on my own

話し相手は自分だよ

パッドマンと「正しさ」について

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下校中の女の子たち。2014年ニューデリーにて



就活の面接でよく聞かれるとされる質問に「あなたの尊敬する人」というのがある。私はついぞ聞かれなかったが、もしこの質問をされたら、「インドで生理用ナプキンを作ったおじさん」と答えようと固く心に決めていた。
おじさんのことを知ったのは、大学生のころに偶然目にしたブログ記事からだったと思う。彼は小さな村の貧乏な一般家庭の出の、妻を愛する普通のインドのおじさんだ。彼の何がすごいのかと言うと、いまだ生理がタブー・禁忌・穢れとされるインドで、衛生的な生理用ナプキンを誰でも製造できる機械を開発するのみならず、その地域の女性がみずからナプキンを製造販売し利益を得るシステムを発案し、女性の自立と人々の啓蒙に貢献した。大統領から栄誉ある賞を賜り、国連やTEDでスピーチを披露するなど、今や世界中から称賛の声鳴りやまぬスーパーヒーローなのだ。
もちろん最初から順風満帆に事が進むはずもなく、妻に逃げられ、村から追ん出され、なかなかに散々な目に遭うのだが、彼はそれでもくじけず「正しさ」へと向かって、結果、多くの女性を救った。ひととおりのストーリーを読んだ私は感動に打ち震えた。当時、就活、というか、どう働くべきか、みたいなことに悩んで行き詰って、毎日毎日鬱屈としていた私の目に、おじさんは聖人君主のように見えた。

その「ナプキンおじさん」が『PAD MAN』という映画になったので、さっそく観に行った。
映画そのものの評価はたくさんの人が文章にしているので、あえて私は細かいことを言うつもりはない。素晴らしい映画だった。あのおじさんの話を、お堅いドキュメンタリーにするのではなく、ボリウッドムービーの明るさ、楽しさ、老若男女みんなに伝わる明快さで表現してくれたことを心から嬉しく思う。
ちょっと話は逸れるが、前に私の恩師がしてくれた話があって、「地形としてはたいへん珍しいがなかなか観光資源として生かし切れていない渓谷がある。ここに人を呼ぶにはどうすればよいか」という問いを、トップ大学とFラン大学のそれぞれのゼミで問いかけたところ、トップ大学の学生は「その渓谷の価値や歴史がよくわかる資料館を建てる」と答え、Fラン大学の学生は「でかいバンジージャンプを作る」と答えた。私はこの話が大好きでよく引き合いに出すのだが、「楽しさ」が人に与えるパワーというか訴求力は決してバカにできない。楽しければそれは勝手に続くし、人はどこからともなく集まってくる。
もちろんこの世のすべてのものがコンテンツとして面白おかしいものである必要はない。それでも、「ナプキンおじさん」は「インド映画」に翻案されて然るべきものであったし、それ以外はありえなかったと断言できる。ありがとうインド。ありがとうおじさん。これを読んだ人でパッドマン未見の人は今すぐ観に行ってください。


私がおじさんをすごいと思うポイントがもうひとつあって、それは他者へと向かう想像力だ。だっておじさんに生理は来ない。月に5日、お腹が痛くて、股の間から血が出続けて、部屋には入れてもらえず、学校にも仕事にも行けず、黙って耐えていることしかできないインドの女性たちについて、今まで誰もきちんと想像して、慮ってこなかったから、21世紀にもなって映画冒頭のような状況がまかり通っていたのだ。
……と、映画を見るまでは思っていたのだが、実際におじさんがしたことを映像で見せられると、実はおじさんにそんな想像力なんて大してなかったんじゃないか? と、思わずにいられなくなってしまった。
どういうことかというと、本当に妻の気持ちを「想像」できるなら、恥ずかしさのあまり号泣された時点でナプキン作りを完全に諦め「君に毎月ナプキンを買えるほど稼ぐ男になるよ」となるべきだし、女子医大の校門に張り付いてナプキンを配ろうとする姿はけっこう怖い。女子学生たちは少なからず恐怖を覚えたはずである。私だったら通報してる。



人に寄り添い、助けになるのに、「想像力」…つまり、「相手の気持ちがわかること、わかろうと努力すること」は、そんなにも大切だろうか?
結局、おじさんがすごかったのは、「自分が正しいと思うことをやり続ける」という点であり(それを「強さ」と呼ぶのではないかと私は常々思っている)そのおじさんの「正しさ」は世界基準のリベラルな「正しさ」に思いっきり合致していた、だから彼はスーパーヒーローになりえた。
「自分が正しいと思うこと」は、必ずしも「みんなが正しいと思うこと」や「Aさんが正しいと思うこと」と一致せず、そのミスマッチはときに相模原の事件のような悲劇を生む。強さ=正しさではないことはこのことからも自明である。渋谷の交差点で100人に聞いたら100通りの正しさがあるわけで、社会とかいうものはこの「正しさ」を、なんとなくそれとなくすり合わせて妥協しあって暮らそうとする人たちの寄り集まったものでしかない。
おじさんの「正しさ」は世界を揺り動かした。そこに「想像力」は必要なく、ただおじさんの「強さ」があった。



母の友人の娘さんに、ゆりちゃんという、二十代半ばの心優しい女の子がいて、彼女はその繊細さからどこに行ってもうまくやることができない。学校もバイトも、がんばりすぎて、うまくやろうとしすぎて、すぐにダウンしてしまう。今は両親の自営業を手伝っているが、彼女と会うたびに、彼女が焦りを覚えていることがひしひしと伝わってくる。
そんなゆりちゃんだが、お姉さんもお母さんもお父さんも、みんなゆりちゃんのように心優しく、ひとの気持ちを思いやれる人たちなので、いつも「ゆりのペースでやればいいのよ」と言っている。私はそれを真綿で首を絞めるような行為だと思いながらも咎めることができない。私としては、刺身にタンポポを乗せるような仕事でもいいので、ハードルを下げに下げてでも何かを始めたらいいと思うのだが、私はゆりちゃんの気持ちのしんどさやつらさがよく分かってしまう、保健室登校経験者であり、ゆりちゃん側の人間なので、「どの口がよくも」と考えてしまって、ゆりちゃんにハッキリともの申すことができない。
今回パッドマンを一緒に見に行ってくれたT女史は、ある意味でオーガニックなティーンエイジを過ごしたので、ゆりちゃんのような人の気持ちがまったくわからないらしい。
「えっ、家出たら!? 派遣の単発バイトとかやればいいじゃん!? 毎日家にいるとかヤバイよ、何でもいいから始めなよ」
と、今まで誰もゆりちゃんに言えなかったことを、きっとT女史なら出会って3分で言ってあげることができるんだろう。それでゆりちゃんはきっと多かれ少なかれ傷つくのだろう。ショックを受けるだろう。でも、それでゆりちゃんが奮い立って、現状を何か変えることができるのなら、T女史は「正しさ」でゆりちゃんを導いたことになる。
「ゆりのペースでいいのよ」と「刺身にタンポポを乗せろ」では、実は後者のほうがゆりちゃんを救うことになるのなら、「他者へと向かう想像力」などというものは、いったいどこまでのリアルな効力を持つのだろうか。



クソのような不正入試や、上沼恵美子に対する蔑視発言など、うんざりするようなニュースが虫のようにわき続ける現代日本で、いま必要とされているのは、常に「正しさ」をアップデートし続ける勤勉さと、その「正しさ」を実践するエネルギーを持つ人、つまり「正論で殴る」人たちなのかもしれない。
そんなことを考えながら、その夜は終電で帰った。翌日も仕事なのに、終電まで遊ぶのは、正しくないことだとはわかっていたが、渋谷の交差点を歩く100人に99人は正しさをだいたい実践できない人であり、私もそのうちのしがない1人なのだ。

南の島で泳ぐためにピル外来に行ってきた

▼はじめに
この文章は、私個人の「月経不順やPMSの改善のために低用量ピルを服用する」という選択と、それにまつわる体験を記録として残したものです。
私と違う選択をした人を、否定したり、考えを改めさせたりする意図で書かれたものではありません。
この件についてコメントや質問をいただいても、私から何かお答えすることは基本的にありません。


「南の島に行かないか」と、大学時代の友人から連絡があった。これほどまでに茫洋として甘美な誘いを、私はほかに知らない。私は二つ返事でその誘いに乗った。


(インドネシアのバティック。いつかインドネシアにも行きたい)


まずは第一に、水着を買わなくてはならない。これは一大事だ。私は地元のスイミングプールで運動のために泳ぐ用の、機能性と耐久性以外にとりえのない水着しか持っていない。そんな水着しか持っていないのに「私は南の島に行く」だなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えない。今すぐオシャレで可愛くて防御力の低そうな水着を用意しなければ。それから、強力な日焼け止め。ドラッグストアで売っている中で一番防御力の高そうなものを手に入れなければならない。さらに、ハリウッドスターみたいなサングラス。スマホの防水カバーとセルフィースティックと、プラスチックケース入りの防水「写ルンです」も、持っておくに越したことはないだろう。南の島にはビックカメラもないし。


ここまでリストを作って私は、はたと我に返り、急いでカレンダーを確認した。とある友人の話を思い出していた。大学を出るまで一度も海外に行ったことがなかった彼女は、卒業旅行として彼氏とのハワイ旅行を果たしたが、生理と丸被りしたおかげでマジで何もできなかった、と。22歳で初海外でハワイ、というだけで相当ダサいのに、そんなお粗末な事態になってしまって、当時の私は完全に他人事として大いに笑わせてもらったのだが、この度は私とて他人事ではない。こともあろうか、私の体はフレンチシェフの如く気まぐれなので、被るのか、回避できるのかすら分からない。さて困った、と首を捻ったその瞬間。まるで雷のように、天啓が授けられた。
そうだ、ピル外来行こう。(BGM: My Favorite Things)


低用量ピルのことはずっと前から知っていた。何度か効用や飲み方を調べてもいた。もし、私をずっと悩ませてきたPMSと月経不順が、これを飲むだけである程度改善するならどんなに良いか。そう思っても、なかなか行動に出ることができなかった。周りに飲んでいる友人はいたが、片手で足りる程度だし、女友達の間でもなかなかそんな話にはならない。まず、婦人科に抵抗がある。病院が嫌だなんて、子どもみたいな理屈ではあるが、婦人科に抵抗のないご婦人などそうそういないだろう。
しかし、今の私は違う。南の島に行くのだ。今からピルを服用して気まぐれな周期を正常に戻せば、ハワイ・ショックの轍を踏まずに済むはずだ。南の島に行かない自分はもう死んでしまった。私は新しくなって、新しい選択をすることができる。私は迷うことなくGoogleのアプリを叩いていた。



「ピル外来」というワードにプラス地名で検索すると、検索上位にそれらしき医療機関が表示されたので、何も考えずにリンクをタップする。怪しげなところは何もない、ふつうのクリニックだと思ったので、「予約」ボタンを押してオンライン予約に取り掛かる。希望する診察内容や空きのある日時を選ぶくだりは、完全にヘアサロンとかレストランとかの予約と同じで、そのうちオズモールやホットペッパービューティーみたいなところで婦人科の予約ができるようになってもいいかもしれない。名前や連絡先まで入力したら予約完了メールが来て、あとは当日行くだけだ。ピルを飲むと決めた瞬間から、ここまで五分。


さて時はさっさと流れて予約当日、駅チカで便利なそのクリニックへ向かうと、受付のお姉さんが「本日はこちらでよろしいですか」と、選択肢の書かれた紙を見せてくれた。人目がある中で診察の内容を口にしなくてもいいようにという配慮である。やさしい世界だ。私が頷いたのを見て、お姉さんが問診票をくれる。表面が患者の記入するパートで、裏面が予想外に密度の高い「ピルとはなんぞや」のパートだった。これをじっくり読み込んで、すべてに「理解した」というチェックを入れて提出すると、婦人科の診察室に招き入れられる。本日のメインイベントである。理知的な表情と話し方の女性医師が、鮮やかな手際と滑らかな口ぶりでスパパと説明をしてくれるが、私にはピルの基礎知識があった上に、さきほど問診票の裏を読んだばかりなので、どれもクリアに理解することができた。保険適用のピルと保険適用外のピルの違いや、私がピルを飲む目的を考慮して、今回は保険適用のものを処方してもらうことになった。無理をせず健康的な生活を心がけること、定期的に診察・検診を受けに来ることを約束し、最後に、急に具合が悪くなったときにどうしたらいいかの説明を受け、安心して診察室を後にすることができた。隣接する薬局で、ミントの香りの爽やかな男性薬剤師から爽やかな説明とともにピルを受け取りミッションコンプリート。クリニックに足を踏み入れてから薬局を出るまで、ちょうど一時間程度。飲み始めは次の生理が始まったときなので、まだ服用してはいない。熟すには早い果実を寝かせるように、大切に引き出しにしまってある。



私よりずっと早くからピルを飲み始めた友人が、つい先日言っていた。「ピルを飲み始めたら、自分の体が勝手に担わされた神秘性みたいなものを、やっと捨てられた気がした」。私は彼女とまったく同じ気持ちではないにしても、その感覚はよく理解できる(まだ飲み始めてもいないんだけど)。誰からともなく課せられた『ままならなさ』 ──さらにその『ままならなさ』はいつしか私たちの思考の枠組に入り込んで内在化してしまうのだが── その枷から、もし、ある程度自由になれるとして、いったい誰が迷惑を被るだろう。私が、私の体のために行動したことを、いったい誰が責められるだろう。

「寒いと思ったら上着を着る」とか、「お腹すいたらクッキーをつまむ」とか、そういうレベルの話と同じで、「自分の体に起きていることに対し、何かアクションをとる」という行為は、誰にとっても自然なものだ。だからきっと、私が『ままならない』自分の体をコントロールし、南の島で泳ぐために、ピル外来へ赴いたことは、とても自然なことだったはずだ。寒いも、お腹すいたも、痛いもしんどいもきついも、何も我慢しなくていい。耐え忍んでも、何のためにもならない。たとえピルを飲んだ結果、体に合わなくて結局やめることになったとしても、私はこの選択を、それにまつわる私の行動を、一旦は手放しで祝福したいと思う。そして、南の島の澄んだ浅瀬で、指先がぶよぶよになるまで泳ぎ続けたいと思う。


後日改めて、南の島で遊び惚ける私の写真9割、ピル服用の後日談1割くらいのブログを書くつもりである。


▼しつこいようですが、このブログエントリやピルについてのコメント・質問には、基本的に何もお答えしません。

6月28日の日記

この間、パスケースを落とした。パスケースの中には定期の他に職場のセキュリティカードが入っていて、私はそのために筆舌に尽くしがたい思いを味わった。財布も携帯も鍵も一度も落としたことなんかなかったのに、あの一瞬のせいで私の人生は、職場のセキュリティカードを落とした迂闊で間抜けな人生へと塗り変わってしまった。
その前には、よく利用していた家具のネット通販サイトから私のクレジットカードの番号が流出し、その結果、深夜0時にお風呂から上がってスマホを見たら4万5千円の利用通知メールが届いているという怪事件にまで発展した。実家に財布を置き忘れて近所の知り合い宅に金をたかりに行ったのは先々週の夜更けのことだ。極め付けに、先日階段をたったの三段転げ落ちてしたたかに打ち付けた肘が未だに痛い。



こんなにも不運が続くのも人生史上稀に見ることだったので、先週末、明治神宮にお祓いに行った。なぜ明治神宮かと言うと、もはや観光地化されていてお出かけするだけで楽しそうだったし、何より大抵の神社が「一万円から」と設定する初穂料が五千円スタートでたいへん良心的だったからだ。たったの五千円でどれだけ私の厄が祓われたのか数値化してくれるガイガーカウンターが入り口に設置してあればよかったのだが、そんなものは未来永劫開発されそうにないので、まあ気持ちの問題だよな、と思いながらお札を持って帰った。お札はベッドフレームに立て掛けるようにして置くことにした。毎朝毎晩、二礼二拍手一礼をするほど熱心ではないものの、目が合えば一礼くらいはするようにしている。



どこで見かけたのか忘れてしまったが、日本人の宗教観について、「日本人の言う『無宗教』とは、特定の宗教的組織に属していないこと」という記述を読んで、なるほどそれだと膝を打った。
日本人は宗教的でない、という言説を見聞きするたびに、それは絶対に違う、誰もお守りを踏めないし鳥居を蹴っ飛ばせないはず……と悶々としていたから、雲が晴れたような心地だった。社訓が独特で社長のパワーが強い企業などを、私たちは「宗教っぽい」などと形容したりする。宗教=【共通のルールに従う人の集合】そのもののことだと理解しているからこその表現に違いない。



教祖が国際指名手配されたとあるカルト教団の信者女性のところに1年通って聖書の読み方を習った話はまた別の機会に回すとして、私の見たところ、小さな集団(この"小ささ"は敷地面積や規模の大小ではない)を敬遠する人々にほどなく近いところに、そのような組織の中にようやく心の安寧を見出す人々というのも確かに存在する。また、「シューキョーなんて気持ち悪い、まっぴら」などと豪語する人がまさしく『宗教的』な集団や活動に入れ込んでいるケースも珍しくなさそうだ。そういう人たちを、いかに集団の狂気から遠ざけるかが、現代日本社会の課題である。みたいなことを村上春樹が言っていた。(私は村上春樹のことは「やれやれ、僕は射精した」くらいしか知らないけど、彼のオウム真理教についてのルポルタージュやエッセイはすごく好きで何度も読み返している。)
お守りは踏めないし鳥居は蹴っとばせない人たちが、1日5回礼拝するムスリムを見て「厳しい宗教だ」という感想を抱く。「職場のセキュリティカードを落としてしまったり、不運が続くので、明治神宮で五千円支払ってお祓いをしてもらった」という冒頭の文章を読んで、まったく違和感を抱かなかったのだとしたら、その感性はたいへん"宗教的"だと言わざるを得ない……かもしれない。

6月24日の日記

唐突に静かな気持ちになる、たとえば今日のように昼寝しすぎた日の夜更けなどに。静かな気持ちになったついでにボロボロのふやけたノートを引っ張り出してきて、小さな文字で細々と綴られた当時の心境を読み耽ったりする。しんしんと。そして若いなぁとか思うのだけど、そのノートを使い切ってから2年しか経っていないことに、つまり私が今も『若い』という事実にゾッとする。この『ゾッ』はうまく言葉にならない。これからも私はいろんなことを間違え、いろんなことに気がつき、ときに気がつき損ね、試行錯誤を繰り返しては学んでいかなければならないというそのことにゾッとする。


本人には絶対に口が裂けても言えないが、老年期と言われる年頃の人を見ると「あとは死んでいくだけだから楽でいいよな」と思ってしまう。その歳になってしまえばもう誰も彼を変えられないし、もちろん彼も変わる必要がない。そのやり方でその歳まで生命を維持できたのだから、彼のやり方は結果論的に正解だったと言わざるを得ない(そういう意味で、私は儒教で説かれる『年長者への敬意』に共感する)。長距離走で前を走る人に対する妬みにも似ている。もちろん彼らは遠く険しい道のりを命がけで走り抜けてきたわけで、それは理解しつつも、羨ましく思う気持ちをどうしても止められない。


のいさんは本当に多趣味だね、と先輩に言われた。先輩は旦那さんとしばしばスキーや旅行を楽しみながらも、主な楽しみはお酒を飲むことなんだと言う。私は私の趣味を趣味とは思っていない。世間一般で言われる趣味とは『余・暇』を潰すための手段であり人生の時間を深めるためのエッセンスだ。私にとっての趣味は痛み止めのモルヒネや登山者の握るロープに例えられる。日々はあまりにも面倒なことやしんどいこと、つらいこと、理解しかねることに満ちていて、気を確かに持たないとすぐにそれらに毎日を埋め尽くされてしまう。そのため、頭の中に常に楽しいことや好きだと思えることをいくつもストックしておいて、状況に応じて選び、自分を楽しませ、和ませて、シンドいやメンドいに押し潰されないように引っ張り上げてやるのだ。そうすれば生活に潜んだ面白さや周りの人の温かい気持ちにも気づけるくらいに感受性が回復する。そうやってメンタルを即時回復しながらしか私は生きていくことができない。


私ものいちゃんみたいに夢中になれる趣味が欲しいとか、どうしてそこまで好きになれるのか知りたいとか、そういうこともよく聞かれるが、私には逆に夢中になれる趣味もなくどうやって生きていけるのか本気で意味がわからない。麻酔なしで開腹手術をするようなものではないのだろうか。わからない……と、ついこの間までは思っていたのだが、最近になって何となく分かり始めてきた。私が舞台やサブカルなどのコンテンツに注いでいるエネルギーを、多くの人は人間関係に注ぐのではないだろうか。地元の友達、学校の友達、職場の仲間、恋人、家族、子どもなどなど。彼らが自らの外側に張り巡らすセーフティネットを、私は自らの内部に張り巡らせ、自分のメンタルがどこまでも落ちていかないようにしている。
誰もひとり取り残されて死にたくはない。死なないようにする方法が異なるだけで、私はそれを内側に取り込んでしまうことを選んだ、それだけの話だ。そのおかげで、私は眠る前の静かなひと時に「今日はまあまあ楽しかったな、よくやれたな」と思える。今夜は冒頭で書いた通り昼間寝すぎてしまったので、少しだけその静かな時間を引き延ばして、自分の内側やその外側に、目を凝らしてみたかった。

私はひとりの夜を寂しいと思ったことはない。

5月17日の日記

母親という存在について、私はここ数年、意図的に思考停止をしてきたように思う。生活の中でさまざまな選択をしていくにあたり、私は母親の存在を考慮に入れることをしなくなった。疎遠になったわけでも、ましてや絶縁しているわけでもなく、昨年新しく柴犬を迎えてからなんて毎日のように写真が母からLINEで送られてくるし、それに対して私も「世界一かわいいちゃんだわ~ん」とか「おしゃんぽ行ったかわん?」とか反応を欠かさないので、むしろ学生時代と比べてもコミュニケーション量は増加している。それなのに、私は「ママとは友達です」とは口が裂けても言えない。きっと一生言えない。


多分、私にとっての母親は大きすぎて、複雑すぎて、永遠に解けそうにない長々とした計算式のようで、私は幼いころからいつもその難解さを持て余していた。母の事をどう思えばいいか分からなかった。特に私が家を出てから、母は何を思ったか突如として親戚の優しいおばさんのような立ち位置にシフトしてきたので、私はその問いをずっと留保したまま今日まできてしまった。


正直なところ、小学生みたいな言い方になってしまうが、私は母はすごい人だと思うし、いい人だとも思う。国家資格を持ってフルタイムでバリバリ仕事をしていて、もう何年も管理職をしている。お調子者で、馬鹿馬鹿しいことが好きで、隙あらばひとりで歌ったり踊ったりするところは私にとてもよく似ている。常に最悪の事態を想定する私の性分はおそらく母から受け継がれたもので、たとえば友人が5分連絡なしに約束に遅れると「〇〇線 事故」などでツイート検索したりして万一友人が事故で亡くなっていた場合にいちいち備えてしまう(というのはさすがにエクストリームな例ですが)。そういうところで私は本当にI'm my mother's daughterだなと感じる。


一方で母は、私のやることなす事すべて一旦否定しないと気が済まないが、それを彼女は『母親としての重要な役割のひとつ』だといつも豪語している。私は何か新しいことを始めるとき、全く根拠もないのにぼんやりと「できるんじゃん?」と思ってしまうタイプの能天気な人間だが、私が「〇〇をしようと思う」というような発言をした時の母の反応は決まって「あんたみたいな人が〇〇なんて絶対にできるわけない」だ。一番古い記憶が「あんたみたいな人が一年生の子をお世話なんかできるはずない(小学校の記憶)」で、以下「一年生~お世話」部分を塾通い、高校受験、厳しい部活、大学受験、大学通学、海外旅行、独り暮らし、大学院進学、留学、就職、仕事、資格取得……に挿げ替えたものが断続的に続けられる。「いいじゃない、やってみなさいよ」と言われたことは神に誓って一度もない。


しかし能天気な私はそう言われてもやらずにいられないので、「無理」「後悔する」「やめておけ」「死ぬぞ」「あんたなんか私の娘じゃない」などの刺々しい言葉を背中に受けながら結局、実行に移してしまう。そうしてそれが軌道に乗ったり何とか成功したりすると、ここで母は突然神様のように協力的になる。塾から帰った私のために夜食を用意してくれた。○○大なんか何浪しても無理、と言いながら受験料を払ってくれた。バイトが遅くなった日は駅まで車で迎えに来てくれた。日本からNYに向けてα米を送ってくれた。一人暮らしで使う家電を品定めして値切ってくれた。私は突然のハイパー菩薩タイムに多少ビビりながらもそれを遠慮することはなかった。いつもそうだった。


しかし、この、ハイパー菩薩タイムに突入するまでの悪魔のような母の姿とその口から吐かれる呪詛があまりにも恐ろしいので、随分長いあいだ、私の中の"母親"のイメージはメドゥーサの如き禍々しい様相を呈していた。それが嫌で苦しくて半ば家出同然で実家を飛び出してから、冒頭で言った通り私はなるべく、なるべく母親の事を考えないようにしてきた。どうしたって被害者ぶりたくなってしまうし、自尊心をダイレクトに傷つけるべく発されたとしか思えない罵詈雑言を数えきれないほど受け続けて疲れ果てていて、いくら頑張っても許せそうになかった。そもそも、『誰かに何か酷いことをされた自分』を認識すること自体がまずしんどいことに違いなかった。周囲の人は菩薩タイム中の母の姿しか知らないので、私が母に何を言われたと訴えようと信じてもらえない。母は母で、私が視界から飛び出していったことによって心の中の何かが吹っ切れたのか、よく分からないが突然丸くなった。私を否定するようなことも言わなくなって、まるで牙を抜かれたようになってしまっていたので、余計、あの恐ろしい日々は私の脳が作り上げた妄想だったのではないかと思ったくらいだった。


そして今日、ふらふらと歩いていたら、本当に何の前触れもなく、雷が落ちたみたいに、私はハッと、「あれ、もしかしてうちの母って、良い人なのでは?」と思った。意味が分からないと思うが私にも全然分からない。たぶん神の啓示をうけたマザー・テレサやジャンヌ・ダルクも直後はこんな気持ちだったろうと思う。
『ハイパー菩薩タイム』などと茶化して皮肉っていた、あのときの母は本当に協力的だった。母が助けてくれなかったら最後までやり遂げることのできなかったことがたくさんある。刺々しく文句を言いながら、呪詛を吐きながら、いつも母は私の味方だった。どうして今まで気づかなかったんだろう。いや、気づくわけがない。棘が鋭すぎて、その棘に包まれた母の献身を、私はいままで一度だって真正面から認識できていなかったのだ。


そして私は思った。「いや、うちの母さん、子育て下手すぎでは? ってか不器用すぎでは!??」
母は私の決意を一度ひん曲げてやることによって私を強くしてきたと思っているのかもしれないが、私はそのたびにきっかりしっかり傷ついて挫かれていやんなってしまってきたので、あれさえなければもう少し素直で明るい人間になっていたと思うし、母親をメドゥーサに喩えるような娘になっていなかったはずだ。実家を出て丸3年、母の日から数日遅れて、(なんか知らんが突然)私はやっと母が私にしてくれたことを真っ直ぐな気持ちで受け止め、感謝できるようになった。しかし分からない。どうして母はあんなに非効率とも言える子育てを実践していたのか。彼女をそんなダークな子育てへ駆り立ててしまうほどに彼女の娘は出来が悪かったのか。母自身は私に対して繰り返し言ってきたことをどう思っているのか。聞けるわけない。
というわけで謎は残りつつも、頭の中でまとめられたこと、理解できたことだけ、せめてもの思いで書き残しておく次第である。

5月11日の日記

整体に行ってきた。整体というところは恐ろしいところで、一度行き始めるともう整体に行かない人生には戻れなくなってしまう。いわば中毒だ。だから人類には、一生整体に行かないか、それとも一生整体に行き続けるかの二択しか用意されていない。私はもうここ一年と半年ずっと整体の虜なので、二週間以上間を開けると整体に行きたくて行きたくて行きたくてたまらなくなってしまう。そういう話をしつつ整体を勧めたところ「考えさせてください」と神妙な顔で答えた友人が、このあいだ二回めの施術を受けに行ったそうだ。彼女はもう戻れない。


ゴールデンウィークは二日間だけ実家に帰った。高校の友人が犬を見に来るということで家族みんなが張り切っていた。人が来ると必要以上に張り切るのはこの家に生まれた者のサガらしい。「○○(友人)さんは、大福なんか食べるかしら」と聞いてきた祖母に「○○は椅子とテーブル以外なら何でも食べるよ」と言ったら「そうよね」と返された。耳が遠くなるとはこういうことだ。
掃除機をかけて床を拭いて昼食をあとは火にかけるだけにしたところで約束の時間になったがさっぱり音沙汰がない。このクソ野郎と思いながら大逆転裁判を進めていたら「おはよう(今起きた)」というLINEが入り、今度は声に出して「このクソ野郎!!」と言って大逆転裁判に戻った。そこからまた連絡が途切れる。私は寝坊されるのも遅刻されるのも何とも思わないが、予定の見通しが立たないのが何より嫌いだ。彼女は寝坊した時点で私にそもそも行くのか行かないのか、行くなら何時に着くのかを大まかにでも連絡するべきだった。
むしゃくしゃしながら既読もつかないLINEを見ていたらキッチンの母に呼ばれて味見を頼まれた。今日のメニューはビーフストロガノフのはずだったが妙に薄い、というか死ぬほどまずい。水をきちんとレシピ通り入れたのかと聞いたら、参考にした料理番組では水の分量は特に言っていなかったので300cc入れた、と言う。そんな料理番組があってたまるかと思ったので録画してあったものを確認したら、「それではここで水を80cc入れます」と確かに言っている。ほら!!! ほらね!!! 水多いってレベルじゃねーぞ!!! と騒ぎ立てる私に母は「じゃあしばらく煮詰めればいいか♪」と呑気に火を強くした。ありえない。本当にありえない。
結局、友人はちょうど二時間遅れて来た。戦時下のすいとんみたいになってしまったビーフストロガノフも、彼女が来た頃には丁度よく煮詰まった。「遅れてきてくれて丁度よかったわ~」とかいう母と、喜びのあまり耳がペットリと頭にくっついてしまった柴犬を見ていたらなんだか何もかもどうでもよくなってしまった。


友人と話した中で最も記憶に残っているのは、「上司から曖昧な指示をされると困惑してしまう」という話で、友人の方は本当に思い詰めてしまっていて自分はポンコツすぎるので死んだ方がマシかもしれないとまで煮詰まってしまっているらしかった。曖昧というのはたとえば「社会人としての自覚を持て」とか「場の調和を大切にしろ」とか「周りを見て学んで動け」とかそういうやつだ(私も友人も大学院まで行っているので『社会』に出たのはつい最近のこと)。「始業10分前には身支度を整えてポットにお湯を沸かしておけ」とか「機嫌の悪い時の○○さんに質問するのはやめろ」とか、具体的な指示をしてくれたらちゃんと従うし二度と忘れないのに、それを「自覚」だの「調和」だのといった抽象ぼんやりワードで濁されるから何をどうしていいのかさっぱり分からなくなってしまう。「まとも」な「社会人」なら、そんな抽象ぼんやりワードを聞いただけで自分に求められているものを察することができるんだろうか。私たちには一生かかっても無理なので、今後は何をするにしても質問して、「そんなことをわざわざ聞くな」と言われたら「判断ミスをすると周りに迷惑がかかるので聞きました!! お手を煩わせて申し訳ございませんが教えてください!!」と開き直って90°のお辞儀をすることにしようと決めた。働くというのは本当に大変なことだ。

5月3日の日記

きのう、ブログをアップした直後に銭湯に行った。ひとまとまりの文章を書き終えてWWW(クソワロタではなくワールドワイドウェブ)にアップロードした後というのはいつも不思議な爽快感がある。うまく言葉にできないが、あえて言うなら「やってやったぜ!」という気持ちになる。別に何をやってやったというわけでもないんだけど、この爽快感が味わいたいがために同人誌を書いたり長いブログを書いたりしているところも確かにある。やってやったぜ! と思いながら部屋着のままで、22時を回った真っ暗な住宅街を風を切ってひとり歩いて銭湯に行った。


銭湯というのは本当に奇妙な場所で、ほとんど初めて会う人たちが全裸でうろうろしているところに自分も進んで全裸になって入っていって体を洗って熱い湯に入ったりする。よく考えてみると場のルールというものが他と比べてもひときわ異様だと思う。これは満員電車のような場に関しても言えることで、よほど親しい友達だってペッタリくっついたりなどしないのに、見ず知らずのおじさんと背中合わせにピットリくっついたまま微動だにせず声も出さずにひたすら突っ立っていることを日常だと受け入れている自分がいる。そうやって我に返ると急におじさんの背中の熱さをはっきりと意識し始めたりしてしまうので、慌てておじさんの背中を岩盤浴の地面か何かだと自分に言い聞かせたりして……腰の曲がったおばあさんがお湯から上がるのを見て「垂乳根の母」とか真顔でつぶやいている状況もよくよく考えればおかしいのだが、突っ込んでくれる人もいないので、とりあえず洗い場へ向かう。


シャンプーをしていたら、隣の二人組の会話が耳に入ってきた。20代前半OLといったところ。はじめはとりとめもない話をしていたのだが、あるとき奥にいたほうの女性が、「あれ、この肩のところの傷どうしたの?」と言い出した。首をひねって私もそちらを見るわけにもいかなかったのでそのまま聞いていたら、どうやら手前の女性は中学生のころに命がけの大手術を経験したらしい。「もう今は全然平気なんだけどね」と何事もなさそうに言う女性。それを聞いた奥側の女性が、「つきあい長いと思ってたけど、まだ知らないことがあったんだね」とまじまじと言うので、いや驚くのそこなのかよ、と思わず心の中で突っ込んでしまった。「オフショルダーとかちょっと着られないんだよね~別にいんだけどさ~」という朗らかな発言を受けて、「大丈夫だよ~そのうち傷も消えるでしょ~!」と朗らかに元気づける友人に、「いや傷はもう一生残るって」と即座にクールに切り返す女性には聞いているこちらがヒエ~という気持ちになってしまったが、友人はあくまで「じゃ肩ひもとかでごまかそう」などと真剣に提案するので、この2人はこれからもずっと友達なんだろうな、と熱いお湯をかぶりながら勝手に思った。


ぬるめのお湯に浸かってひたすらぼーっとするのが好きなので、壁にもたれて汗をダラダラ垂らしながらぼーっとしていると、老婆が出ては入り、幼女が出ては入り、刺青だらけの怖そうなお姉さんが出ては入り、やってきては消えていく人たちを湯けむりの向こうに見送り続けることになる。窓ガラスに何か張り紙がしてあるが、裸眼ではよく見えないし、そもそも湯気がすごくて万が一書いてある文字がハングルでもたぶん気づけない。壁1枚隔てたむこうの男湯からは時折、賑々しい笑い声が聞こえてくるが、女湯はいたって静かだ。何が書いてあるかわからない張り紙と、誰だかわからない人たちに囲まれて、素っ裸で汗まみれでぼーっとしていると、うまい具合に何もかもがばかばかしく思えてくるが、それもこの銭湯という奇妙な場を出てしまうまでの一時の錯覚であることも、ちゃんとわかっている。閉店時刻から着替えとドライヤーとコーヒー牛乳を飲む時間を逆算して、あと15分はここにいられるな、ばかばかしいと思っていられるな、と安心する。ただ一つ不安なのは、自販機にフルーツ牛乳しか残っていなかったらどうしよう、ということだ。


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