5月3日の日記
きのう、ブログをアップした直後に銭湯に行った。ひとまとまりの文章を書き終えてWWW(クソワロタではなくワールドワイドウェブ)にアップロードした後というのはいつも不思議な爽快感がある。うまく言葉にできないが、あえて言うなら「やってやったぜ!」という気持ちになる。別に何をやってやったというわけでもないんだけど、この爽快感が味わいたいがために同人誌を書いたり長いブログを書いたりしているところも確かにある。やってやったぜ! と思いながら部屋着のままで、22時を回った真っ暗な住宅街を風を切ってひとり歩いて銭湯に行った。
銭湯というのは本当に奇妙な場所で、ほとんど初めて会う人たちが全裸でうろうろしているところに自分も進んで全裸になって入っていって体を洗って熱い湯に入ったりする。よく考えてみると場のルールというものが他と比べてもひときわ異様だと思う。これは満員電車のような場に関しても言えることで、よほど親しい友達だってペッタリくっついたりなどしないのに、見ず知らずのおじさんと背中合わせにピットリくっついたまま微動だにせず声も出さずにひたすら突っ立っていることを日常だと受け入れている自分がいる。そうやって我に返ると急におじさんの背中の熱さをはっきりと意識し始めたりしてしまうので、慌てておじさんの背中を岩盤浴の地面か何かだと自分に言い聞かせたりして……腰の曲がったおばあさんがお湯から上がるのを見て「垂乳根の母」とか真顔でつぶやいている状況もよくよく考えればおかしいのだが、突っ込んでくれる人もいないので、とりあえず洗い場へ向かう。
シャンプーをしていたら、隣の二人組の会話が耳に入ってきた。20代前半OLといったところ。はじめはとりとめもない話をしていたのだが、あるとき奥にいたほうの女性が、「あれ、この肩のところの傷どうしたの?」と言い出した。首をひねって私もそちらを見るわけにもいかなかったのでそのまま聞いていたら、どうやら手前の女性は中学生のころに命がけの大手術を経験したらしい。「もう今は全然平気なんだけどね」と何事もなさそうに言う女性。それを聞いた奥側の女性が、「つきあい長いと思ってたけど、まだ知らないことがあったんだね」とまじまじと言うので、いや驚くのそこなのかよ、と思わず心の中で突っ込んでしまった。「オフショルダーとかちょっと着られないんだよね~別にいんだけどさ~」という朗らかな発言を受けて、「大丈夫だよ~そのうち傷も消えるでしょ~!」と朗らかに元気づける友人に、「いや傷はもう一生残るって」と即座にクールに切り返す女性には聞いているこちらがヒエ~という気持ちになってしまったが、友人はあくまで「じゃ肩ひもとかでごまかそう」などと真剣に提案するので、この2人はこれからもずっと友達なんだろうな、と熱いお湯をかぶりながら勝手に思った。
ぬるめのお湯に浸かってひたすらぼーっとするのが好きなので、壁にもたれて汗をダラダラ垂らしながらぼーっとしていると、老婆が出ては入り、幼女が出ては入り、刺青だらけの怖そうなお姉さんが出ては入り、やってきては消えていく人たちを湯けむりの向こうに見送り続けることになる。窓ガラスに何か張り紙がしてあるが、裸眼ではよく見えないし、そもそも湯気がすごくて万が一書いてある文字がハングルでもたぶん気づけない。壁1枚隔てたむこうの男湯からは時折、賑々しい笑い声が聞こえてくるが、女湯はいたって静かだ。何が書いてあるかわからない張り紙と、誰だかわからない人たちに囲まれて、素っ裸で汗まみれでぼーっとしていると、うまい具合に何もかもがばかばかしく思えてくるが、それもこの銭湯という奇妙な場を出てしまうまでの一時の錯覚であることも、ちゃんとわかっている。閉店時刻から着替えとドライヤーとコーヒー牛乳を飲む時間を逆算して、あと15分はここにいられるな、ばかばかしいと思っていられるな、と安心する。ただ一つ不安なのは、自販機にフルーツ牛乳しか残っていなかったらどうしよう、ということだ。
(50分/1675字)