観劇オタクが少女☆歌劇レヴュースタァライトを観た感想
この私が話しかけてるってのに上司がキーボードカタカタしたまま顔を上げず応対するのにムカついたので仕事サボって海の見えるホテルのラウンジに来てPC広げていかにも仕事してますみたいな顔しながらこの文章を書いています。のいです。ミュージカル歌舞伎ストプレ2.5わりと何でも観る人です。スタァライトされてきたので感想を書こうと思います。蘊蓄のある考察などはなく思ったことをダラダラ話します。アニメの話と劇場版の話がごっちゃです。
そもそもスタァライトは昨年夏にフォロワーさんにお薦め頂いてアニメ1話だけ視聴し、そのときは「すげー出席番号言うアニメだな」という印象だったのですが、観劇オタクとしては舞台が見たいところだな~~延期か~~と思いながらそのままになっていたので、良い機会だと思って劇場版を見に行き、その流れでアニメ全話視聴→ロンド・ロンド・ロンド視聴で今に至ります。舞台版はYoutubeに上がっている公式のものしか見てないんだけど歌、うまいな……。7月に公演あるのか~と思って調べたらシステムが普段観ている舞台と違いすぎて「文化が違う!」とエウメネス顔になりチケットは手に入らぬままです。F5さえ押せれば赤ちゃんでも最前列が取れる四季は優しかったんだな、というのを改めて噛み締めた。
ちなみに中の人で存じ上げていたのは三森すずこさんと富田麻帆さんくらい。富田さんは『プロパガンダ・コクピット』ですごくお歌が上手で可愛かったのでよく覚えてる。その時のツイートこれ↓ パガンダ ダッパダッパ…
♪永遠の~~~ #プロパガンダ・コクピット !!! 楽しかった気持ちをとにかく残しておきたくて雑ならくがき。ララランドのラストはアリに決まってるでしょうが!!! ジェイ・マヒシュマティ!!!! 月曜日まで光が丘IMAホールにて。 pic.twitter.com/RUm2tN807N
— noi (@noi_chu) 2019年4月20日
まずスタァライト独特のあの概念のシャワーとでも言えばいいのか、良く分からない精神世界についてですが、アニメ1話視聴したときから「このサステナブルな訳のわからなさ初めてじゃないぞ」とは感じており、多分それ『さらざんまい』じゃないかな? と思ってたら監督同士が師弟関係? にある? とのことであながち筋違いでもなさそうです。
(「さらざんまい」もフォロワーさんにお薦めされて視聴済→感想はこちら)
525600.hatenablog.jp
というわけでけっこう序盤に「あ、これは訳がわかる瞬間がなかなか来ないか最後まで来ないまま進むやつだな」という心の準備ができたのでフラストレーションを溜めることなく楽しめたと思います。劇場版を見終わってTwitter開いてまず呟いたのは「脳に直接叩き込まれるうま味成分みたいな映画見た」。
「少女歌劇レヴュースタァライト」というタイトルだけ聞いて思ったのは「『かげきしょうじょ!』みたいなやつかな?(←全巻履修済)」ということだったのですが全然違いましたね。でも実際、制作側も「舞台俳優になるためのリアルな苦しみや舞台そのもののキラめきは『かげきしょうじょ!』にやってもらえばいいからウチは『舞台少女』のキラめきを脳に叩き込むぞ!!」って思って作ってたんじゃないでしょうか。そんなことないか。
この作品の主題はあくまで「舞台少女」であって「舞台」じゃないんですよね。文字通り「舞台」は「舞台」でしかない。だから舞台少女たちのそれぞれ抱える夢や苦悩って「大好きな友達といっしょに夢を叶えたい」とか「どうやっても二番手にしかなれない」とか「誰かを追いかけてばかりで自分の目標がない」とか割と普遍的というか、テーマが舞台じゃなくてもいいようなものばかりだなって思う。だからこそ多くの人に響くし、あの精神世界を背景にした魂の大立ち回りに映えるんだと思うので、大成功ではあるはずなんですが。私、「舞台少女の死」とか「舞台の果て」とか言われたとき(←うろ覚え)てっきり「えっ、女性劇団員がしばらく週間予定キャストのページで名前見ないなと思ってたら寿退団して子ども産んでて二度と舞台に戻ってこないままSNSに子どもの写真upするみたいなコト…!?」とか「出演者が逮捕されて最初から無かったことになった舞台の円盤の話……!?」とか思っちゃった。寿退団はもちろん本人の選択だから祝福したいとは思うけどファンとしてはつらいんだよな……逮捕は……論外ですが……。
あとね、共感するポイント絶対ソコジャナイと思うんだけど、バナナちゃんの「脚本や演出が洗練されてキャストも変わって舞台が進化していっても初演が忘れられない」っていう気持ち わ か り ま す。同じ舞台は二度とないんだけど、あの日、あの席から、あの角度から、この目でこのお芝居を観たのって私だけで、それはもう私の記憶の中にしかなくて、何物も"それ"を超えてこない、二度と戻らないが故に記憶の隅で光を放ち続ける舞台って私にもあるあるなので、バナナちゃんがエンドレスナインティナインする気持ち痛いほど分かる~~~って感じだった。「新キャスト楽しみだね~」って言う友達に「そうだね」って言いながら「私にとっての(役名)は(役者)だけだもん!!!」って心の中だけで暴れる私と、「新しいスタァライト楽しみだね~」って言う純那ちゃんに渋い顔するバナナが完全にオーバーラップしてた。とは言え、役者と役名が完全に紐づいてしまって(役名)と言えば(役者)さん! と言われる演目ってむしろ不幸だなと理性では思っている(そういう演目いっぱいあるよね~勿体ないね)。話は逸れるけど先日、浅利事務所プロデュースの『夢から醒めた夢』を観て、かつてマコ役だった野村玲子様がマコのママ役をされているのを見て、そうやって世代交代しながら長く演じ続けられる舞台ってやっぱり素晴らしいな、私もおばあちゃんになってもこの演目を観たいなって思いました。華恋ちゃんとひかりちゃんはおばあちゃんになってもスタァライトするんだろうか。それはもう「舞台少女」じゃなくて「舞台ばあちゃん」だな……舞台ばあちゃんのスタァライトちょっと、いやわりと本気で観たい。
なぜ華恋がオーディションに飛び入りし、バナナちゃんの連勝がストップしたか。サラッと通して見ただけの私の浅い考察では多分「キリンが飽きたんじゃ?」というところかと思うのですがどうでしょう。私たちオタは同じ演目を繰り返し見て「今度こそ大丈夫なんじゃないかと思っていたけどやっぱりラストで〇〇が死んだ」とか訳の分からないことを結構本気で悲しんだりしますが、そういうことではなく、まったく同じ、結末の見え透いたレヴューとその末のまったく同じスタァライト公演に、キリンはもう飽き飽きしていたんだと思う。キリンは第四の壁を打ち破って"客席"に干渉できる唯一無二のトリックスターで、同時に"観客"のメタファーでもあるのなら、発展の見込みもなくどん詰まりの舞台を観続けたいと思わないはず。舞台少女たちはしきりに自分たちを欲深いだの罪深いなどと言いますが正直なところね、観客であるキリンと我々のほうがよっぽど罪深いよ……観客は金を払っただけでどこまでも傲慢になれるし、私なんか2.5のイケメンばっかりワチャワチャ出てくる系の舞台を観るたびに「ああ~~~私はこの男の子たちの人生の時間でもっとも身体機能が高く若く溌溂とした瞬間を金で買っている~~~~」って苦悩してるよ。どうでもいいですね。
ところでオーディションで勝ち残ったら他の舞台少女のキラめきを奪ってトップスタァとして君臨できる(そしてバナナやアニメ終盤のひかりはそれを拒否した)って解釈で合ってますか? 舞台はスターだけで出来てないんだから、ロンドン留学中のひかりちゃんがもぬけの殻になっちゃったみたいに他のキャストに悪い影響があるんだったら舞台が成り立たないだろうが!! いい迷惑だわ!! これだからスターシステムとは相容れないんだよ!!(???) ときわめて個人的な憤りを感じた次第です。
役者さんってよく「今日も(演目)の世界を生きることができて幸せです」「残りの日程も全力で(役名)として生きます」みたいな言い方をするんだよね。舞台の上で彼らは演目の世界を、割り当てられた役を生きている。毎公演毎公演、生き直している。役者というのは百万回生きた猫とタメ張れるくらいに生き死にを繰り返す存在で、そのどれも一つとして同じものはない。そういう意味でも舞台は何度でも繰り返され新しくなっていくものだし、99期生はいつまでもループしているわけにもいかないし、だから「アタシ、再生産」は舞台少女たちが変身バンクに突入できる魔法の言葉たりうるのだと思う……んだけど、ごめんなさい、「アタシ、再演」ではダメだったのか? と無粋なことを考えてしまいました。「再生産」って言葉、どうしても経済学とか、「教育格差の再生産」みたいな使い方のイメージが強いのであのロゴが出てくるたび違和感があり……。もちろん語呂とか字面とかの問題もあるんだろうけどね。
それはともかく今回の劇場版の、「舞台に生かされている」彼女たちが訳の分からない精神世界で歌って踊って奪い合いながら深めているのが「卒業後の進路どうするか」という非常にパーソナルでいっそ微笑ましい(当人たちは今後のキャリアがかかっているので真剣ではあるんだけど)トピックであることにちょっとホッとしちゃったよね。舞台の上でなんにでもなれるはずの彼女たちが現実世界で自分の望んだ何者かになるべく藻掻いている様子は痛ましいけどキラめいている。
また四季の話をしちゃうんだけど、キャストを囲んだオフステージトークイベントでファンからの「どうしてそんなにつらい稽古でも乗り越えることができるんですか、努力を続けられるコツは」という質問を聞いた俳優たちが一様に首をひねって「ツライ……ドリョク……???」みたいな反応をしたことがすごく印象深かった。「大変だけどべつにつらいとかではない、それが仕事だから」ってサラッと言う。私たち消費者はついつい「血を吐き涙を流し、眠れぬ夜を超えて、やっと辿り着いたこの場所……」みたいなストーリーを求めてしまうけど、そりゃ舞台俳優としてそれだけで食べていけるのはほんの一握りだしものすごい努力や精神力が求められるのも確かだけど、彼らにとってはそれが、舞台に立つこととそのために練習することがすごく自然で違和感のない行為だっていうことで、あの舞台少女たちにとっても舞台の上が一番自分らしく嘘をつかずにいられる場所だったらいいなと思いました。「女の子としての普通の幸せを諦めて……」みたいなセリフあったけど、そんな誰かが決めた"女の子として"の "普通" の幸せなんかしゃらくせえと蹴散らして、舞台の上でアドレナリン全開で汗だくで生きるのが一番幸せな彼女たちであってほしい。シリアスな演目のあとカテコで手を振りながら目は全然笑ってない憑依型の役者であってほしい(それは只のテメーの好みだろ)。
収拾つかなくなってきたので最後に特に好きだったうま味成分の話をすると香子ちゃんと双葉ちゃんがすごくよかったです。私、ニコイチ仲良しが円満に道を違える展開、三度の飯より好き!! 香子ちゃんが双葉ちゃんにどっぷり依存してるように見えて、香子ちゃんがいないと歩く道すら分からなくなってしまいかねない双葉ちゃんのほうが実は危うくて、そこを自覚して「もう追いかけるだけは嫌だ」と覚醒する流れメッチャ熱かった。Defying GravityだしFor Goodだった。香子ちゃんの「うちには友達がぎょうさんいてはったわ。やけど、大切なんは双葉はん、あんただけ……(嘘すぎ京ことば)」って幻聴が聞こえた。
華恋ちゃんひかりちゃん、真矢ちゃんクロちゃん、バナナちゃん純那ちゃんもみんな結局違う場所で挑戦を続けることになったし、ニコイチ推すだけ推しておいて最後そうやって案外バッサリ引き離すところ潔くて良いな~と思いました。gleeのレイチェルの最終目標がブロードウェイスターだったように、かれひかも最終的にはブロードウェイで共演することを夢みたりするんだろうか。その頃にはもっと多くのアジア系俳優にチャンスが開かれてるといいね……などとしんみりしてしまったわ。香子ちゃんと双葉ちゃんのことは新感線とかで見てみたいです。四季で一番活躍の場があるのはバナナちゃんみたいな笑顔が可愛いオールラウンダーかもしれないね。ななベル、ななアリエル、ななソフィ、ななクリス、ななジェリーロラム、全部見たい。
前回公演の配信があるみたいなのでそれ見たらまた感想書くかな~という感じです。
妄想キャスティングめっちゃ楽しかった~~~~
「メジャーどころ……メジャーどころ……」と暗示をかけながら書いたのでもしスタァライトファンの人で検索とかから来てくれた人いたらミュージカルも見てみてネ……