しだけマシでありますように、と。

 


 そんなようなことをしんみり考えていたところ、先日、友人と催したハロウィンパーティーで、突然、私と風見裕也の結婚式が始まった。寝耳に水だった。以前からプレ花嫁として「裕也との結婚式ではスモークを焚いた中ゴンドラに乗って登場したい」とか「引き出物は私と裕也の写真がプリントされたクソデカい皿がいい」とかいろいろ希望を呟いていたのだが、おかげでスモークとゴンドラ以外は大体実現した。ハッピーで埋め尽くしてレストインピースまで行きそうな出来事であった。やっぱり「ハロウィンの花嫁」って、私のことだったんだな。