on my own

話し相手は自分だよ

5月2日の日記

どうして現代人は「日記」などという極めて個人的で恥ずかしい文章を世界中に向けて公開しようなどと発想するのだろう。
アドレスに入っている「www」とはクソワロタじゃなくてワールドワイドウェブの頭文字で、つまり世界規模のクモの巣を意味するわけで、それはそれでちょっとグロいけど、そんな途方もない場所に向けて今日食べた美味しいものとか今日パートのおばさんに言われてムカついたことなんかを発信するというのはどうにも尋常ではない行為のように思える。
そして恐ろしい事には、その尋常ではない行為を、私は思い出せる限りで言うとだいたい小5くらいから日常的に行っている。
もう、これは尋常であるとかないとかいうラインを通り過ぎて、パフォーマンスアートの一種であると言ってしまっていいのではないだろうか。


アート如何はともかくとして、昨年中ごろに私の書いた「女友達の新しい彼氏との馴れ初めを聞きに行ったら死ぬほど文学だったから文学書きました」は死ぬほどバズった。
T女史による「監督は『はてな』を好んで見ているらしい。やばいバレる」という必死の訴えを受けて、現在公開を停止しているこのエントリは、私の告知ツイートだけで3600近くRTされ、はてなブックマークは700以上、その月のカテゴリ別月間ブクマランキング1位を獲得した。
多くの人が賞賛するところのユーモアのほとんどが私本人ではなくT女史と監督由来のものであったことはさておき、私の文章がこんなにたくさんの人の目に入るのは人生史上においてもおそらくこれが最初で最後だろう。
むしろこれが最後でもいい全然いい、と思えるくらい、あのエントリはバズった。


そしてまあその後はお察しなんだけど、私はまったくブログが書けなくなってしまった。
何を書いても「T女史よりおもしろくないな」と、タイピングする指が止まってしまう。
繰り返しになるが面白いのは私じゃなくて女史と監督なので当然ではある。そのうち、「面白い文章ってなんだろう?」「私は面白い文章が書きたくてブログを書いていたんだろうか?」などと考え込んでしまうようになって、売れないお笑い芸人みたいに「面白さ」について不毛な思索を巡らし続けた。
ぐるぐるぐるぐる考え続けているあいだに外界の季節が一巡りして友人は次々と結婚して実家の犬(←かわいい)も大きくなった。


とかいって哲学者風を装ったあとでものすごく正直に言うと、あのときの、通知が止まらなくて、たくさんの人が私の書いたものの話をしていて、地元の友人から「これのいちゃんでしょ」と連絡が来て、フォロワーがガンガン増えていくのを眺める快感が忘れがたかった。
あまりにも承認欲求が満たされ、自己肯定感がうなぎ上りに高まり、自尊心もみるみる太って気分が最高なので、あ~こりゃ世の中からパクツイや嘘松がなくならないわけだわとうんうん頷いて納得してしまうほどだった。
あれはダメだね。あんなに手軽に得られてしまう自己肯定感は人をダメにするね。普段まったく人から褒められない人生を持て余していた私には甘やかすぎる出来事でした。
というわけで、またあんなふうにバズってみんなに褒められたらサイコーなのにな~という安易な気持ちをはっきりと自覚し、遅まきながらも羞恥心を抱いたので、反省して、初心に帰ってみようと、だいたい18歳くらいのときのブログのノリを思い出してこの文章を書いている。
一部のリアルの友人と、オタク友達と、偶然検索から来た人しか読んでいなかった小さな小さなチラシの裏みたいなブログを思い出しながら書いている。


この尋常ではない行為を、生まれて初めてホームページ(死語かな)を作ったあの日からずっと繰り返している意味は未だによく分からないけれど、あとで自分で読み返して懐かしくなれることだけは確かなので、もうそれだけで「意味」になるかな、と感じている次第である。
あとで懐かしくなるために現在があるわけではないけど。
Twitterの140字に収めるためにそぎ落としてきたいろいろな「無駄」をここに置きっぱなしにしていけたらと思う。



(41分/1700文字)